成長物語としての大河に関して、
2019年正月時代劇と成長物語としての大河 及び
太平記に思うこと で書いています。この『西郷どん』も成長物語といえます。実はこれに関して、ニッコームック(産経新聞出版)の「続完全読本」で、制作統括の櫻井壮一氏が、「大河ドラマの醍醐味は人の成長と変化」という小見出しのパラグラフで、こうコメントしています。
大河ドラマの醍醐味は、やはりひとりの人間の成長過程を1年間かけて描けることでしょう。革命へと本格的に動きだした西郷は、これからさまざまな大きな矛盾にぶつかります。もしかしたら、これほど大きな矛盾や問題にぶつかった歴史上の人物は、ほかにいないのではないかと思うほどです。
『西郷どん 続完全読本』(産経新聞出版)107ページ
ここで、昨年の大河に関して、チーフプロデューサーの岡本君江氏がどうコメントしているのかを、同じ出版社のガイドブックで比較してみます。まず小見出しですが
「直虎をスケールアップさせる龍雲丸」
「政次とは恋愛を超えた関係となる」
「挑戦し続ける直虎の美しさを映したい」
うーむ、といった感じです。恐らく最後のなどは、制作サイドの願望であるのでしょうが、具体的にこの人は何に挑戦し、何を得て何を失うのかがコメントされていない。ただ柴咲さんは一生懸命やっているといったコメントが中心です。しかも龍雲丸は、武家社会にも世の中の秩序にもとらわれない自由な盗賊で、家や国のために我慢することはないなどとありますが、彼はその秩序の中で生きている人々の物をちょろまかすことで、生きている存在でもあります。何物にもとらわれない存在ではありません。
しかもこの人物は、戦のもとになる城など要らぬと言っていましたが、その戦を重ねることにより、世の中が平定されたことを考えると、大いなる矛盾ともいえます。そして政次との関係、これも突っ込みどころ満載で、その一つとして、このパラグラフの最後の方に「お互いになくてはならない存在」とあります。とはいえその一方は、もう一方をありえないような方法で殺してしまっているのですが。
この大河は『天地人』や『花燃ゆ』のように、「愛」がどうのこうのというコメントがないだけ、まともかなと思っていました。実際最初のうちはそうだったのですが、しかし、やはり主人公の成長や変化が明確に謳われていないと、大河としての面白みには欠けます。またこのガイドブックの前編の方で、チーフディレクターの渡辺氏が、1年の間常に新鮮な気持ちが続くための仕掛けをしたいとコメントしていますが、ならばやはり成長物語にするべきだったでしょうし、結局、成長過程を描けない人物というのは、大河化するべきではないという結論にたどり着くわけです。
また南渓和尚(いつまでも年を取らないのが不思議でした)が「答えは一つではない」と常に直虎に言うシーンがありました。しかしながら、「答えをどれか一つだけに絞らなければならない」時にどうするか、その場合の葛藤や苦悩が描かれていなかったように思います。
再び『西郷どん』に戻りますが、櫻井壮一氏の「これまでのように理想やきれいごとだけでは解決しない問題に直面し、自分自身が戦場に立つ経験もします」という言葉を目にすると、戦場に立つ経験こそないものの、昨年の大河にはやはりこういう部分が欠落していたと思われます。むしろ直虎、おとわは理想やきれいごとを並べ立て、その後始末を政次がしていたように見えます。 それと渡辺氏は「はじける芝居」とコメントしてもいます。無論部分部分にはじけるシーンがあるのは構いませんが、しょっちゅうはじけていてはこちらも疲れます。はじけるのであれば、その対極となる重苦しさ、暗さもあるべきでしょう。
昨年の今頃、2017年7月の大河関連の投稿を見ていると、ちょうど武田信玄などの有名どころが出て来る時期になり、流石にその部分は収まりがいいと書いています。しかし主人公サイドはそうでないのが痛し痒しです。ならばいっそ武田を前面に出す方法もあったはずですが、虎松が人質になるならないといった部分に尺を取っていて、しかも虎松が必死過ぎなところがあって、構成がおかしいだろうとかなり疑問に思ったこともありました。
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