今回はラグビーメディアといえるのかどうかわかりませんが、「日本ラグビー狂会」(協会ではありません)に関してです。元々これは市井のラグビーファンによる組織となっていましたが、実際のところはラグビーライター、あるいはライターではなくても、何らかの形でラグビー書籍を手掛けた人が中心となっていました。無論他に職業を持っていて、ラグビー好きな人もいましたが、ある程度有名な人々が多かったのは事実です。このためどちらかといえば、メディアや本で書けなかったことを、この狂会が出版する書籍で発表するような形になっていました。
初期の頃(1990年代前半)はそれなりに面白く、また書籍そのものも、主宰者(といっていいのでしょうか)N氏の書籍も合わせて、毎年シーズンになると関連本が書店の棚に並べられていました。しかし1990年代後半になると、徐々に似たようなパターンになって行きました。メンバーも一部変わったりもしましたが、その人たちが必ずしも定着するわけではなく、内容も本来のラグビーを楽しんで見る、あるいはラグビー界の今後といった内容からやや外れて行きました。個人的には、1995年のワールドカップ後に出版された分から何かが変わったように思います。
この号は、日本がニュージーランドのオールブラックスに、17-145と大敗したことを大きく取り上げていました。メンバーそれぞれのコラムも、その敗北、あるいはワールドカップにおける日本代表の問題点ばかりでした。無論問題提起としてはよかったし、中には、日本代表の練習が緊張感を欠いていたのを知りながら、それを伝えるのを怠ったことを反省した人もいました。また、代表のあるべき姿を綴った人もいて、それは納得できるものでした。しかしN氏のコラムで、その年世間を震撼させたカルト教団と、代表首脳部をリンクさせるような表現があったのはどうかと思いました。
これは平尾氏と日本代表関連の投稿でも書いていますが、確かにこの時の代表首脳陣が、どこか指導力に欠けていたのは事実だったでしょう。しかしこういう表現をされると、何か後味の悪さを感じるものです。その後の狂会関連本は、楽しく見るというテーマのコラムももちろんありましたが、どこか雑誌記事の延長のように見えることもありました。そしてN氏もラグビー本を上梓していましたが、特定のチーム、特に神戸製鋼への批判が激しくなったように思いました。私は神鋼ファンではなかったのですが、読んでいて如何なものかと感じることもありました。
それぞれに好き嫌いがあるのは致し方ないことです。ただしこの時のN氏の神鋼への批判、あるいは揶揄に関してはやはり疑問でした。他にも大学チームなどでも、同様の記述が見られたこともあります。そしてそれと呼応するかのように、狂会本もややマンネリ化した印象がありました。そして1999年のワールドカップ、この時も以前書いたことがありますが、お約束のような日本代表叩き、そして外国チーム礼賛に終始したふしがあります。この時の日本代表も結局は勝てず、またいいプレーも見られなかったから、批判されるのはやむをえないことでもありました。
実際この時はインタビューの書き起こしもあり、これが事実なら批判はやむなしかと思われました。しかしだから日本は何をすべきかというのではなく、フランスが素晴らしい、アルゼンチンはよくやった、オーストラリアのプレーはつまらないといった論調のものでした。ライターが溜飲を下げるための書籍といった感じで、結局その翌年の分を最後に狂会本は読まなくなりました。今も不定期に出ているようですが、メンバーもそこそこ変わったようですし、何よりもネットで情報収集と発言ができるようになったこともあり、今はそれで充分すぎるほどです。
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