先日ご紹介した「『いだてん』“大衆離れ”で低視聴率の理由…偏差値60以上志向に陥るNHKの悪い癖」という記事に関してです。
『いだてん』“大衆離れ”で低視聴率の理由…偏差値60以上志向に陥るNHKの悪い癖
https://biz-journal.jp/2019/03/post_26909.html
「悪い癖」というと某刑事ドラマのようですが、それはともかく。ビジネスジャーナルではありますが、吉川氏の記事でないせいか、これにはうなずける部分がありました。私はこの記事のリンクを貼った武者さんのコラムに関して、特に『いだてん』が高偏差値でもなく、『西郷どん』や『まんぷく』が低いとも思わないと書いています。
高偏差値というのはこの記事全体より、記事中の一部の受験生向け番組に少なからず関係しているようです。高偏差値と言うよりは、よくいえば型破り、悪く言えば風変わりなことをしてみたいという気持ち、さらにスポンサー不在という点から、『いだてん』という作品を打ち出した結果、今までのファンからクレームがつくという事態になっていると思われます。私が見る限り、この大河は『おんな城主 直虎』と似たようなものを感じます。一部コミュニティでは人気があるが、それ以外の人はむしろ観ていないと言うべきでしょうか。
この記事で次世代メディア研究所代表の鈴木祐司氏(元NHK職員)はこう語っています。
「明治と昭和の2つに分断してしまっている。ということは、一筆書きで進んでいく物語になってないわけです」
「劇場で見る映画だったら、暗い中で集中して見るので、多少の複雑さはあってもいいですよ。だけどドラマというのは家庭で見るわけでしょう。そばで赤ん坊が泣いてるかもしれないし、幼児が甘えて抱きついてくるかもしれない。横から妻が家計の相談をしてくるかもしれない」
「やっぱり骨太の縦軸がないと、視聴者はついてこない。そういう基本のところを『いだてん』は大きく外しているんです」
「そもそも主人公が2人で、1つの軸になっていない。ドラマを見る時は(中略)誰かに感情移入して、エモーションを動かしたいわけです。ところが『いだてん』は極めて叙事的で、叙情的じゃない」
「人間ではなくて(オリンピックという)出来事が中心になっているわけです」
これらはすべて私も感じたことです。今まで曲りなりにも、たとえ近代物の大河でも守られていたことが、時代の行き来という縦軸の不在で、覆ったような印象がまずありました。しかも人物の描写シーンが限られていて、それに加えて人物のテンションが高く、演技が大げさに見えるといった印象も少なからず受けました。
ちなみに私は宮藤官九郎氏は、好きでも嫌いでもありませんでした。むしろ『あまちゃん』の時は評価していたほどです。しかし今回、評価そのものをやはり下げざるを得ませんでした。これに関して鈴木氏はこうも言っています。
「“クドカンらしい”といっておもしろがる人は、確かに1割ぐらいはいるでしょう」
しかしその一方で
「やっぱりクドカンファンというのはそんなにいなくて、皆ドラマの善し悪しで判断しているということでしょう」
「SNSだけ見ていると、『いだてん』が盛り上がっているように見えますが、それはラウド・マイノリティであって視聴率にはまったく関係ないんです」
前出の「一部コミュニティでの盛り上がり」も、あるいはこれと関係ありでしょう。ラウド・マイノリティ、声高な少数派と対照的なサイレント・マジョリティの方が、視聴率の高いドラマ、たとえば『相棒』などを支えているとも鈴木氏は語っています。
尚、同じように「挑戦的」というか、型破りさを売り物にした大河として『平清盛』があります。鈴木氏はこれにも言及しています。私はこれをリアルタイムで観ず、DVDで観たわけですが、そこまで挑戦的というわけでもなく、むしろかなり面白く観ることができました。少なくとも私に限っていえば、清盛はある程度好きでもいだてん好きとはいえないわけです。やはり『平清盛』の場合、平家一門という縦軸があったためでしょうか。確かに人物関係は複雑でしたが、そこまで難解というものでもありませんでした。
また『あまちゃん』に関しては、鈴木氏いわく
「天野アキの成長物語という縦軸が非常に明確でした」
また天野家の女性三代が度々登場するため、「感情移入もしやすかった」とも分析しています。そして私の場合、この朝ドラのOPも好きでした、ボーカルなしのシンプルなバージョンと、列車が走るシーン、主人公の天野アキが走るシーンなどにも朝ドラらしい躍動感が感じられました。
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