徳川家康は秀忠に征夷大将軍職を譲ろうと決めます。しかし征夷大将軍とはあくまでも臨時の職であり、それを世襲するとは何事であるか、豊臣家を無視していると淀殿は不満をぶちまけます。さらにこの件に関して、関白職の就任資格がある五摂家を、大枚はたいて抱き込もうとしますが、そこは家康も手を回していました。さらにこれと前後して、秀忠とお江に待望の嫡男が誕生します。この子は竹千代と名付けられ、秀忠夫妻は乳母を決めていましたが、家康自らが竹千代の教育方針を定めることとなり、手元におかず自分が決めた乳母、福(春日局)に委ねることになります。また福の三男をはじめ、5人の少年たちが小姓となります。この福は明智光秀の家臣斎藤利三の娘で、才知に優れているのみならず、強かな女性でもあり、乳母となるに当たって夫稲葉正成と離縁していました。
さらに豊臣家に取っては都合の悪いことに、関白の九条兼孝が慶長9(1604)年に解任され、頭を丸めてしまいます。また秀忠の将軍就任に当たり、家康は高台院に、秀頼に臨席するべく話をつけてほしいと言いますが、淀殿はあっさり拒否します。一大名ではなく、秀忠はあくまでも豊臣家の家臣というのがその理由でした。こうする間にも、秀忠の次期将軍としての準備は着々と進んでいました。
そんな折、本多忠勝は病を得て第一線を退くことになります。そして慶長10(1605)年4月、秀忠は第二代征夷大将軍となるのですが、金地院崇伝は徳川家の人物らしく、家忠に改名してはどうかと申し出ます。しかし天海僧正は、貴人(この場合は秀吉)から拝領した名を、そう簡単に変えるものではないと言い、結局秀忠で通すことになります。
これに関して、加藤清正と福島正則が乗り込んで来ます。この両名は、征夷大将軍とは朝廷に抗う存在を征伐する存在のことだと主張し、何を仮想敵としているのか、豊臣家かと詰め寄ります。しかし家康は、この場合は南蛮人などの外国人(とつくにびと)であると答えます。さらに一部始終が終わった後、家康は秀忠に差しで自分の苦労を話して聞かせ、
「非常にあらざれば天下は取れず」
「心の中に一匹の鬼を飼え」
と言い、天下を守ることの難しさを説きます。さらに家康は、いざとなれば妻子も捨てる覚悟で臨めと秀忠に言いますが、それを聞いた秀忠は心が揺れるのを感じていました。
相変わらず徳川家を家臣と思っている、というか無理にでもそう思いたい淀殿の、意識のずれが窺えます。一方で彼女の妹のお江は、嫡男を産んだものの、将軍家の世継ということもあり、舅である家康がすべてを決めてしまうのに戸惑いを見せます。お江にしてみれば、福は自分と子供の間に割り込むが如き存在に見えたでしょう。これは、それ以前の大河で岩下志麻さんが演じた役に共通しています。『草燃える』では比企家が、『独眼竜政宗』では片倉家(特に喜多)が似たような存在でした。そしてその淀殿をあざ笑うが如く、家康は朝廷に手を回し、完姫の舅でもある九条兼孝を解任させてしまいます。尚この兼孝の後継者が、薩摩と縁の深い近衛信尹で、この人物から数えて九代目が、幕末に関白職にあった近衛忠煕です。
しかし千姫の父であるにもかかわらず、淀殿は秀頼を将軍後継祝賀の席に列席させようとはしませんでした。さらに加藤、福島の両名が乗り込み、秀忠の征夷大将軍就任に対して異議申し立てに等しい行動を取ってしまいます。この2人がのちのち分が悪くなる一因となったともいえそうです。それから福、後の春日局役が樹木希林さんです。『翔ぶが如く』の幾島をちょっと思わせます。前にも書きましたが、この大河はベテランの女優さんが多いせいか、女性ばかりのシーンもそれなりに重みが感じられます。しかし今までは恐妻家的存在であり、情にほだされるような印象が強かった秀忠は、今後変わることができるのでしょうか。
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