先日『麒麟がくる』の中断に関して、放送回数を減らして年内終了の可能性があることに触れ、ニュースソースのリンクも貼っています。もちろんこれが楽しみでたまらないとか、とても気に入っている人であれば、当然ながら放送回数を減らさないでほしいなと思うでしょう。しかし私としては、このブログにも書いているように、たとえば松永久秀登場シーンとか、部分的に面白いシーンはあっても、全体的に見てそこまでではないせいもあり、それもやむなしかと思ってはいます。せめて3月頃から、光秀が室町幕府再興に動き回っていると言った展開であれば、もう少し面白く観られただろうと思います。
無論この大河では、女性が立膝で座るとか、毒殺シーンが出て来ると言った、戦国らしいところもあります。(但し当時から既に正座があったとも言われていますし、実際畳の上に座るとか、長袴の時などは男性でも正座のようです)ただこれは『おんな城主 直虎』の、逃散とか化粧料あるいは生首に感じたのと似ており、ストーリーに今一つ戦国らしさが感じられないので、いささか齟齬を生じているように見えます。直虎でもう少し戦のシーンがあり、さらに今回も光秀の功績が最初から前面に出て来るような描き方であれば、こういう戦国的な風習が仮に登場しなかったとしても、それはそれで戦国らしかったと思います。実際『風林火山』などは女性が正座であり、志賀城攻めを除いては生首もさほど出て来なかったにせよ、主人公の勘助自身が戦国の生々しさの権化のようだったこともあり、かなり戦国らしさを味わうことができました。
『風林火山』の場合、毒殺と思しきシーンはありました。由布姫が、東光寺で甘酒を三条夫人に振る舞うシーンで、それぞれの心情が描かれています。甘酒を勧められた三条夫人は戸惑い、侍女の萩野が杯を干します。結局毒入りではなかったのですが、それを見た由布姫は、三条夫人はやはり自分を疑っている、情など無用と高笑いしたため、萩野はひどく怒るものの、三条夫人は必ずしも由布姫に悪意を抱いてはいませんでした。女性キャラのこういう描き分けも、大河の一つの在り方と言えますし、必ずしも女性が政に絡むようにしなくても、十分に楽しめるはずなのですが-と言うか、私はそちらの方が楽しめるのですが。
光秀が元々はマジメ人間であったのに、なぜ信長を討つに至ったかということに関しては、DVDを観てかつ原作を読んでいることもあるのですが、やはり『国盗り物語』の例は参考になると思います。この場合は、中世的価値観の破壊者とも言うべき信長と、次第に対立し、鬱屈するようになった光秀が、守りの手薄な本能寺に攻め入ったという描かれ方をされていますが、これを多少アレンジすることで、また別の描き方、それも光秀自身をもっとアピールした描き方も可能でしょう。それとやはり戦国大河で、いつか平和が来るのを強調されるのには、私自身はいくらか抵抗を覚えます。『軍師官兵衛』のように、平和を得るためには誰かが戦わなければならないと言うのであれば納得できますが。
それから前回の「大きな国」ですが、この当時、美濃だけではなくもっと大きな国づくりをと道三が光秀に伝えるシーンがあります。ただこれが日本全土を統一する意味であるのなら、ちょっとまだ早いようにも感じられますし、ある意味後世からの視点のようにも思われます。また道三が、信長に注目するようにとも伝えています。実は長良川の合戦前に、道三は信長に対して、美濃の譲り状をしたためているはずですが、この大河ではそのシーンはどのようになるのでしょうか。ちなみに『国盗り物語』の原作では、これを書く前に、道三が自分の生涯を双六になぞらえており、『平清盛』を連想させます。
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