少し前に
成長物語としてのホームズそしてピノキオ という投稿をしています。実はその記事の方にもリンクを貼っており、そのリンク先「少年が大人になるための試練」では、カトリック圏での聖母信仰に触れています。『ピノキオ』とか『母を訪ねて三千里』などは、正に母なる存在を求める少年のイメージともいえます。(『ピノキオ』は「女神信仰」と結びつくという説もあり)そして、そのピノキオに鼻の形がそっくりなパペットホームズの主人公も、カトリック圏の話ではないとはいえ、ベイカー寮の寮母ハドソン夫人と、保健室のアイリーン・アドラー先生の2人の女性と常に接しています。
特にこの人形劇の場合は、保健室がホームズたちの溜まり場になっている印象があるため、よけいにこのアドラー先生と接する機会は大きいといえます。ではそのアドラー先生は、『ピノキオ』の妖精のように、ホームズに対して慈悲深い存在かというと、実はそうでもないのです。この場合の母親的存在は、ホームズのことを「シャーロック」と呼び、勝手に部屋(221B)の掃除をし、自分が焼いたクッキーを振舞いたがるハドソン夫人の方でしょう。
ではこのアドラー先生はどうかというと、単に保健室の先生というよりは、時と場合によっては、ホームズを抱きしめたり、あるいは鼻をぴんと弾いたり、「はい、あーんして」と、蜂蜜を食べさせたりといった感じで、何やら疑似恋人のような雰囲気も漂います。無論アドラー先生には、ノートン先生という恋人がいるわけです。しかしその前にオルムシュタイン校長と不倫の関係にもなっており、さらに奥さんと分かれなければ写真を見せると脅したりで、いささか一筋縄では行かない人でもあります。ちなみに蜂蜜は、ホームズが後に養蜂家になるという視点からのものです。そもそもこの保健室には蜂蜜以外まともな薬が(酔い止め以外)なく、その点で驚きなのですが、先生は、殆どの生徒は仮病だからとすましたものです。
さらにホームズの方も、先生が部屋を訪ねて来た時に大急ぎで片づけをしたりと、日頃女性に関心がない振りをしつつも、彼女に対しては特別な思いがあるようです。ただし最後の最後、ホームズが一番助けを求めている時にこの先生は不在で、しかも新婚旅行に出かけているということを聞かされます。しかも相手はノートン先生ではなさそうです。ホームズにしてみれば心が折れるような経験であり、それでもというかそれだからというべきか、学校を去って行く時に先生の幻を見ます。アイリーン・アドラーはホームズに取って永遠の女性ともいわれ、また知性においてホームズを出し抜いたともいわれますが、このアドラー先生は少年に取っての憧れの存在であると同時に、肝心な時に彼を(自立の目的も込めて)突き放す存在でもあるようです。
ところでホームズの兄マイクロフトもかつて仮病を使っており、保健室を出て行く時にたまたま来ていたホームズを見て、あけすけに「弟は先生が大好きで」などと言っており、その時にアドラー先生は、やはり兄弟だったのねと再確認する設定になっています。実はこの兄弟には確執があるのですが、それはここでは省略します。ちなみに『ミス・シャーロック』についても以前投稿していますが、この時のマイクロフトに相当する役は小澤征悦さんが演じています-この人は『篤姫』の西郷吉之助よりこちらの方がいいと思います。
パペットホームズのアイリーン・アドラー(『シャーロックホームズ』公式サイトより)
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