先日の投稿で、ルサンチマンについてちょっと書いています。弱い者が強い者にネガティブな感情を抱くことですが、ただそれだけではありません。弱い者が自分たちを善とみなし、強い者を悪とみなすという、価値転換の概念までが含まれています。ニーチェやキェルケゴール、マックス・シェーラーなどがこれに関しての概念を定義づけていますが、とりわけニーチェの物が有名です。弱い者が善であり、強い者が悪であるというのもニーチェの概念に基づいています。これは特にこの人物のキリスト教批判の根幹を成す発想で、強者であるローマ人と、弱者であるキリスト教徒との関係に基づいているとされています。
その他にも社会主義運動は、このルサンチマンに基づくという説もあります。生憎読んだことはありませんが、『ルサンチマン』というコミックもあります。平たく言えば、特に相手が強者でなくても、自分より勝っていると思うと自己肯定がしにくくなり、その結果自分より勝る(と思っている)相手に対して屈折した感情を抱くことになります。被害者意識と取れなくもありません。武者さんの朝ドラコラムについて感じたのは、『半分、青い』という朝ドラの主人公に同調するがゆえに、それとはまったく違う立場である、『まんぷく』の主人公福子を叩くというものでした。しかし両者の立場は異なり、一概に比較できるものではありません。
そしてこれも先日書きましたが、別に福子は現時点では、弱者からネガティブに見られる強者の立場ではないはずです。むしろ立花夫妻もまた、色々と苦労を重ねて家計のやりくりもしているのです。また昨年末の『西郷どん』の総評コラムには、フランスのイエローベスト運動に賛同するかのような記述もありました。その時もこのブログで書いていますが、一応法治国家であるのなら、果たしてそこまでするべきか疑問でしたし、ましてみだりに理想化するべきでもないだろうと思いました。こういう物の見方が、朝ドラや大河の「レビュー」で目にする、あまり中立的であるとは言い難い感想や意見ににつながっているのではないか。そのようにも見えるわけです。
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