家康に側室は多くいたが、身分の高い女性は一人もいなかった、災いのもとと家康が考えたからというナレーションから第6回は始まります。伏見城に到着した家康は、鳥居元忠にもし留守を狙うのであれば、誰がいるかと訊き、元忠は石田三成であると答えます。主君のためなら平然と泥をかぶる男よと家康は言い、妊娠した亀をはじめ側室たちには、何かあれば元忠に従えと命じます。側室たちのうち、お梶は江戸まで連れて行くことにしました。その後家康一行は大津上に入り、城主京極高次の身内が複雑な関係であることに触れ、高次に自分の味方のふりをしろとほのめかします。その後高次の正室初、高次の姉で秀吉の側室だった松の丸も家康に目通りし、さらに東進して東海地方を目指します。
話変わって光圀の時代、怪しげな講釈師がこの時の家康の、あることないことをまことしやかに街中で話していました。光圀と助さん格さんはその場に駆け付け、光圀は自分が家康公の孫であることをその講釈師に明言します。一方佐和山では三成が、7月半ば辺りが我らの正念場と父正継に話し、そして人質に取られていた嫡男重家が戻って来ます。家康軍が東海道を江戸に向けて進む中、秀忠、秀康そして忠吉の兄弟は、上杉景勝家臣の直江兼続が戦上手であることから、家康の到着前に出陣をという案まで出ますが、秀忠はそれを諫めます。さらに家康にまた子ができたこと、嫡男を儲けるにはどうしたらいいかで秀忠は悩み、秀康はその手ほどきをします。しかしお江の存在もあり、秀忠にはかなり難しい問題ではありました。
そしてついに、三成の密書が大坂城に届きます。しかし片桐且元はこれに加担することに難色を示し、淀殿に自重するように勧めます。その後7月2日に家康は江戸入りし、謀反人を討って太閤殿下の恩顧に報いるべきと、家臣に檄を飛ばします。その翌日佐和山を密書を贈った大谷吉継が訪れ、三成は自分に加担してほしいと頼みますが、家康の罠にかかっているのではないかと吉継は懸念します。さらに11日には安国寺恵瓊が佐和山城を訪れ、先読みをせずにことに及ぶは剣呑と言い、毛利が加担するには条件を付けること、輝元は謀議に与しないことをはっきりさせます。その後、説得されても承諾しなかった吉継は軍勢を率いて佐和山城に現れ、三成を感激させます。同じ頃江戸では、家康が久々に会った側室や息子たちと会話を交わしていました。
今回は家康の江戸入りと並行して、身内や子供のことも描かれています。その1つが、京極高次の身内関連です。この人は秀吉の側室で、当然淀殿とはライバルでもあった松の丸殿の弟であり、しかもその妻はいとこに当たる初です。しかもその初は、淀殿の妹でありお江の姉であるという、これまた微妙な立場にありました。しかも松の丸殿や初の七光りで出世した、蛍大名であるとの批判もあった人物です。この人は最終的には、大津城の戦いで西軍を食い止め、その戦功によって若狭一国を与えられます。さらに嫡男ができない秀忠は、側室を持とうもうまく行かず、60近くにして戦の度に男児を含む子をなしている父を、どこか羨んでいるようにも見えます。
ところでこの回のサブタイトルは「多国籍軍」となっています。様々な大名の連合軍となった家康軍を、恐らくその当時何かと話題になっていた、この言葉になぞらえたものと思われます。しかしそれを言うのなら、過去にもこれに類した物はあったはずなのですが。それはともかく、上杉とで東西から家康を挟み撃ちにするというのが、三成の理念であったはずなのですが、その上杉は伊達や最上をも相手にしなければならず、その意味で、仮に家康が取って返さなくても、つまり関ヶ原の戦いがなく会津との戦いが膠着状態になったとしても、うまく挟み撃ちにできたかどうか、これはちょっと疑問に思います。
講釈師の役で三遊亭楽太郎(現・円楽)さんが出演していますが、流石本職の噺家、喋り方が違います。無論目の前の人物が家康公の孫と言っても、簡単には信じません。そういう時は、例の印籠を見せればよかったと思うのですけどね(笑)。
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