赤山靱負の切腹、そして大久保次右衛門の遠島と、吉之助の身の回りが慌ただしくなります。吉之助は斉彬に書状を送ると共に、赤山の血染めの着衣をも江戸に届け、それは斉彬の心を大きく動かすことになりました。そして嘉永4(1851)年、斉彬の父斉興は、将軍家慶に目通りするも、その場で朱衣肩衝(あけのころもかたつき)の茶器を渡されます。この茶器は戦国期の茶人、武野紹鷗が所有していたといわれていますが、これは即ち、隠居を勧告されたに等しいものでした。つまり、これからはのんびりと茶でも嗜んではどうかという意味が込められていたのです。斉興は当然これに立腹しますが、その斉興を斉彬が訪ねます。
斉彬は最早、父に薩摩を任せてはおけないと考えていました。そして父に短銃を見せます。あのロシアン・ルーレットのシーンです。斉彬はまず自分に向けて引き金を引き、無事を確認したうえで父に短銃を渡します。斉興は引き金を引くのを躊躇し、銃を取り落としてしまいます。当初は、実はこれには弾丸が込められていないのだろうと思ったものですが、後で斉彬が引き金を引いた際に、実際に弾丸が飛び出したことから、決死の覚悟であったことが窺えます。ともあれ、これで斉興は藩主の座を下り、斉彬が新藩主となりました。
この知らせが薩摩に届き、吉之助は内職に励んでいる大久保家へ向かってこのことを報告した後、まだ謹慎中であった大久保正助に笠をかぶせて、外へ連れ出します。言うまでもなく赤山靱負の墓前に、このことを報告するためでした。しかしその場には、既に糸が来ていたのです。後にこの糸と吉之助、正助の間でちょっと妙な具合になるのですが、それはまたその時に。ともあれ、晴れて新藩主となった斉彬は国入りを果たします。新しい殿様について走り出す子供たちを、追い払おうとする供の侍に対して、斉彬はこのように言います。
「手荒にするな、子供は国の宝だ」
そして自ら、子供たちに対して顔を見せる型破りな藩主でした。
その後正助の謹慎はまだ解かれず、吉之助は正助のために本を借り、糸は紙を差し入れします。一方で斉彬は、斉興時代の家臣をまだ重用しており、お由羅に味方した者たちに何の処罰もないということで、有村俊斎が怒りを露わにします。無論これは斉彬にも考えがあってのことでした。先代の家臣を引き続き登用したのは、論語に拠るところが大きいようです。そして斉彬の藩主就任により、御前相撲が開かれるのを知った吉之助は、これに勝って次右衛門をはじめ、斉彬のために尽力した者の赦免を求めようとします。この辺りが吉之助らしくはありますが、無論勝者には米10俵が与えられるのも大きな魅力でした。
そういう吉之助に糸は好感を抱いていました。しかし糸は父から海老原重勝との縁談を持ち出され、悩んでいました。しかし父直温にしてみれば、娘が郷中の男たちと親しくしているのは、あまりいいものではありませんでした。糸は結局、甲突川に掛かる橋の上で下駄を蹴り上げ、表が出たら嫁に行く、裏が出たら縁談を断ることにしようと思ったものの、勢いがよすぎたため、甲突川の中にいた人物の頭を直撃します。その人物は吉之助でした。
国入りを果たす島津斉彬(渡辺謙)
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