寛永6(1629)年10月、後水尾天皇は退位して女一の宮興子内親王に位を譲ります。無許可でのこの退位に幕府は騒然となりますが、家光は秀忠から黙殺するようにと言われます。東福門院となった和子は、姉千姫が豊臣に嫁いで、夫秀頼を殺された時と今のわが身を重ね合わせます。阿茶局は、今回は上皇となった後水尾天皇を中和門院が諫め、さらに徳川家とは縁続きであると和子を気遣いますが、朝廷と幕府の関係はぎくしゃくしたまま、翌寛永7(1630)年が明けます。その年の9月に即位の大礼が行われることになり、秀忠は家光共々上洛を促されますが、幕府なしで大礼ができるかどうか、江戸で見物すると秀忠は意に介しません。その年の3月、秀忠の四女で京極忠高の正室、初姫が28歳で世を去ります。秀忠は忠高を蟄居にし、養母常高院に育てさせたのは間違いであると本人の目前で言います。しかし常高院は、娘たちを駆け引きの道具に使うべきでない、和子のことも考えてくれ、お江に成り代わって申し上げていると言ったため、流石に秀忠は言葉を詰まらせます。
家光は弟の忠長が、無許可で幸松を駿府に招いたこと、高野山に崇源院の塔を寄進したこと、さらに家光の疱瘡が重くなった時に、跡を継ぐのは自分だと言ったことに心穏やかでない様子でした。お前は将軍家を継ぐことはできぬとからかうように家光は言い、これが両者の最後の対面となります。一方上皇の生母中和門院は病で、秀忠は見舞いの使者を送りますが、伊達政宗には、女帝は結婚できないことから、興子内親王の即位は、徳川の血を絶やす陰謀だと打ち明けていました。そして保科正光と幸松は、江戸城に登って家光との対面を果たします。家光はこの異母弟を気に入り、幸松の過去のことを色々話した後、船遊びに誘います。しかしその直後中和門院の訃報が届き、秀忠は家光に、後水尾天皇の退位と興子内親王の即位を受け入れるようにと諭しますが、家光は、朝廷の言いなりは東照大権現に背く行為と反発します。そこで秀忠は、即位に関して幕府が意見するように取り計らい、さらに東福門院和子がまた懐妊したことから、女帝は皇子が生まれるまでの中継ぎと割り切り、大礼に向けてことを進めて行きます。
宮中の行事に、武家は参列できぬと家光は難色を示しますが、秀忠は実権を握っておればいいと気にも留めません。そして10万石以上の大名は、家臣を遣わして祝いを届けるのみにとどまります。8歳の興子内親王は9月12日に即位しますが、この後幕府は朝廷に難題を突き付けます。それは武家伝奏を巡る朝廷人事への横やりでした。しかし武家伝奏である中院通村は、朝廷と幕府は事を構えるべきでないとの考えでした。さらにその後、秀忠と家光の意を伝えるべく幕府重臣が上洛しますが、摂家側もこれを受けて、全員が揃わないという姿勢を取りました。重臣たちは興子内親王即位に関しては、心外のきわみとしながらも容認する姿勢を取り、また今後、大権現の法度に背けば罰すると明言します。また禁中の御料が、2万石から1万石に減らされたのは、天皇が幼少でしかも女帝であるという理由からでした。さらに後水尾上皇の御料は3000石でしたが、これは後に秀忠から倍増されます。このやり方には伊達政宗も関心していました。そしてこの年藤堂高虎が死去し、さらに悪いことに駿河領浅間神社から、忠長の乱行に関する直訴が飛び込んで来ます。
興子内親王即位か否かで、朝廷と幕府が対立します。幕府側は女帝は認められぬという姿勢を取り、一方で朝廷側は、何故幕府に伺いを立てるのかと強気に出ます。しかも幕府はこれに対し、圧力をかけようとしますが、最終的には即位の大礼を受け入れます。ただし、後水尾上皇の退位を諫めなかった公家たちには、厳しい態度で臨むことになります。この朝廷の幕府への許可以外に、もう一つの許可が登場します。つまり、忠長が家光に無許可で色々なことをしたという件です。これが故意なのか、あるいは悪気はなかったのかはともかく、どうも忠長はこの辺りに気を利かせないところがあるようです。その一方で家光は、異母弟の幸松(保科正之)を可愛いがります。このようないきさつもあったのか、忠長は浅間神社近くで聖獣とされている猿を狩り、挙句の果ては、自分の輿を担いでいる者たちを立て続けに斬ったり、侍女にわざと粗相をさせたうえに激しく殴ったりして、秀忠を悩ませるようになって行きます。
秀忠も何となく、家康に似た態度を取るようになって行きますが、その秀忠も、やはりお江だけは特別な存在であったようです。そのお江の姉に当たる常高院が、初姫の死去をきっかけに、娘たちを様々な大名家と縁組みさせ、その結果彼女たちが不幸な目に遭ったことに関して、おなごは駆け引きの道具ではないと直訴します。無論その中には、豊臣家に嫁いだものの、実家から夫を殺された千姫も含まれていました。奇しくも、中宮和子も興子内親王の即位に関して、千姫の例を引き合いに出しています。どうもこの千姫の前例は、浅井家の血を引く女性たちの中に、一種のトラウマとして残っているようです。しかし「おなごは駆け引きの道具ではない」、これも若い女優さんが使うと、何となく浮いた印象がつきまとうのですが、ベテランの女優さんが、それなりの苦労を重ねた女性を演じるうえで使うと、実に決まるものです。改めて、大河はキャスティングや役柄設定も大事であると思う所以です。
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