番外編です。これまでのまとめですが、牢人となった光秀は諸国遍歴後一乗谷に落ち着きます。そして遍歴中、近江に将軍義輝が潜んでいることを知り、また細川藤孝と出会い、幕府再興の思いを固めます。最終的にここと決めていた越前へ行って、禅道という僧からの紹介状を称念寺の住職一念に見せます。当初は剣術や兵法を教えたいと目論んでいた光秀ですが、来るのは足軽程度でやや不満でもありました。しかも禅道が亡くなり、預かってもらっていた妻のお槇や、従弟の弥平次が越前にやって来ます。いくらか門人も来ますが、教授料を取らないうえに、光秀自身が病気になるなどして窮乏生活が続き、お槇は薬のために髪を売ることになります。
しかし加賀の坪坂伯耆軍相手に光秀は武功を立て、国主朝倉義景より仕官を勧められますが、それを断り、客分にしてもらいます。客分という束縛の少ない立場は、幕府再興の運動をするにはうってつけでした。そして越前と京を足しげく往復し、将軍義輝に顔を覚えてもらったまではいいのですが、ここで京を実質的に仕切っていた、松永久秀と三好三人衆が義輝を暗殺します。しかも松永と三好は、次期将軍として足利義栄という、義輝とは別系統の後継者を擁しています。義栄に対抗すべき後継者を立てるべく、光秀は藤孝と力を合わせ、一乗院門跡だった義輝の弟の覚慶、後の義昭を脱出させます。光秀は実質牢人である自分が、働きを見せるのは今こそと危険な役目を買って出て、ようやく甲賀の和田惟政の館に、義昭を匿うことになります。
ここまでの光秀の描写でとりわけ目を引くのは
光秀は朝倉家客分で牢人である
光秀は無位無官である
剣術と鉄砲にたけている
この3点です。この『国盗り物語』で時折強調される中世的な教養も、もちろん信長との確執もここではさほどに描かれてはいません。時々信長を意識することはありますが、それはさておき。明智の末裔というだけで、仕官もせず官位官職もないのは、立場として不利であること、そのため細川藤孝の存在が役に立ったこと、さらに剣と鉄砲の腕が、覚慶の脱出を助けたことなどが、この部分でわかる仕組みになっています。特に鉄砲関連の記述ですが、美濃で鉄砲の稽古を重ねたのは、この伏線と言ってもいいでしょう。その半分以上が創作と思われますが、こういう創作なら読んでいて楽しいものです。
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