戊辰戦争が終わり、新政府に留まるように誘われるも薩摩に戻った吉之助は、吉二郎が家政を取り仕切っていたことに涙します。その後髷を切り、そのまま鹿児島に留まって、菊次郎を奄美大島から引き取るのですが、時代が彼を再び必要とします。
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明治37(1904)年。京都市長に西郷菊次郎が就任した。この西郷菊次郎は西南戦争で負傷し、義足をつけていた。その菊次郎に助役の川村鉚次郎は、台湾で一緒に仕事をしたことを話し、また一緒に仕事が出来るのは光栄であると言い、台湾での地元に寄り添う政治をほめ、流石は大西郷の長男であると言う。菊次郎はそれまで父の存在をひけらかしたことはなく、また菊次郎という名前ゆえ、嫡男ではないと川村に断る。そして、父のことをすべて知っているわけではないが、明治2年の頃からなら覚えていると前置きし、川村にその当時の様子を語り始める。その頃故郷に戻った菊次郎の父、西郷吉之助は隆盛と名乗るようになっていた。
薩摩は版籍奉還により名を鹿児島と変え、隆盛は農作業の手伝いをしながら暮らしていた。同じ頃、糸と熊吉は菊次郎を引き取りに、奄美大島の愛加那を訪ねていた。愛加那は子供たちを、自分ではなく吉之助の子として育てたと言い、奥様(糸)の力で立派な薩摩の男にしてくれと頼む。糸は吉之助を救ってくれたことに礼を言うが、愛加那は好いた人の命を守るのは当然と答える。そして菊次郎は、借金を完済した西郷家の新しい住まいにやって来た。信吾の妻清も加わって、西郷家は再び大所帯となっていた。当初はぎこちなかった寅太郎も、菊次郎に愛犬のゴジャとツンを紹介する。その時隆盛が帰宅し、菊次郎も出迎えるが、母愛加那から聞かされていた立派な侍という印象はなかった。
菊次郎は嫡男は寅太郎と母から聞かされ、寅太郎を立てようとする。そして翌日から郷中教育を受けるようになったが、まだ不慣れな点が目についた。その時海江田武次が西郷家を訪れ、隆盛に、国父様から呼び出しがあったと伝える。版籍奉還により、藩主たちはかつてのような権力を失っていた。しかも薩摩の忠義と底力を示すという言葉のもと、民も領土も返上したものの、戊辰戦争から復員した者たちが力を持ち、久光は面白くなかった。久光は隆盛に尋ねた。
「お前の言うご一新とはこういうこっか?」
一方菊次郎は、兄なのになぜその名なのかと他の子供たちが言うのに戸惑っていた。
東京では新政府の中で意見が割れていた。木戸孝允は隆盛の官位が、島津忠義よりも高いことに異議を唱え、利通と名を変えた大久保一蔵を、事を急ぎ過ぎると非難する。また何を優先するかで、それぞれの意見も異なっていた。急ぐと必ずしっぺ返しをくらうと言い捨てて木戸は出て行くが、実際各地で不満の声が上がり始めていた。そして別府晋介が、横山安武を連れて西郷家へやって来る。横山は新政府の者たちが贅沢三昧をしていると不満を漏らす。更に民百姓だけでなく、自分たち武士もいずれ苦しむことになると言い、隆盛に東京へ一緒に行って直訴してくれと懇願する。しかし隆盛は様子見を決め込み、いずれ侍の世は終わると言った。
菊次郎はそんな父を見ていた。日本一熱い男と聞いていた父が動かないことに失望もした。しかしその父は、実は敢えて動こうとしなかったのである。血気にはやる者たちを出さないためであった。そして横山は単身上京し、集議院(立法府)の前で訴状を前に自決する。その後暴動は増加し、東京の大久保邸では、大村益次郎が殺されたことで、岩倉具視が士族の反乱を恐れていた。西郷はほんまに動かんのやろなと問う岩倉に、だから岩倉様にお呼び頂いたのだと利通は答える。お呼び頂いた人物とは、名を従道と変え、フランスから戻って来た信吾だった。信吾は兄を新政府に連れてくるよう説得される。それは廃藩置県の布石のためだった。
その頃隆盛は、戊辰戦争で亡くなった藩士を弔うために各家を回り、西郷家の祠にも「すまんのう」と声をかけていた。菊次郎に取って、父は重い荷物を一人で背負っているように見えた。そんな西郷家に従道が帰って来て、妻の清をいきなり抱きしめ、西洋式の挨拶じゃと言う。従道は兵部権大丞の役に付いていた。土産に喜ぶ家族たちとは別に、従道は機関車の玩具を子供たちに見せる。部屋の片隅に立っていた菊次郎も呼ばれて仲間に加わり、嬉しそうな顔をする。その従道は家族に、清を東京に連れて行くと言う。フランスではどこでも妻同伴という従道に、すっかりかぶれて帰って来たのうと隆盛は笑う。
その夜従道は囲炉裏端で酒を飲んでいたが、隆盛はもう酒は断っていた。菊次郎が嬉しそうな顔をしたこと、土産物のことで従道に礼を言う隆盛に、従道は治安を守る侍だと言って、フランスのポリスを日本でも作りたいと話す。それならば、武士たちを雇うことができそうだった。さらに従道は、兄に東京へ来てくれと頼む。隆盛は、利通と岩倉の差し金であることはわかっていたが、もう政には手を出す資格はないと思っていた。従道自身は政府軍の創設を、戊辰戦争を経験した兄にやってもらいたかった。もう戦は御免だが、そのためには戦をせずにすむだけの力が必要だと言う。
隆盛は、奄美にいた頃の貝を取り出して見つめた後、糸に東京へ行って、変えてしまった責任を果たさなければならないと切り出す。しかし糸はそれに反対した。せっかく菊次郎を連れて来たのだから、もう少し側にいてやってほしいと言う。その話を、隣室で寝ていた菊次郎が目を覚まして聞いていた。翌朝菊次郎は父の前に座り、東京へ行ってくりしょり、父上と頼み込む。また糸にも、母上、父上を、東京へ行かしてたもんせと言った。この時菊次郎は、父のことを少しだけ理解できたような気がしていた。その後菊次郎は自信ありげに剣術に打ち込むようになり、隆盛もそれを満足げに見ていた。しかしこの東京行きこそが、その後の隆盛の運命に大きな影響を与えることになるのである。
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まず冒頭、京都市長となった西郷菊次郎に、川村鉚次郎が台湾の宜蘭で一緒に仕事をしたと言うシーンがあります。実はこの宜蘭とは、先日鉄道事故が起こった場所です。地上波の『西郷どん』を観ようとNHKをつけると、このニュースが流れていて驚きでした。さらに地震と那覇市長選の結果の速報も流れたので、せっかくの新しいOPがテロップだらけになったのは残念です-無論やむを得ないことではありますが。というわけで、OPは後でBSを録画した分をのんびり楽しみました。
いよいよ菊次郎の登場です。というかこのナレそのものが菊次郎目線であったわけで、そのため西田敏行さんが後年の菊次郎役となったわけです。元々西郷菊次郎は外務省→宮内省→京都市長といったコースを歩んだ人で、京都市長を勤め上げた後は鹿児島に戻っています。西南戦争で片脚を負傷し、熊吉に追われて叔父の従道に投降したといわれています。その後負傷した部分を切断し、義足をつけるようになりました。
それから西郷従道。洋行帰りということで、いきなり奥さんにハグで皆を驚かせます。彼はポリス、つまり警察制度を日本に普及させたいと考えると同時に、兄に、廃藩置県と政府軍創設を手伝ってもらうつもりでした。実際警察制度はこの後ほどなくして採り入れられ、川路利良がその職につくことになります。また「抑止力」としての軍、「戦わずして勝つ」軍の構想もありました。しかしこの孫子の「戦わずして勝つ」、再放送中の『軍師官兵衛』を連想させます。
そして隆盛と名を改めた吉之助、自分は最早表舞台に出ることはあるまいと、野良作業を手伝ったり、戊辰戦争で亡くなった藩士の家を回ったりしていました。家を建てたのも、今後は鹿児島で暮らすという思いがあってのことでしょう。しかしやはり新政府には、彼の存在が必要だったようです。特に廃藩置県のように、旧勢力から見れば強引な策に出るには、彼の求心力が求められました。しかし国父様は、やっとというか何というか、騙されたことに気づいたようです。
さて新OPの動画です。途中で水面に落ちる白い花、「サガリバナ」というのだそうで。後の方ですれ違う2人が、ちょっと切ないです。
https://www.youtube.com/watch?v=juNU644_13w&feature=player_embedded
(動画共有ができないようなので、リンクを貼っています)
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