この大河ドラマが始まって、そろそろ半年になります。しかし残念ながら、やはり文が久坂玄瑞の奥さんというよりは、いつまでたっても松陰の妹であり、杉家の娘というイメージが強いです。兄の寅次郎が刑死し、その後様々な門下生との交流があって、久坂とも結婚しているわけですが、それに伴う彼女の成長がどうも描けていない感じですね。惜しいです。それと7月からの奥女中編、あれで井上真央さんがグリーンの打掛を着ていますが、彼女にはもう少し柔かい色が似合うような気もします。
しかし「女性の視点」「幕末男子」云々は結局どうなってしまったのでしょう。まず女性の視点というのは、ここまでで見る限り、文パート、あるいは女性パートの不必要とも思える増加と、それに伴う戦闘場面の削減にしか感じられません。そういえば文の登場場面の削減という話もあったようですが、あれは一体どうなったのでしょうか。そして幕末男子、これがもう影も形もなくなっているようです。これも結局何をいいたかったのか、今一つ不明です。いわれるように、文というヒロインがいて、彼女の周りにこれこれこういう4人の「男子」がいますよという、「幕末版花より男子」のイメージだったとしか思えないのですが、やはりそれでは幕末ドラマは難しいですね。本来、こういうのと大河を結びつけるべきなのかどうかとも思いますし、結びつけるにしても、もっとうまい方法があるのではないかと思います。
恐らく制作現場も、当初はある意味変化を持ち込もうとしていたのかもしれません。しかしそれは、あまりにも大河ドラマにはふさわしくない変化だったともいえます。元々大河は、史実とフィクションを交えたものであり、フィクションの度合いが高いもの、低いもの様々で、その時々で賛否両論があったものの、要所要所はきちんと押さえてありました。たとえば織豊政権を描いたものであれば、本能寺の変と天王山の戦いは外せないし、さらに徳川家康が絡むとなれば、関ヶ原の戦いも当然出てくるわけです。安政の大獄以降の幕末であれば、桜田門外の変、池田屋事件、蛤御門の変から長州征伐、大政奉還から鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争までが1つの流れとなっています。観る側としては、その流れがどう描かれるのかも楽しみの1つなのです。
しかしこれらの歴史上のイベントが、この『花燃ゆ』ではかなり扱いが小さくなっています。本来、こういう流れを描くのと、女性の視点というのは矛盾するものではないでしょう。この2つを両立させられないことに問題があると思われます。あまりこういうのも何ですが、NHKは公共放送局であり、我々は受信料を払って番組を視聴しているわけです。その他に税金も投入されています。そして大河というのは、NHKの看板番組の1つです。制作側は何をどうしたいのかを、もっと視聴者に対してはっきりさせてほしいものです。どうもこのままでは視聴率も取れず、失敗作という形で終わりそうな気がします。
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