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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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葵徳川三代徒然-22

慶長11(1606)年8月、家康は公家たちを京でもてなした後高台院に会います。これも家康の朝廷工作の1つでした。同じ年の9月、江戸城の本丸が完成して秀忠と家族はそちらへ移ります。ただ竹千代のみは、西の丸でお福に養育されていました。11月に入って家康が江戸を訪れ、大広間の狩野派のふすま絵に目を見張り、大坂に負けぬものを建てよと秀忠に命じます。また五郎太丸と長福丸も官位を与えられ、それぞれ義利、頼将と名乗るようになります。その時竹千代が病との知らせに、家康は西の丸に薬を届けさせ、お江は息子を見舞いますが、竹千代は既にお江よりもお福に懐いていました。同じ頃大坂では、淀殿が家康をさらに苦々しく思うようになります。戦が始まればどうすると問う姉にお初は、どちらにもつかず身を挺して止めると答え、太閤殿下の御威光は一代限りと姉を諭しますが、淀殿にはそれが面白くありません。しかもお初の夫、京極高次は三成を裏切ったとまで言う始末です。

この年の12月24日、忠輝と伊達政宗の娘五郎八も結婚しました。そして元旦、お梶が女児を出産し市姫と名付けられます。しかしその直後家康は倒れ、見舞いに来た秀忠に、淀殿か関白を辞めさせた近衛かが調伏していると洩らします。そして自分が死んだらどうするつもりかと尋ね、返答に窮する秀忠に、秀頼は65万石の大名として封じ込め、外様は鉢植え(一定の地に根付かせない大名)として国替えを行い、逆らえば改易とするように命じますが、伊達と島津は除外して後々松平の姓を与えるように言います。また朝廷は幕府が手綱を握り、目下懸案の事項である皇位継承については、八条宮智仁親王ではなく、政仁親王の立太子をと促し、さらに市姫を妃として入内させよと命じますが、流石に秀忠はここまでの口を出すのには抵抗を感じました。その後この件で、先の関白である近衛信尹が江戸を訪れますが、秀忠はこれは不忠にあらず、人の道に違うことを咎めぬ公家衆こそ不忠と一歩も引きませんでした。

大坂では淀殿や側近の大野治長が、家康は仮病で、大名の動向を探っているのではないか、あるいは既に薨去しているのではと疑い、片桐且元に真偽のほどを確かめさせます。その頃松平忠吉が、父の見舞いに江戸を訪れますが、当の忠吉自身が背中の腫物に苦しんでいました。秀忠は唯一母を同じくし、しかも年子の忠吉を見舞いますが、父家康があの年齢で今もかくしゃくとしているのに驚きます。一方で家康は全快し、子や孫の前で自分は体を鍛えており、しかも薬を飲んでいることの大切さを説くのでした。そして忠吉に会い、関ヶ原の時の鉄砲傷を武人の誉れと褒めますが、それと同時に背中の腫物を見て一瞬言葉を失います。3月5日に忠吉は世を去り、駿府に戻る途中で訃報に接した家康は、自分の身代わりになったと嘆きますが、その後結城秀勝までが危篤となります。そして大坂では、秀頼が女中と同衾していたことに淀殿は動揺します。その秀頼は自分は大名でもかまわないこと、千姫を大人の都合で離縁するのは不憫であると母の淀殿に伝えます。

淀殿の頑なな姿勢が表面化して行きます。妹のお初から、豊臣家の威光は一代限りといわれても耳を貸さず、関ヶ原の表面上の名目である家臣同士の諍いが、自分と家康の諍いであったと捉える見方が顕著になります。ところでこの時期の皇位継承についてですが、後陽成天皇の弟宮八条宮智仁親王は、かつて豊臣秀吉の養子であり、鶴松誕生後に養子の関係でなくなってからは、八条宮家を創設しています。しかし一度臣籍に下った親王が、皇位継承というのはよくないということで、後陽成天皇の皇子政仁(ことひと)親王が皇位を継承することになります。この親王が後の後水尾天皇です。秀忠の家臣たちは、結城秀康の例を引き合いに出し、一度他家に養子に出すと家督は継げぬと近衛信尹に進言します。しかしこれは、家康が徳川とのつながりを持たせるために、既に妃がいる八条宮ではなく、まだ年若い政仁親王を推したのではないかとも思われます。実はこの政仁親王の中宮は、市姫ではなく秀忠の五女和姫で、その長女が後の明正天皇である興子内親王です。

それにしても、淀殿の姿勢がますます意固地になっている印象を受けます。本来どちらにも与しなければいいものを、関ヶ原を引き合いに出してお初の夫は三成を裏切ったなどと言うのは、自分は最初から三成の味方だったと言外ににおわせているに他なりません。さらに家康も、実はもういないのではないかと言い出しますが、朝鮮での戦役のため薨去を伏せざるを得なかった秀吉の時とはわけが違います。その意味ではお初も、そして一大名であることを受け入れる秀頼も、淀殿よりは考えがまともであるといえます。しかし家康も秀忠に、幕府を潰すな大名を監視しろ、しかし伊達と島津は別格だと言う辺り、この2人をかなり恐れていたともいえます。しかし島津に関していえば、後に幕府を潰した最大勢力といっても過言ではないのですが。この大河は戦国から江戸を描いていますが、徳川家メインということもあって朝廷工作がかなり描かれており、それが幕末大河とダブる印象が少なからずあります。

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[ 2019/09/01 01:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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Author:aK
まず、一部の記事関連でレイアウトが崩れるようですので修復していますが、何かおかしな点があれば指摘していただけると幸いです。それから当ブログでは、相互リンクは受け付けておりませんので悪しからずご了承ください。

『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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