この『麒麟がくる』が現代ドラマ的というのは何度も書いていますが、やはり現代的な発想に裏打ちされていると、そうなってしまうのかなと考えざるを得なくもなります。牧のセリフを現代風にしたついでに、第14回での煕子の言葉もこうしてみますか。
「帰蝶さんは、あなたと以前付き合っていたのでしょう。だからしょっちゅうここに来ていたと言われているわよ」
さらに信長の聖徳寺でのセリフなども、現代風にしておきます-殆ど遊んでいますね。
「お義父さん、実はこの服ですが帰蝶が見立ててくれたのです。このネクタイもお義父さんが好きな色だということで、是非して行けと。私に随行する者たちも、すべて帰蝶が選んでくれたのです。彼女は全く私には過ぎた妻です。それから我が社の社員の佐々と前田を連れて来ております。この2人はエリートでもないたたき上げですが、だからこそ業績を伸ばしてくれてもいるのです」
しかしやはりと言うか何と言うか、私に取っての信長といえば高橋さんであり、反町さんであり舘さんではあるわけで、過去の大河から受けた影響はそれなりに大きいのです。無論染谷さんが選ばれてた理由もそれなりにある(落合CPによれば「変幻自在な演技力」)のですが、これはある意味サプライズ効果的なものかとも思います。
ご存知のようにサプライズ効果、あるいはゲインロス効果というのは、ギャップをプラスのイメージに変えることです。当初は期待外れだと思ったのが、時が経つに連れて好印象を抱くようになり、より評価を上げたくなるというものです。ギャップが大きいほど、いい印象を与えることができることになります。
無論これには条件があります。つまり最初は期待外れと思っていた相手または対象物の評価が、時間が経過するにつれて上がって行かない限り、この効果を得ることはできません。従って私のように、染谷さんを何度見ても信長のイメージじゃない、藤吉郎のイメージだと感じる人の場合は、ゲインロス効果とはならないわけです。
それから戦国大河に関して、三谷氏の言葉ばかり取り上げていますが、『風林火山』の大森寿美男氏も、
「彼らのしたことを今の価値観で判断すると、限界が出て来るのは必至。だから善い悪いではなく、今に通じる人間ドラマが描ければそれでいいと考える」
「残虐な行為にしても、現代的な解釈をしない」
「私が描きたいのは、そのとき生きていた人間たちのリアリティであり、”におい”なのかもしれない」
と言ったことを話しており、ことさらに平和という概念や現代というのを意識してはいません。精々「今に通じる人間ドラマ」と言っている程度です。
『風林火山』、『軍師官兵衛』、『真田丸』それぞれに特徴があり、同じ人物の描き方も作品によって異なってはいたものの、一応戦国大河らしさは感じられました。『真田丸』の場合は、昌幸の言動に寧ろそれが現れており、信繁がその父の夢を引き継いだと言うべきでしょう。そのせいもあり、なぜここでこの大河になったのかとはやはり思います。この時期の記録がない光秀が、どこにでも現れるため女性大河風だと書いたことがありますが、帰蝶も色々動き回っているため、余計にそのように感じられてしまいます。
あと深芳野の死に方がいささか呆気ないというか、後の世まで道三のことを引きずりながら生き長らえるのかと思っていたので、ちょっと意外でした。要は自分の息子に家督を継がせるために、我が身を犠牲にしたのではないかとも考えられます。
また平手政秀の死に方も呆気なく、存在自体もそこまで目立たなかったのが残念です。上杉祥三さんは、大河ではやはり『風林火山』の高遠頼継や『軍師官兵衛』の江田善兵衛的な存在、相手を煽ったり陥れたりする役が様になるように思えます。
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