第9回で万二郎は、幕府陸軍の歩兵組の隊長を命じられます。この幕府陸軍というのは、文久2年、1862年に創設された西洋式の陸軍で、外国からの防衛と徳川幕府維持を旨としていました。長州征伐に出陣したことで有名ですが、その後鳥羽伏見の戦いや、戊辰戦争にも従軍しています。軍隊としての教育は、最初はオランダ式、その後フランス式になったといわれています。また、その途中でイギリス式も採り入れられています。元々は1850年代に、西洋式軍隊の基礎的な体制が作られ、教育も行われていましたが、井伊大老時に一度中断されました。
また、西洋式の軍隊である以上、軍服もいくらか西洋式になっていました。ドラマでは万二郎が、詰襟の軍服風な物に笠、帯刀でわらじを履くという、和洋折衷の服装をしています。兵たちも同じような格好をしており、それぞれが銃を手にしていました。この相手に対して、眞忠組の武器は主に刀と弓矢でした。一方西洋式の銃は、農民兵であっても命中率はそこそこのもので、眞忠組総崩れの一員となりました。もちろん、万二郎が父の仇である、楠音次郎を斬ったことも大きかったのですが、これが後に波紋を呼ぶことになります。
ところで良仙の方は和服でした。軍医らしく軍服を着るという習慣もこの頃はまだなく、いつもの服装のままで従軍し、また負傷者の治療をする際も、自宅で診療をする時の格好で、次々と運ばれてくる者に手当てを施して行きます。そして良仙はこの時、既にこと切れている者、手の施しようがない者よりも、助かる見込みのある方を優先するという、いわば戦時における非情さをも学びます。当初はそれに違和感を覚えた者の、その後、なぜ軍医という存在が必要であるのかを、良仙は身を持って知ることになります。
幕府軍は基本的に洋式、あるいは洋式軍服を模した格好ではあったものの、たとえば第二次長州征伐で、幕府に与した藩の中には、昔ながらの甲冑を身にまとい、さながら戦国時代の合戦のようないでたちで征伐に臨んだ藩もいました。これに対して長州は、和式ながら機動性の高い服装を身にまとい、鉄砲だけで相手を倒したといわれます。この長州軍の格好は、後に勝海舟が「紙くず拾いのような格好」と表現しました。ちなみに後の帝国陸軍は当初フランスをモデルにした軍服でしたが、普仏戦争後はドイツ陸軍に倣うようになります。
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