まず今回はこれから。
サンウルブズ、チーフスに30-15で勝利、アウェイでは初白星!
いやはや、相手が今一つとはいえよくやりました。これで今後に弾みがつくといいのですが…しばらくアウェイが続きます。それ以外にも、来年開催予定?の新国際大会絡みのニュースなどもありますが、これはまたラグビー関係で書きたいと思います。
では本題に行きます。『いだてん』を観なくなってもう3週間になろうとしています。嘉納治五郎をはじめとする登場人物とか、時代背景などは納得できなくもないのですが、2つの時代を交錯させるような描写がちょっとくどくて、エキセントリックな雰囲気が強いのがどうもしっくり来ません。少し前に「言わんとすることはわかるけど、今一つ乗れない」といったことを書いていましたが、その「乗れない」気持ちが強くなったからでしょう。無論こういう描き方が好きという人もいるかもしれません。
ただ私としては、同じ題材、同じ時代背景でいいから、もう少しオーソドックスな方法がよかったかと思ってはいます。いずれにしても結構個性が強い人物もいるのですから、そちらの方がくどくなくキャラを活かせたのではないかと。あと、オリンピックが題材というのが馴染めないという人もいるようです。同じオリンピックを描くにしても、南部忠平・織田幹雄・田島直人の三段跳び金メダルトリオでは駄目だったのでしょうか。金栗は地震による熊本支援のためとともいわれてはいましたが。
それとビートたけしさんの志ん生がやはり違和感ありです。プロの噺家さんか、せめて中村梅雀さんあたりでよかったかもしれません。梅雀さんは『おんな城主 直虎』の「竜宮小僧」でナレを担当していましたが、それより前に『葵 徳川三代』で水戸光圀に扮して、アバンでナレーションというか狂言回し的な役を担当し、これが結構決まっていました。あの口調なら、ナレも噺家役もこなせたのではと思います。
それと武将ジャパンの『いだてん』関連をいくつか見たのですが、やはり疑問ありです。いくつか挙げてみます。
第2回「坊っちゃん」で、四三が冷水浴をするシーンがあります。その時は当然裸なのですが、武者さんはこれに何も言及していません。一方『西郷どん』の相撲シーンとか、『まんぷく』の塩作りで褌一本の姿が登場した時は、何かのように批判しまくっていました。さらに四三も美濃部孝蔵(志ん生)も、ストイックで不器用でちょっとお馬鹿さんなどと書いていますが、『西郷どん』の吉之助が若かりし頃、斉彬のために奔走した姿をこのように表現はしていなかったと思います。何かもう、安定のダブスタといった感じです。
それから第3回「冒険世界」で、三島兄弟の母親和歌子が字が読めず、女中のシマに徳富蘆花の『不如帰』を読んでもらうシーンがあります。この時弥太郎は、字が読めないから機嫌を損じないよう、適当に取り繕って読むようにシマに言います。しかし後で映画化された『不如帰』を観た和歌子は、自分が非情な女に描かれていたのを知り、激怒します。で、この字が読めないという点ですが、この時も、『西郷どん』では糸が郷中の少年たちに混じっていた、おかしいといったことを書いています。これは比較対象が正しくありません。この場合は、『西郷どん』第44回の冒頭に登場する隆盛の漢詩を、川口雪篷が読めるのかと訊いて、糸が「まさか」と言うシーン、あれだと思います。 和歌子が全く文字が読めないのか、漢字が読めないのかは知りませんが、後者であれば糸もまた同じなのです。それから、明治期の薩摩女性の識字率へ持って行くこともできるでしょう。
武者さんは、『花燃ゆ』と『真田丸』でも似たようなことがありました。『花燃ゆ』のお城での野菜栽培は季節感がなくておかしい、『真田丸』の海津城の百日紅は季節感があるという内容だったのですが、私もあの野菜はちょっとおかしいと思います。しかしこの場合は、高杉晋作逝去時の桜の花の方が比較対象になりえたでしょう。旧暦の4月だから今の5月位なのに、桜があれだけ咲いているのはちょっと不自然に感じられました。しかもこの時、花がやけに高い所から落ちているため、何だか雪のように見えていました。
さらに、第6回の記事の後の方ですが、『いだてん』の視聴率はそう伸びないと最初のコラムに書いているにも関わらず、なぜか
「私の事前予想が着々と当たり始めていて怖いものもある」
と前置きしたうえで、
「数字がここまで厳しければ商品としては失敗」などとあります。
そして『平清盛』路線であると決めつけていますが、そう簡単に一緒にしていいものでしょうか。清盛は視聴率が一桁になったのは夏ごろからで、最初中井貴一さんの忠盛が出ていた辺りから平治の乱頃まではそこそこの数字でした。しかもその後一旦巻き返してもいます。
しかも大河は今後巻き返せるかというとそうでもないと言う。こんな挑戦的な作品は『平清盛』同様、正当な評価を受けないとも書いていて、随分と悲観的な印象を受けます。そして大河に求められている「味」に欠けていると来て、その次に
「大河の味に飢えたら過去作を振り返ればいいという時代は終わりました。ちょうどよい代わりの作品が見つかる時なのです」
とあります。
私としては、『いだてん』は大河よりむしろスペシャルドラマ的だと思います。一部のマニアックな視聴者なら受けはいいでしょう。ただそれと「大河」とはまた違うのではないかと思います。
大河に求められている「味」云々の次に、ドラマとしてはよいが、大河としてはどうかとも書かれていますので、武者さんもあるいは似たようなことを考えているのでしょうか。つまり「大河」らしくないというのを認めているのでしょうか。ただ前出の表記では、「大河の味に飢えても過去作を振り返るな、ちょうどよい代わりの作品を待て」という意味にも取れます。
しかし「ちょうどよい代わりの作品」とは、具体的に何のことなのでしょう。 レビュアーならそれを示して然るべきでしょう。
それにしても数字がよくないのは想定内なのに、なぜこの部分で、自分がこれだけほめていた『いだてん』を否定するような書き方になるのか。何やら迷いが感じられる文章ではあります。
それと応援は続けますとありますが、武者さんの仕事はレビューであり、それと応援とはまた違ったものだと思われます。また東京オリンピックは現代劇ではないということですが、恐らく60代以上であれば、何らかの形でこれを実際に観たことのある人は多いと思います。つまり、自分の実体験として捉えている人もいるわけです。 そういう人は「現代劇」とみなすでしょう。他にも若者は大河を観ていないといった意味の文章もありますが、こういうのは年配の視聴者の否定にもなりかねないのではないでしょうか。
それと「ここ数作の不出来なドラマを見ていて」という表現もあります。このドラマとは大河のことなのでしょうか。ならば、あれだけ評価していた『真田丸』も『直虎』も不出来だったということになるのですが…。
一度ここのところ、自分でリライトしてみようかと思っています。
スポンサーサイト