皇女和宮がヒ素を盛られ、仁が胃洗浄を指揮して一命を取り留めます。しかしなぜ、ヒ素を盛るなどという大胆なことをやってのけたのでしょうか。この第3話を観る限り、犯人は、野風の健康診断で乳がんを発見できなかった、そのため仁に密かな恨みを抱いていた三隅俊斉のようです。しかしもし彼だとしても、江戸城の大奥によほどの伝手がない限り、将軍の御台所を毒殺するのはかなり難しいと思えます。しかも、ヒ素を直接茶碗に入れた奥女中は自殺しており、かなりこれには裏がありそうです。
元々このドラマは医療ドラマですが、このヒ素の件に限っていえば、少なくとも殺人未遂事件であることは確かです。しかも、実際関係者が一人死んでいることを考えれば、後々仁にも影響を及ぼす可能性があります。このような事件が起こると、つい蘭方医の台頭を快く思わない漢方医のしわざと考えがちですが、蘭方の内輪もめと取ることもできます。仁もこの時代では「蘭方医」に認定されていること、そして漢方の福田玄孝が仁友堂にいることを考えると、仁をひそかに恨む、あるいは妬む勢力のしわざである確率は高いです。
結局仁は、咲よりかなり後になって釈放され、どうにか仁友堂での生活を再開させました。しかし、蔓を誰が持って来てくれたのかがはっきりしません。そこで浮かび上がるのが、途中で姿を消した野風の存在です。彼女が急にいなくなったことで、所詮花魁とはあのようなものだと陰口をたたく仁友堂の医師たち、しかし野風はそこまで恩知らずではありませんでした。むしろ自分の手術をしてくれたことに恩を感じていたわけで、そのため最初は再び身を売ろうと横浜まで行ったわけですが、そこでルロンと出会うことになります。
今後も仁、そして咲は医療を通じて、著名人と知り合いになり、またペニシリンを改良することにもなります。出自がよくわからない医師、しかも一部の人間から見たら「出過ぎた」「自分たちに邪魔になる」存在が、今後の幕末の動乱と、それによって負傷する人々、命を狙われる人々との関係の中で、どのように自らの立ち位置を定めて行くのでしょうか。彼が、未来に戻ることはありえるのでしょうか。
ところで最後の方で、野風が洋服姿で現れます。この当時は、『風と共に去りぬ』や、『若草物語』とほぼ同時代で、まだ幅の広いコルセットでスカートを膨らませるのが主流でした。しかし彼女の場合は、馬に乗るということもあり、スカートの広がりは多少抑えてあります。しかしそれでも現在に比べたら、かなりスカートのシルエットを横に張らせたデザインになっています。当時の女性はすべて横乗りで、鞍もそれ用の物が使われていました。ただし18世紀から19世紀ごろの海外ドラマを観ていると、旅行などで長期間馬に乗る場合は、下にズボン状の物をはき、上にスカートをはいて、男性同様に跨ることもあったようです。
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