ではいよいよ、『西郷どん』まとめに行きます。と言っても今後しばらく関連した投稿を続けると思いますので、ざっとではありますが。その前に「印象深い3人」として、この人たちの名前を挙げておきます。
熊吉
幾島
西郷小吉
いささか年齢不詳気味の熊吉は、塚地さんが正に適役でしたし、幾島もあのお婆ちゃん然としたところが様になっていました。南野陽子さんの演技力に敬意を表したいところです。そして西郷小吉、つまり吉之助の少年時代を演じた渡辺蒼君、自顕流の稽古のシーン、右腕を斬られてひどく落ち込むシーン、そして島津斉彬と出会うシーン等々、かなり印象に残るものがありました。第1回だけの登場でしたが、また何かで出て来てほしいものです。
それからいい点とよくない点に関して。
この大河は私自身好きだったこともあり、その意味で「あばたもえくぼ」状態であったかとは思いますが、吉之助の成長物語と位置づけ、家族や人との出会いを中心に描いた点は評価できます。これもまた一つの描き方ではあるでしょう。特に島編は丁寧に描かれていました。この島編に関しては、長すぎるとか、これを削って京都編に回せと思った人もいたかとも知れません。しかしこの大河では、島編が大きな役割を果たすわけですから、むしろこの部分に尺を割いてよかったのではないかと思っています。
よくない点としては、やや粗削りな感があったことです。どうしても吉之助や、身近な人々との描写が中心になるため、お由羅騒動や薩英戦争が端折られたふしはあります。後の薩摩藩に影響してくるわけですから、多少それらしき描写があってもよかったかとは思います。但し、久光への直訴のため重富島津家へ向かうところとか、赤山靱負の切腹はきちんと描かれていました。西南戦争に関しては、真意がやや見えにくいところもありましたが、西郷隆盛自身が謎の人物というところがあるため、それはそれで納得できます。
それからこれは何度か書いていますが、そしてあるツイートから関連ツイを見て行ってわかったのですが、やはり『翔ぶが如く』と比べる人はいるようです。そのツイートをした方も、こういう比較には批判的なようでした。そもそも『西郷どん』は『翔ぶが如く』のリメイクではありません。同じ西郷を主人公にしてはいますが(『翔ぶが如く』は大久保利通も)、この2つは全く別の作品です。先行作品の無謬性にこだわるのも如何なものかと思います。『翔ぶが如く』もフィクションが入っていますし。
史実は大事なのですが、ドラマである以上当然フィクションは入ります。そのフィクションをどう受け止めるかは、最終的には個人の判断に委ねられます。それと史実と一口に言っても、複数の説があり、しかもそれぞれ微妙に違うこともあります。意外なものが史実だったというのもまたあるわけです。今後も鹿児島の歴史関連でまた投稿予定ですが、その中で、あるいは意外な発見があるでしょうか。
それと今回もこの方関連で申し訳ないのですが、武者氏の『西郷どん』関連記事で、第1回で子供たちが(有村)俊斎坊主の提案で、磯御殿に忍び込んで菓子を盗もうとしたのがけしからんという記述があります。確かにけしからん行為ではありますが、それを言うのであれば、『おんな城主 直虎』で、次郎法師は出家の身でありながら、畑の野菜を盗んでしまっているのですが、それは構わないのでしょうか。あれは本人の出家生活に対する考えが甘すぎたこともありますが、この時周囲は出家生活の厳しさを説くというより、娘のおかげで本領安堵になって、有難がるという描かれ方だったのもやや疑問です。
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