もう1つラグビー関連ですが、まずは『西郷どん』公式サイトのあらすじページから。このページには「西郷どんの目線」というのがあり、第33回のはこうなっています。
「イギリスの「騎士道」と日本の「武士道」、それぞれの文化で生きてきた人間同士がどうやって交渉を実現させるのか?」
元々騎士道というのは、キリスト教徒同士で通じる美学でもありました。つまり異教徒は騎士道の外にあったと言ってもいいでしょう。そして、今日言われているのとは、いささか意味が違うという側面もありますが、それはさておき。なぜこれが日本の武士道といわば親和性を持つに至ったのか。恐らくは過去の戦士たちの行動規範をもとにしたものであり、騎士道を奉じる西洋人からすれば、異教徒であるはずの日本人の国に、なぜか類似性を感じさせる精神論あるいは規範が存在して驚いたと見るべきでしょう。
武士道の解釈の仕方は人によって異なります。儒教が基礎という人もいますが、恐らくは仏教、そして神道もかなり関与しているでしょう。何よりも、儒教社会である中華帝国、朝鮮半島では武家政権が存在していません。こういう様々な要素をベースにした、独自の武士の美学が、日本人、あるいはその日本人の思想を共有できる人々の間で広まったといえます。もちろん武士道といっても時代による違いがあったと考えられます。さらに19世紀の騎士道は、騎士道というよりはジェントルマンシップ的なものであったといえるでしょう。
ところで騎士道と武士道と、そしてラグビーの関係について。次のような論文(PDF)があります。少し前の物ですが、興味のある方は検索してダウンロードしてみてください。
ラグビーフットボールの特質に関する研究 ー剣道との比較についてー
(鹿屋体育大学)
なお、日本人による日本最古のラグビークラブは慶應義塾の蹴球部、そして旧制第三高等学校、同志社へと広まって行きます。慶應にラグビーを伝えたのが田中銀之助氏で、エドワード・B・クラーク氏と共にその普及に努めています。上記論文には『トム・ブラウンの学校生活』が出て来ますが、ラグビー校が登場することもあり、以前からラグビー好きの間では知名度の高い本でした。
この作品中にタドポール(オタマジャクシ)という渾名の生徒が登場しますが、これがのちに、ホームズシリーズの『海軍条約文書事件』に出て来る、ワトソンの旧友フェルプスの「オタマジャクシ」という渾名になったのではないかと考えています。
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