有岡城に幽閉された官兵衛を救うべく、家臣たちが動きます。一方で頑なに籠城を続ける荒木村重ですが、既に毛利と宇喜多から裏切られたも同然となります。そして秀吉は、軍師竹中半兵衛を陣中で失います。
有岡城に潜入した九郎右衛門は見張りの兵を油断させ、栗山善助を城内に入れる。水堀を泳ぎ渡って、土牢の下で官兵衛に声をかける善助。官兵衛は答えようとするも、牢番の又左衛門が来たためうわ言のふりをする。善助は必ず救い出すことを誓う。その有岡城内では毛利勢が一向に来ず、しかも兵糧も尽きかけて籠城は難しくなっていた。そんな中、下働きの中に織田の間者がいたことがわかり、村重は直ちに斬り捨てるよう命じる。自らも下働きを装って潜入している九郎右衛門は、明日は我が身と思い、誰にも見えないところで表情を硬くする。また村重は、だしが官兵衛を気遣うのをひどく嫌っていた。
一方姫路の職隆には、栗山善助から書状が送られていた。官兵衛は囚われてはいるが生きていると書かれており、光は涙を流す。そして菩提山の竹中半兵衛の庵では、松寿丸が下男を相手に剣術の稽古をしていたが、そこへおねがやってくる。その時半兵衛は病の身ながら、播磨へ発つべく身支度をし、松寿に最後の頼みであると言って、官兵衛にと軍配を渡す。おねは半兵衛の体を案じるが、半兵衛は播磨の平井山に戻り、秀吉に松寿丸が生きていることを初めて明かす。さらに上意に逆らってまで松寿丸を匿ったのは、官兵衛を失わぬためと半兵衛は口にする。
有岡城が早く落ちることを願う秀吉に、毛利の加勢がなければ有岡、三木、本願寺はいずれ落ちると半兵衛。そのためには宇喜多を調略する必要があった。使者は蜂須賀小六にと言う半兵衛に、病が治ったと思い込んでいる秀吉は、お主が行けと命じる。その頃官兵衛は土牢の中に散る藤の花弁を呆然と見ていた。そこへ又左衛門の息子が犬と現れ、官兵衛を不思議そうに見るが、父からそこを出て行くようにいわれる。一方播磨では、半兵衛が石田三成と蜂須賀小六、羽柴小一郎(秀長)、そして秀吉が見守る中、後を官兵衛に頼むようにと言い、天正7(1579)年6月13日、「天下を」と言い残して世を去った。
その頃官兵衛は夢を見ていた。半兵衛と共に馬へ駆けている夢であったが、夢の中で半兵衛は官兵衛を置き去りにして行った。そして岡山城では宇喜多直家が、自分の身に病が忍び寄っていることを感じ取っていた。嫡子八郎(秀家)は元服前であり、今後のことを思った直家は、訪れた蜂須賀小六に、本領安堵を約束させたうえで、織田につくと明言する。孤立化する村重は毛利の援軍が来ないこともあって疑心暗鬼になり、自分を諫める者を容赦なく斬り捨てたりしていた。九郎右衛門の報告を受けた善助は、このままでは官兵衛も危ないと察し、織田の有岡攻めによって隙ができることを望んでいた。
有岡城では村重が茶器の品定めをしていた。茶器を手土産にまず尼崎城に向かい、毛利に直談判して援軍を連れて来るという村重だが、だしは城主が城を離れるなどとはと懸念を深める。しかし村重は土牢の官兵衛にもそれを明かし、天正7年9月2日、有岡城を発った。その頃安土城では、信長が宣教師と共に家臣たちに地球儀を見せていたが、滝川一益が訪れ、村重が逃げたことを知らせる。怒り心頭の信長は、その直後に秀吉が宇喜多調略の知らせを持って来たものの、喜ぼうともしなかった。秀吉は濃姫から、村重の脱出のことを聞かされる。その村重は尼崎城にいた。嫡子村次から毛利に催促をと言われるが、最早毛利は来ないことを悟っているかのようだった。
そして天正7年10月15日、織田軍が有岡城下に入る。官兵衛の土牢も解錠されたが、又左衛門は城に残って戦い、その後果てる。尼崎城では形勢不利となった村重を説得に、荒木久左衛門らが訪れ、降伏すれば城の者は助ける旨を伝えるが、村重は降伏を承諾せず、久左衛門たちは逃走し、さらに有岡城に残っていた家臣も自害した。自分は生きることで信長に勝ってやると村重。有岡城下では織田の総攻めが始まるが、だしと侍女たちは城に留まっていた。善助と太兵衛は城へと急ぐ。九郎右衛門の案内で土牢へ入り、官兵衛を救い出した。官兵衛も3人のことを忘れてはいなかった。太兵衛に背負われて外に出た官兵衛は、久々に仰ぐ日の光のまぶしさに生きていることを実感する。
竹中半兵衛退場回です。いまわの際に半兵衛は、石田三成に知恵に頼り過ぎず、人の心中を察するようにと遺言しますが、どうも三成がこれを教訓にしたようには見えませんでした。この三成は、かなり嫌な描かれ方をしていますが、対抗する相手から見ればこのように取れたともいえるでしょう。そして半兵衛の言葉通り、宇喜多調略には蜂須賀小六が出向きます。何やら半兵衛と官兵衛の間の、軍師代行ともいえる立場でもありますが、直家が衰えを感じ始めていることもあり、織田方に寝返らせることには成功しました。この嫡子八郎が後の秀家ですが、どうも『真田丸』で高橋和也さんが演じた、あの秀家の暑苦しさを思い出してしまいます。
そして荒木村重の疑心暗鬼ですが、毛利の援軍を当てにしている段階で、失敗もやむなしかなと思われます。援軍を当てにするのであれば、その代償を準備しておく必要があるのですが。結局は孤立する→疑心暗鬼になる→直言する家臣を斬るという悪循環になるわけです。毛利に直談判に行くというのは、体のいい脱出の言い訳であったかとも思われます。最終的にこの人は大名の地位も、城も家族もすべて失うことになります。それを思えば、この人物のために処刑されることになっただしは哀れな存在でもあります。一方牢番の又左衛門の子、玉松は後に黒田家中の一員となりますが、彼が連れていた犬が『西郷どん』に出ていた犬にちょっと似ていました。
やっと救い出された官兵衛ですが、土牢の中の官兵衛の撮影、あれはなかなか大変だったようです。実際ムカデやネズミなども準備されていたらしいです。そしてあの中での生活というか幽閉が、今後の官兵衛に大きく影響して行くようになります。リアルタイムで「ブラック官兵衛」などと言われていましたが、半兵衛の後を継いで天下統一を補佐する以上、そうならざるを得ないところもあったでしょう。
スポンサーサイト