大政奉還が行われたのは、慶応3年、1867年の10月14日です。大政奉還そのものは以前から議論されてはいましたが、実際に建白書を提出したのは土佐藩です。本来これは、討幕派の狙いをかわすものでした。しかし薩長や一部の公家は討幕を諦めず、その後に王政復古の大号令を出すことによって、正式に慶喜の将軍職の辞職が決定します。しかしながら、なかなかことはすんなりとは納まりませんでした。
なぜかといいますと、王政復古後も、引き続き慶喜に政治の実権が与えられることになっていたため、薩摩が幕府側の一部を取り込み、これが翌年早々、鳥羽伏見の戦いへと発展します。そしてこの時になって初めて、幕府が朝敵認定されました。その後は幕府の瓦解が急速に進み、江戸市中での市街戦を避ける代わりに江戸城を明け渡す、無血開城が行われます。これによって、幕府の威信は地に落ちました。
万二郎がやろうとしていたことは、そういう地に落ちた幕府と運命を共にすることでした。何やら、最終回に来てやっと万二郎の「見せ場」が出てきた、そういった感じです。この中で彼は綾と結婚し、彰義隊に入り、最後には函館戦争にまで出陣するという流れになっています。無論この人物は架空の人物ですが、実際このような人物がいてもおかしくはなかったでしょう。
いくらか回復の傾向を見せ始めた綾と結婚し、その後すぐ離縁状をつきつけて、彰義隊の軍装に身を包んで去って行く万二郎の姿には、何やら凄まじいものが感じられます。その前におせきに別れを告げ、上野ではお品との再会を果たしますが、お品は敵の砲弾の前に命を落とします。敵方、つまり討幕軍の大砲はアームストロング砲で、かなりの威力を誇るものでした。もちろん『花神』でも、上野戦争の際にこのアームストロング砲が登場します。
その後万二郎は戦死したとの情報が入り、西郷吉之助が軍旗を届けに来ます。この時の手塚良仙の
「万二郎は負け戦と知りながら、彰義隊に身を投じて死んだのだ」
「歴史に名を遺さずに死んで行った人間はゴマンといる」
というセリフは、なかなか痛烈です。お前たち薩摩の人間に幕府軍の気持ちはわかるまいといった、ある意味毒を含んでいるともいえます。ちなみに良仙は、この西郷が自決した西南戦争に新政府軍軍医として同行し、そこで赤痢に罹って亡くなります。
この回のエンディングはそれまでの、万二郎、良仙、おせきが登場するものとは違い、万二郎が恐らくは北の大地で、大小二本を置いて、彼方へ歩いて行くものとなっています。函館戦争に従軍し、何とか生きながらえて、この大地に武士ではなく一平民として、根を下ろすかの如きものを感じます。そしてその後もなお、おとねも綾も、そして良仙も万二郎を思い続けていたのでした。
ところで函館戦争といえば、かつて『新選組!』のスピンオフ的なドラマが、土方歳三を主人公として作られたのを思い出します。『土方歳三 最期の一日』だったでしょうか。
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