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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
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いだてん第6回「お江戸日本橋」

羽田で行われた予選の後、嘉納治五郎は2人の選手をオリンピックに派遣することになります。しかしそうすんなりとは決まらないようです。

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羽田で行われた予選の結果、大日本体育協会は選手をオリンピックに派遣することになった。その一方で四三は、播磨屋に謝ろうとするがなかなか決心がつかなかった。その時清さんがやって来て、四三を中に連れ込む。実は播磨屋は、新しく足袋を改良して四三に渡そうとしていた。その足袋ははき心地も上々で、これなら破れることもないと思い、四三は大喜びで店を出て、その足袋を履いてから学校の周辺を走り始めた。

しかしオリンピックの出場を認められたもの、体協は誰を選ぶかを決めあぐねていた。協会内には送り出す予算も乏しく、文部省にも掛け合ってみたが、特に最有力候補の一人三島弥彦は帝大生であり、国費で学ばせている学生をひと月も外に出すことには反対していた。弥彦は自費で行かせることにしたが、最大派遣できるのは2人までだった。可児は自分が経費で優勝カップを作ったことを詫びるが、嘉納治五郎は意に介していなかった。そして校長室に四三が呼び出される。

四三はオリンピック出場を伝えられるが、行きたくないと答える。四三はマラソンの世界記録のタイムも知らず、自分の努力の成果を確かめようと思って、羽田の予選に参加したのだった。学校の周辺を走っていたのも、新しい足袋の感触を試すためであり、そもそもオリンピックの何たるかさえ知らなかった。優勝カップのOLYMPICの文字も、この時になって初めて意味が分かるという始末だった。これは嘉納を少なからず落胆させた。またオリンピックのポスターに描かれた日の丸を見せられるものの、そのポスターの裸像に驚き、さらに負けたら切腹ですかとも言って嘉納を驚かせる。

その後嘉納は弥彦に交渉するが、弥彦も卒業年であること、文部省から釘を刺されたことを理由に断ってしまう。こうなれば2位、3位の者を行かせざるを得ないのかというところまで体協は追い詰められる。さらにその時辛亥革命により、清国の留学生が国からの仕送りを期待できず、帰国しようという騒ぎになった。嘉納は今帰っても何にもならないと引き止め、彼らの滞在費や学費を負担することになるが、途方もない大金を借りることになり、生涯それを返済できなかった。

四三は校長室を訪れ、カップを返そうと考えていた。しかし嘉納は皆が君が行くことを期待していると言い、オリンピックの説明をして頭を下げる。さらにかつて日米通商修好条約の際の使節が、侍の姿という、アメリカ人に取っては異様な風体であったことを告げ、先駆者は何であってもつらいものだと言う。四三はかなり迷っていたが、頭を下げられてオリンピック行きを承諾した。嘉納は大いに喜び、また費用は文部省が支弁することにしていたが、自分の金で行った方がむしろいい、切腹もせずに済むとも言う。嘉納がこう言い出したのは、体協の苦しい台所事情によるものだった。

四三は羽田を訪れていた。あの後学校で地図を見せられて、ストックホルムがどこにあるかを初めて知り、しかも旅費はどう切り詰めても1800円だと可児に言われる。四三は迷った挙句、これを実家に手紙で送ることにした。それでもポストに入れることをためらっていたが、播磨屋の子が尻に抱きつき、その勢いで投函してしまう。昭和35年の子供たちの、オリンピックのすばらしさを学校で学ぶ声が四三にオーバーラップする。

その昭和35年、オリンピック組織委員会の事務総長である田畑政治は、車の中から足袋姿で走る男を目にしていた。ラジオからは志ん生の落語が流れていた。志ん生は若い頃、客の円喬を乗せて日本橋と浅草を回っていた頃、から落語は耳でなく足で覚えるものだと教わっていた。弟子の五りんにもそれと同じことを聞かせるが、五りんは古典落語より東京オリンピックの噺の方がいいと言う。この噺では日本橋と浅草を走っていたのが、いつの間にか浅草と芝になっていた。

再び明治末期、四三はオリンピックのコースと似た上野、浅草から芝までを走っていた。同じ頃、同じ東京を車を引きながら走っていた孝蔵、若き日の志ん生とすれ違う。その頃、四三の手紙は実家に届いていた。

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金栗四三は、あれが予選だとは気が付かなかったようです。さらにオリンピックの何たるかも知らず、嘉納治五郎に取っては誤算続きでした。しかもやっと四三がストックホルム行きを決めたものの、予算が足りないためうまく誤魔化してしまいましたね。四三は結局金の無心をする手紙を出すことになりますが、そんな大金をぽんと出してくれるものでしょうか。それと後の方で、田畑政治が初めて登場しますが、やけに既視感があるシーンです。というか、第1回の志ん生の車が渋滞するのと同じパターンですね。ただ田畑の場合は、ラジオから志ん生の声が流れるという設定になってはいましたが。

それから足袋の件。何だかんだと言って、結局四三は自分の非を認めたようです。この播磨屋の如何にも職人肌的な主人は、今度は足袋を改良してくれていました。加えて清さんにコースのアドバイスをしてもらうなど、どう見ても協会より市井の人々の方が協力的なようです。結局芝まで走るというのが、志ん生の噺の芝につながって行くのでしょう。一方弟子入りする前の志ん生、つまり美濃部孝蔵も橘家円喬の人力車を引いて走らされますが、これは落語の中の距離感を覚えさせる意味があったようです。

さらに今回気づいた点ですが

  • 嘉納治五郎が何かアクションをするたびにポスターが歪むのが、『直虎』の天目茶碗のシーンを思わせます。
  • 四三は既に上京して2年ほど経っていますが、まだ方言丸出しで話しているようです。このまましばらくは熊本弁で通すことになるのでしょうか。
  • 安仁子のドレスがまだバッスルスタイルのようですが、この当時既にもう少しラインが細身になり、ホブルスカートと呼ばれる、膝の部分を縛ったスタイルの服装も登場しています。無論欧米の流行が日本にもたらされるには、いくらか年月がかかったかとは思われますが。
  • 清の政治制度として、皇帝制なる言葉が登場します。あまり耳慣れない言葉です。「帝政」の方が、恐らくはふさわしいでしょう。
  • 日米修好条約を結びに渡米という嘉納治五郎の言葉がありますが、厳密にいえば批准書の交換ですね。そして勝海舟に言及していますが、嘉納の父親が勝のパトロン的存在だったことに由来しているようです。ここで遠藤憲一さんが出て来たら笑いますが…。

なお、この稿を以て『いだてん』エピソード&感想は中止しています。その理由については下記の投稿をご覧ください。

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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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