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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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葵徳川三代徒然-23

延び延びになっていた『葵 徳川三代』ですが、まず9月1日放送分からです。慶長12(1607)年閏4月8日、結城秀康が亡くなります。生母於万の方は、秀康を身籠った時築山殿からひどい仕打ちを受けていました。そのせいか、秀康没後家康の許可を得ず髪を下ろしてしまいます。しかし秀忠も、そして家康も悲嘆に暮れ、「秀康の武勇と忠吉の知略が秀忠に備わっておれば」と言い出す始末です。さらに家臣の追い腹禁止令を秀忠に出させます。秀康逝去後、家督は嫡男忠直が継ぎますが、やはり世を去った松平忠吉の後継は義利に決まります。しかし隠居したとはいえ、家康は秀忠にあれこれ口を挟みたがっていました。その頃江戸城には天守閣が完成します。一方大坂では、徳川家の不幸は思い上がりの罰であるとみなされていました。思い上がりというのは、「日本国王殿下」宛ての文を携えた朝鮮からの使節を、朝廷ではなく江戸に向かわせた件でした。しかも大御所という名称もけしからんとなりますが、これは古田織部が、前の将軍への尊称であると説明し、その場を鎮めます。

その年の7月3日、駿府城の本丸御殿が完成します。その祝いに毛利輝元も駆け付け、家康は秀康の娘喜佐を秀忠の養女として、輝元の嫡男秀就に嫁がせることにします。さらに9月には片桐且元が駿府を訪れ、家康は秀頼と四方山話がしたい、対面するまでは死なぬぞと且元に伝えます。その頃大坂では女中のお通が身籠り、宿下がりという形で大野治長の屋敷に預けられ、妊娠は当面伏せられます。千姫は懐妊にはまだ早く、しかも江戸ではその母お江が懐妊します。その頃ちょっとした事件が起きました。竹千代がすずめの子がほしいと言い、御殿の屋根に上がった小姓の松平長四郎が落ちてしまったのです。しかし竹千代の命で御殿の屋根に上がり、しかも主である竹千代を庇った長四郎に秀忠は感銘を受けます。この長四郎は後の松平伊豆守信綱、所謂「知恵伊豆」となります。その後も竹千代の指南役が選ばれ、徳川家の嫡男の座は盤石となります。

そして10月4日、お江は女児を産み、和姫と名付けられます。しかし駿府では本丸御殿が焼けてしまい、慶長13(1608)年の年明け早々、家康は大名に普請を命じます。かつて豊臣方であった外様大名たちがこの工事に駆り立てられるのは、淀殿に取っては不愉快なことでした。無論これは大名が金銀を蓄えないようにするための、家康の策でした。豊臣家に寺社への寄進を勧めるのも、やはりそうかと淀殿が言った矢先、秀頼が疱瘡で倒れます。これは駿府や江戸にも伝わり、もし秀頼逝去の際には、嫡男不在のためお家取り潰しになる可能性大でした。豊臣家は一介の大名とは事情が異なるものの、家康は「一介の大名」であると言います。しかし大坂ではお通が男児(国松丸)を出産し、秀頼も快方に向かいます。しかしこの年の4月、且元が朝廷に参内し、秀頼の快癒祈願の礼を述べたことで、大坂と昵懇の公家衆をどうにかすべきとなります。お江は和睦の為に自分を大坂へと言いますが、御台所が自ら和睦に向かうなど前例のないことでした。

松平忠吉に続いて結城秀康も世を去ります。実際この2人のうちどちらかでも長命していれば、その後の徳川家はまた違っていたかもしれません。しかし秀康を抱き込むと目論んでいた大坂方は、この知らせをどのように受け止めたのでしょうか。この江戸と大坂が反目し合った慶長年間後半は、互いが互いに睨みを利かせていたとも取れます。一方で淀殿や千姫が仲介となり、両者がどうにか戦を避けていた時期でもありました。それから朝鮮の使節の「日本国王殿下」ですが、これは日本も中華帝国の傘下に入っているという解釈によるものです。このため「皇」ではなく「王」です。しかし本来その立場である朝廷を顧みず、我こそは「王」といわんばかりの家康に淀殿は腹膨るる思いでした。さらに、その家康から見れば秀頼は「一介の大名」であると、淀殿が聞いたら激高しそうなことを口にします。

また千姫でなくお通が子を産みますが、これもどうやら江戸には知らされていないようです。これで秀頼には嫡男ができ、淀殿が言うように「豊臣の家は安泰」と一応はなっていますが、徳川に比べると如何にも心もとなくはありました。そして徳川方は、大坂と昵懇の公家衆を何とかしろとなり、この辺が正に幕末大河を思わせます。無論幕末、特に慶応年間が押し詰まった頃には、これとは立場が逆になるのですが、武家政権下に於ける公家の存在意義というものを窺わせる描写でもあります。また秀頼が疱瘡に罹った際、西国の大名が見舞いに行っていると藤堂高虎が言ったことに対し、家康は神経をとがらせます。そしてお江は、五女の和姫を産みます。この和姫が後に入内することになります。そのお江は、庭で竹千代がお福や小姓たちと遊んでいるところ、しかもお福に懐いているところを見て、複雑な気持ちになります。

飲み物-ビールと夜景
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[ 2019/09/10 00:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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