第44回「落ちゆく巨星」、秀次の許へ石田三成をはじめ奉行衆が乗り込みます。それは秀次の謀反の医師を咎めるもので、秀次は濡れ衣を晴らそうと、如水の言うことも聞かず自らことを起こします。秀吉はひとまず秀次を高野山送りにしますが、茶々の拾のことを考えてくれの一言で、秀次に切腹を命じます。最早秀吉の暴走を諫める者はいませんでした。これが原因で、おねと茶々の対立は深まって行きます。さらに秀吉は、秀次に関わった者を悉く処罰しますが、如水と名を改めた官兵衛には、少禄で自分に仕えることを条件に咎めなしとします。しかしその一方で秀吉は老い、褥で粗相をするようになっていました。また如水の再びの出仕を、奉行衆は陰で悪しざまに言いふらしていました。
福島正則の許へ、長政の手紙を届けた母里太兵衛は酒を勧められます。正則同様酒豪である太兵衛は、少々の酒ではびくともしません。ついに、正則が如水のことを悪く言ったことに対し、正則自慢の槍日本号を賭け、大盃で酒を飲み干します。手に入れた槍を捌く太兵衛を見ながら、如水の二男熊之助は、いつか自分も槍を手にしたいと願います。そして熊之助もまた、父の悪口を耳にしていました。そのような中、明からの和睦の話はなく、秀吉は朝鮮に再び兵を送ることを決めます。長政や小西行長が止めようとするも、秀吉は耳を貸しませんでした。そして如水は、自分を軍師として朝鮮に送ることを秀吉に申し出ます。秀吉は大喜びしますが、如水は傷口をできるだけ広げたくないというのが本当の気持ちでした。
翌慶長2(1597)年、黒田家でも長政が出陣し、如水もその後を追います。熊之助は初陣を飾れず、不満げにしていました。豊臣家では拾が秀頼と名を改めます。一方徳川家康は、薬草を集めて家臣たちに薬を作らせながら、秀吉も生い先短いと踏んでいました。そうなれば再び内乱が起こるのは必至であり、長生きはするものよと一人つぶやきます。また如水は病床の小早川隆景の許を訪ね、中国攻めの頃の話をします。あの頃は楽しかったと言う如水。隆景はほどなく世を去り、養子の秀秋が後を継ぐことになります。そして如水は海を渡って朝鮮へ入りますが、同じ頃熊之助の姿が見えなくなります。侍女のお道が光に、熊之助の置手紙を差し出します。それには、太兵衛の子吉太夫と朝鮮へ行く旨が書かれていました。
秀吉の老いて行く姿が描かれます。この大河の茶々は、気が強そうであることは前にも書きましたが、秀次の謀反の噂と言い、陰謀めいたものを感じさせます。そして秀吉もまた年を取りって病みがちになり、拾の邪魔だてをする者を容赦なく斬り捨てるようになっていました。この秀吉といい秀次といい、諫めてくれる譜代の臣を持たない人物の悲劇とも取れます。徳川家康が薬を作らせている家臣たちがあれこれ言いつつも、いざとなったら、この主のために命を投げ出すように見えるのとは対照的です。これらの描写といい小早川秀秋の登場といい、はたまた奉行衆と如水の確執といい、関ヶ原を暗示するシーンがかなり出て来るようになります。
そして日本号です。如何にも賤ケ岳七本槍といった感じですが、母里太兵衛が酒に弱かったら、そして、酒を飲み干す時に賭けたのが別の物であったのなら、この槍も恐らくは福岡市博物館の所蔵となってはいなかったでしょう。「酒は飲め飲め飲むならば」の黒田節にも歌われていますが、元は皇室の所有という由緒ある物です。福島正則もかなりいける口ではあり、『真田丸』で秀吉、真田信繁と遊郭に行った時に、一人違った大きさの桝で酒を飲むシーンがあります。これを見た秀吉が、桝の大きさを均一にすることを思いつくという設定です。しかし『天地人』で千利休の娘に投げ飛ばされるという描写は、ちょっといただけませんでした。
それと先日『前田正名ー龍馬が託した男ー』関連の投稿で、放送を包装としていました。失礼いたしました。当該箇所は、修正しています。
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