ラグビー関連ですが、本題に行く前にこの記事から。
ラグビートップリーグの“薬物休止” 協会決定に選手会が反発
(スポニチアネックス)
コロナウイルスでなく薬物で逮捕者が出、そのコンプライアンスの徹底でさらに試合休止期間を延長した結果、試合ができなくなった選手が反発しています。実際日野以外の選手は、煽りを受けたようなところもあります。ただ記事中にあるように、コロナウイルスの影響は3月一杯までは続いたでしょうから、どちらにしても試合休止は免れなかったでしょう。ただこの場合、わざわざコンプライアンスなどとしなくても、そのまま3月が終わるまでコロナウイルスによる休止とし、その間にコンプライアンス関連の対策を練ればよかったのです。このコンプライアンスによる中止は、当初はコロナウイルスとは関係ないと明言していただけに、協会サイドもこの件に関しては反省するべきでしょう。
そして協会関連で。
過去最大71億円予算承認 日本ラグビー協会理事会
(産経ニュース)
今回は代表強化費が減らされています。どのような事情なのかはわかりませんし、ワールドカップ前の強化はそこそこお金がかかるものでもありますが、今年の相手も強豪ぞろいである以上、そこそこの額を抑えておいてよかったのでは。
そして、先日ご紹介した大友信彦氏の『Number Web』の記事、藤井雄一郎代表強化委員長のインタビューを改めて読んでみたいと思います。
今協会に足りない点はというと、やはりこうなります。
今回分かったことは、日本ラグビー協会には契約交渉の専門家がいないことです。今回、日本協会はジェイミーと契約しようとしていたのですが、その競合相手がオールブラックスだったわけです。契約しようとすれば、相手よりいい条件を出さなければならない。でも相手もそう考えているから、相手が出してくる条件も毎日変わるんです。
正直、僕は協会からゴーサインが出る前から動いていました。(中略)W杯が終わって、ジェイミーが結果を出していれば、再契約のハードルは上がります。それよりは、結果が出る前に契約延長してしまった方がいいだろうと僕は思って、打診していた。(中略)これまでと同じ条件でもやってくれるか? と聞いたら『それでいい、やるよ』と言ってたんです。契約は勝ちを重ねれば重ねるほど難しくなる。
実際、ワールドカップが終わったらジェイミーにはいろいろな国からオファーが来て、オールブラックスと取り合いすることになったわけです。
ジェイミー・ジョセフ氏が代表を8強入りさせたにもかかわらず、再契約までやや時間がかかった理由として、協会サイドにそのプロがいなかったことが指摘されています。せっかくベスト8という快挙を成し遂げたのに、HCが変わってはまた一からやり直しです。またこれだけの好成績を納めれば、当然他の国からもオファーが来ます。日本協会は、こういった危機感をどの位持っていたのでしょうか。
藤井氏のコメント、さらに続きます。
僕はサニックス(宗像サニックスブルース)の部長兼監督として、外国人選手を獲得する作業をしていたから、競合相手がいるのは当たり前なんです。契約交渉はスピード勝負という感覚は身についていた。だけど日本協会の監督選びというのは、基本的にはずっと競合相手のいない、日本の中でずっとやってきたんです
結局、ワールドカップが終わってから、僕が『一任してもらえるなら』ということで交渉役を引き受けました。協会の手続はスピード感がないんです。こういう交渉事にはスピード感が必要。1日、2日で決めないと何も進まないんです。それで、全権を持って11月にNZへ行きました。
でも、そのときにはNZ国内は『オールブラックスの次期HCはジェイミーだ』という空気になっていたんです。(中略)そしてジェイミーは、ニュージーランドの派閥争いに巻き込まれたくなくて、オールブラックスのオファーを断る理由がほしかった。だから日本とサインしたがっていたんです。とはいえ、NZ側の提示があまりにも良かったら、なかなか断ることもできない。だから日本も、それなりのものを提示しなければいけない。
「協会の手続(ママ)はスピード感がないんです」
かつて故・宿沢広朗氏が強化委員長を務めていた頃、何事もスピードが大事と語っていたことがあります。その後も協会のやることは、言っては何ですがかなりスローペースではあったわけです。
かつて日本協会は、監督人事は「お願いする」形でやって来ていたし、外国人HC体制になってからも、エリサルド氏を除けば、日本のラグビーを理解していることが望ましく、そのためトップリーグの前身である社会人リーグでプレイ経験、または指導経験のある人ばかりでした。
ジョン・カーワン氏-NECグリーンロケッツ
エディー・ジョーンズ氏-サントリーサンゴリアス
ジェイミー・ジョセフ氏-宗像サニックスブルース
この中で日本をベスト8に導いたのは、もちろんジョセフ氏のみです。当然箔がついた形になり、次期オールブラックスHCの声がかかるのも無理からぬ話です。無論ジョーンズ氏も、南アに勝つという快挙を成し遂げたことが、イングランド代表HC就任のきっかけとなったと考えられます。しかもこの時は日本協会が引き止めることができず、結局ジョーンズ氏はイングランド代表HCとして采配を振るうことになりました。恐らく藤井氏は、この轍をもう踏めないと考えたかもしれません。しかもジョセフ氏の場合は、母国の代表、オールブラックスからのオファーということもあり、条件もよかったため、日本側も万全の対策を練っておく必要がありました。
ただこの時点で、ジョセフ氏がオールブラックスのオファーを断ろうとしていたのが、救いであったともいえます。ジョセフ氏は、派閥争いに巻き込まれたくなかったわけです。実はNZも派閥争い、とりわけ北島のオークランドと南島のクライストチャーチの対立はかなり激しいので有名です。そのようなこともあり、ジョセフ氏は、再度の日本代表のコーチングにやぶさかではなかったといえそうです。
結果的にジョセフ氏再任とはなりましたが、やはり日本協会はHC市場に関してあまりにも疎く、また急を要することにも時間がかかり過ぎ、それがこの再契約が遅々として進まず、藤井氏に一任せざるをえなかったというのは確かでしょう。
(この項続く)
スポンサーサイト