いよいよ『陽だまりの樹』も大詰めです。幕府軍の指揮官として大坂に行った万二郎は、そこで幕府のお尋ね者の坂本龍馬と偶然出会います。そもそもその時は、兵たちの一部が、敵の首領の妹を匿う指揮官にはついて行けないと、万二郎に反旗を翻し、小競り合いを起こしたためでした。何とか鎮圧したものの、銃弾で羽織に穴をあけた龍馬に謝罪するべく、遊郭に彼を誘う万二郎。しかしこれが仇となり、指揮官の任務を解かれて、単身江戸に帰って蟄居するはめとなります。
万二郎が龍馬についてどれだけ知っていたかはわかりませんが、幕府軍の指揮官が、お尋ね者と酒を飲むなどとは一大事であることに間違いありません。しかし恩を感じた相手には、礼をせずにはいられない、この辺が如何にも彼らしいところです。しかもこの時、龍馬から議会政治について聞かされ、しかもそれは勝海舟の受け売りということまで耳にします。『JIN -仁-』でもそうですが、結構幕末史において、この勝海舟-坂本龍馬の師弟関係は侮れません。本来龍馬が、徳川氏を一大名として、諸侯による合議政体を作りたいと願っていたようですが、これも勝の影響が大きいでしょう。しかしその後戊辰戦争となり、この考えは実現しませんでした。
一方で良仙は、第二次長州征伐、四境戦争に軍医として赴いていました。何度治療しても負傷して帰ってくる兵士たち、それに半ば苛立ちを覚えながらも、自分が負傷することで、かえって彼らの気持ちを理解し、彼らのそばには軍医たる自分がいなければならないと考えるようになります。この辺は、ポンペの「医者はよるべなき病人の友達」という言葉に当てはまるものがあります。
この良仙が、まだ良庵と名乗っていたころに、適塾に入ったものの、毎晩のように遊郭通いを繰り返し、罰として師の緒方洪庵から、フーフェラントの内科書を1か月で習得するようにいわれる場面があります。このフーフェラントの書物の巻末の部分を、洪庵が翻訳してまとめた『扶氏医戒之略』にも、このポンペの教えと似たような部分があります。(扶氏医戒之略で検索するとかなりヒットします)
ところで頭を強打して以来、体を動かせなくなった綾は、万二郎の家に世話になりますが、夫の仇の妹である綾におとねは辛く当たり、餓死させようとさえします。綾が痩せ細って行くのを不審に思った良仙は、おとねを問い詰めて事実を知り、結局おとねは万二郎にもすべてを打ち明けます。その後綾は眼球を動かすようになり、光にも反応するようになります。
この綾の症状がどのようなものであったのか、ドラマでは定かでありませんが、恐らく脳に何らかの障害を受けたものの、自然に治癒していったというところでしょうか。万二郎の言葉にある「実際は耳も聞こえているかもしれない」は、万二郎の性格からして、おとねから真意を聞き出すためのものとは考えにくいのですが、彼自身の希望であったのは事実かもしれません。
しかし綾が回復するのとは逆に、幕府は勢いを増した薩長の前に、手も足も出ない状態となっていました。ついに万二郎は、幕府に巣食うシロアリ、つまり無能な老中を斬ると立ち上がります。今更そんなことをしても意味もないし、家禄召し上げになるのではと思うのですが、万二郎にとっては、これが徳川幕府への、いわば最後の奉公だったのでしょう。しかし彼の奉公は、老中を斬ることではなく、次の最終回での上野戦争で終結する形になります。
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