さて、この『容疑者Xの献身』関連記事も大詰めです。私としては、やはり石神はこの隠蔽工作を行うべきではなかったと思います。ただし、自殺を図ろうとしていたものの、容疑者が訪ねて来て思いとどまったこと、容疑者経営の弁当屋を利用していたことなどが絡み合い、結果として容疑者のために、大がかりで、しかもばれるはずのない隠蔽工作を練り上げたわけです。もちろん湯川は、誰かが隠蔽を指示していることに気付いていました。パンフレットの中にチケットの半券をを隠しておくなど、隠蔽テクニックとしてはかなりのものだと、草薙の前で口にします。
しかも石神自身も殺人を犯しています。靖子とは全く関係のない身代わりの死体を現場に置くことで、彼女のアリバイを完全なものにしようとしたわけです。これに関しても湯川は、自分が殺人をやったことで、堂々と富樫殺しを主張できるともいっています。もし、彼が単に靖子を庇っているだけであれば、自分が罪をかぶって拘置所にまで行くことができるかどうかはきわめて微妙ですが、いずれにしても彼自身も人を殺している以上、堂々と殺人犯として名乗りを上げることができるわけです。
こういった点を見て行くと、やはり石神は大したものです。物理学者は仮説を立てて、実験でそれを実証するが、数学者はすべて頭の中でシミュレーションを行うとも湯川はいいますが、これも石神が、頭の中で練り上げて行ったものなのでしょう。しかも不具合な場合に備えて、きちんと相手の出方を読んでもいます。彼が高校教師にならず研究者になっていたら、恐らくは別の道が開けていたでしょう。彼が登山を愛したのも、一つの頂点に様々な方法でたどり着けるという、数学の論理が応用できる趣味であるからともいえそうです。
しかし、殺人後彼の命じるままに行動して来た靖子は、最後の最後で彼の意のままにはなりませんでした。かつての夫を殺し、石神にいわれるまま隠蔽し続けることに呵責を覚えた彼女は、ついに自首します。自分の行動まで指図され、縛られていることに我慢できなくなってしまったというべきでしょうか。
一方で石神は孤独でした。孤独だからこそ自殺も考え、そこまで追い詰められていた自分を、いわば救ってくれたといっていい靖子に、特別の感情を持つようになります。だからこそ、殺人隠蔽という奇妙な恩返し?計画も練られたわけです。彼の部屋の殺風景さ、生徒たちにあまり相手にされないような状態で、授業をしているような描写にも、それがよく表れています。また、湯川から「そんな素晴らしい才能をこういうことに使うべきではなかった」といわれた石神は、このように答えます。
「そんなことをいってくれるのは君だけだ」
湯川は最後の方でこうもいいます。
「もし石神が人を愛せずに生きていたら、こういう殺人を犯すこともなかった」
石神の「愛」はどこか歪で、結局報われることもありませんでした。ただ、彼が計画を立てて靖子に指図し、靖子がそれを受け入れたことが、はなはだ妙ないい方ではありますが、2人の恋愛関係だったのでしょう。ところで肝心の富樫の死体は、石神がばらばらに切断し、水中に投棄していました。エンディングで、その捜査の様子が描かれています。
結構この『ガリレオ』シリーズは、物理学者が絡んでいるだけあって、デジタル機器は多数登場しますが、それに公衆電話であるとか、凶器である電気ごたつのコードであるとか、石神が湯川から頼まれた証明の正否を判定する場合に、鉛筆を電気鉛筆削り器で削る所ところとか、ちょっと懐かしい雰囲気もあって結構楽しめます。そういえば、この作品には登場しませんが、湯川が謎を解く際に道路に石ころで方程式を書いたりする、あれも結構アナログといえばアナログです。
ところで冒頭の部分で、クルーザー炎上の仮説実証の実験場に来た内海が、湯川が相変わらず人の心を読まないことに苛立つ場面が登場します。また、現場近くで練習をする草野球チームの監督に、物理学的な視点からダメ出しをしてみたり、相変わらずの湯川准教ではあります。
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