文久3年(1863年)5月。万二郎は幕府陸軍歩兵組の隊長を命じられた。この歩兵組は農民出身者で構成されており、鉄砲をかつがせて進軍させようものなら、すぐに音を上げる者ぞろいだった。何とか士気を上げようと考えた万二郎は、ある兵が歌っていた歌を進軍の際に歌わせて、覇気をみなぎらせるようにした。一方母のおとねは縁談を進めようとしていたが、万二郎はおせきが忘れられずにいた。
お玉が池の種痘所は西洋医学所となり、二代目の頭取として、緒方洪庵が大坂から赴任してきていた。ある日良庵改め良仙は、洪庵から軍医にならないかと誘いをかけていた。軍医より町医者の方が金になると考える良仙は、万二郎とそのことを話していた際、歩兵組の兵は農民ばかりなのかと訊く。万二郎は、国を守るのに士も農もない、まず強い軍隊を作ると答える。
その後良仙は、洪庵に同行するとおつねに嘘をついて、遊郭で数日を過ごしていた。いよいよ帰宅する日、遊郭の2階の窓からは黒船が見えていた。その後帰宅した良仙は、おつねから洪庵の死について知らされる。西洋医学所へ走り、洪庵の枕元で軍医になると誓う良仙。
その頃上総一帯では、眞忠組を名乗る一団が跋扈していた。名前とは裏腹に、彼らは豪農を脅して金を巻き上げ、小作農にばらまいているごろつき集団だった。関東取締出役の馬場俊蔵に呼び出された万二郎は、一団を討伐することになる。その頭領は、父の仇楠音次郎だった。しかし、眞忠組には農民も混じっており、同じ農民を討つことは出来ないと兵たちは渋る。
屯所に良仙が軍医としてやって来た。その前日万二郎は、討伐に気乗りがしない者は歩兵組を離れろと兵たちに言い渡しており、翌朝残っていた兵はわずか3人だった。しかし万二郎は、それでも決意を固める。それを耳にした兵たちが、ぞろぞろと歩兵組に戻ってきた。
進軍の途中、川のほとりで休憩していた歩兵組の兵が武家の女をからかったため、万二郎が諌める。綾というその女は、東金方向に行くと言い、同行を誘い出る万二郎をなぜか断る。お前は相変わらず、女を口説くのが下手だなと良仙は万二郎をからかう。
実は綾は、楠音次郎の妹で、幕府軍の情報を兄に教えていた。一方東金にあった幕府陣営に忍び込んだが、万二郎たちに捕まえられ、牢に入れられる。兄の助命を嘆願する綾だが、法を破ったのは事実だと言い放つ万二郎。いよいよ決戦の時が来るが、良仙は今一つ戦に乗り気ではなかった。そして5月17日の未明、幕府軍は眞忠組の拠点を取り囲む。
近代式装備を揃えた幕府軍の前に、眞忠組はなす術もなかった。野戦病院の良仙は大忙しになり、万二郎は音次郎を追い詰めて、苦戦しながらも父の仇を討つ。牢の中では綾が、銃声を耳にしていた。勝利は納めたものも、多くの負傷者と何名かの犠牲者を出し、「こんなに死人や怪我人を出して何がめでたいんだ」と良仙は声を荒げる。万二郎はこれが戦だというものの、彼も素直に勝利を喜べなかった。
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