fc2ブログ

ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  大河ドラマ >  葵徳川三代徒然-48

葵徳川三代徒然-48

寛永8(1631)年12月、明正天皇の外祖父であり、子の家光は三代将軍というのは光栄であると言いつつも、秀忠の心は鬱屈していました。秀忠は既に自分の余命がわずかであることを知っており、見舞いに来た天海に年齢を尋ねます。96と答えた天海に、長生きすれば煩悩は消えるかと問い、天海はそれを否定します。また東照大権現の息子であるとして、何かと持ち上げられるのを嫌い、自分はあくまで人であると主張します。さらに金地院崇伝より、忠長より家光に謝罪して見舞いたいとの書状が届いたことを聞きますが、家光はこれを許せば忠輝忠直も許さざるを得なくなると一蹴します。秀忠の脳裏を、子供たちのことが駆け巡ります。そして翌年正月、諸大名の年賀拝礼は中止となり、義直、頼宣、頼房の3人が直垂姿で秀忠に目通りします。秀忠は家光の後見をこの弟たちに頼み、さらにこれは遺言であるとして、朝廷を力ずくで押さえつけようとせず、それぞれの面目を立てるよう、家光と力を尽くせと彼らに命じるのでした。

秀忠の回想です。秀吉が薨去し、その後の関ヶ原に遅参したことが脳裏を駆け巡ります。1月23日、秀忠は家光を呼んで、父家康が関ヶ原と大坂の陣で用いた佩刀3本を、形見として与えます。その他の形見分けは板倉重昌に委ねられ、また土井利勝を近臣として家光に「相続」させます。秀忠は朝廷の扱いは申し伝えた通りであると言い、さらに民のことを考えよと伝えた後、自分の葬儀は仏式のみにて、お江が眠る増上寺に埋葬すること、殉死は固く禁じることと言い残します。秀忠は日光にあまり参詣しませんでしたが、これは、将軍の参詣には莫大な費用がかかるのを考えてのことでした。また家光に質素倹約を旨とし、諸大名の手本になるようにと言った後、父家康が国家、つまり仕組みを作れと話したこと、心に一匹の鬼を飼うこと、頼るべきは忠義の臣であること、忠輝追放の件で父と争ったこと、さらに父の死の床にて鼓を打ったこと等々が、またも秀忠の脳裏によみがえります。そして翌1月24日、江戸城西の丸で秀忠は薨去しました。

家光は西の丸に赴き、秀忠の死に顔を見て手を握り、涙します。忠長には26日に知らせがもたらされました。そして弔問に集まった諸大名の前で家光は、自分に不満の者は弓矢を以て攻め取れと言い、さらに伊達政宗が立ち上がって、その時はこの政宗にまず矢を向けよと言い放ちます。実は、若い家光に如何に権威を持たせるかで近臣たちは策を練っており、この政宗の件もいわば打ち合わせ済みだったようです。葬儀は2月15日と決まりましたが、天海が神号を奉りたいと言い出し、これに林道春や金地院崇伝は不満げです。秀忠の遺志を尊重する家光は、なりとうない者を無理に祀り上げるなといいい、また葬儀のことは利勝が請け負っている件、秀忠は位牌以外は何も作るなと言ったことを持ち出します。最終的に秀忠には、朝廷から台徳院殿の称号が贈られました。その後家光は将軍を別格にして、家臣である紀州と尾張、水戸で新たに御三家を作ります。そんな矢先家光に男児が生まれますが、誕生後まもなく世を去っていたことがわかり、家光は愕然とします。

秀忠も退場です。これで戦国を生きて来た主がいなくなり、戦乱の世を知らない、しかも生まれながらの将軍の家光が諸大名たちをまとめることになります。秀忠は、自分が東照大権現の子と呼ばれることを、あまりよく思っていなかったようで、自分は人であると主張し、葬儀も質素にせよと言います。カリスマ的な父親と違い、この人物は内政に力を注いだといえます。しかも妻お江が埋葬されている増上寺に、自分の墓所を作るように言い、この辺りも如何にもこの人らしさを感じさせます。結局忠長は許されず、父の弔いをすることはできませんでした。その代わりというか、秀忠の弟たちである紀州頼宣、尾張義直、そして水戸頼房が、家光の後見をすることになります。既に食欲もなくなっていた秀忠が、紀州のみかんは美味いと言い、頼宣を喜ばせますが、仮に家光の子が女児であった場合は、やはり紀州から後継者を迎えることも考えていたのか、そのようにも受け取れるシーンでした。ちなみに秀忠を演じた西田敏行さんは、この5年前に紀州家出身の吉宗を演じています。

それから天海(まだ生きていたのですね)が、神号を奉りたいと言います。無論秀忠は自分は人であることを主張していたため、そのような物を望んではいませんでした。これに関しては金地院崇伝や林道春も異論を唱えます。結局朝廷より称号が贈られますが、秀忠の遺体が増上寺に運ばれた時も、付き添ったのは近臣が10名ほどと言われており、その父と比べると実に質素な葬礼であったようです。ところで朝廷からの称号の件は、林道春が上洛して話が進められていますが、この人物こそ儒学者林羅山です。先日江戸時代の文治政治について触れましたが、家光までの戦国の名残りをとどめた武断政治は、多くの大名たちの改易をもたらし、これが幕府に不平不満を持つ浪人たちを多く出す結果となり、由井正雪が主導した慶安の変のもととなります。この浪人たちの反乱は、家光亡き後の、幼い家綱の将軍就任が契機となっていました。正に家光の死を以て一つの時代が終わり、その後は文治政治による為政が中心となって行きます。

飲み物-ワインとワイングラス
スポンサーサイト



[ 2020/03/08 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

aK

Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

TopNTagCloud