アルゼンチンはサッカーのみならず、ラグビーも結構人気があります。元々ヨーロッパとの交易が盛んで、サッカーやラグビーのクラブがあちこちに作られました。ヨーロッパ系住民の中では、イタリア系とスペイン系がやはり多いのですが、イギリス系もいます。また実際イギリスの植民地にされかけたこともあり、さらにその後宗主国スペインとのいざこざから革命に及びました。これが五月革命で、今も国旗の中央に五月の太陽が描かれていますが、この太陽がないバージョンもあります。自分で太陽を描き入れている人を見たこともありますが、それはさておき。
ラグビー自体は昔から能力の高い選手がいて、1987年のワールドカップに出場した、スタンドオフのウーゴ・ポルタはその代表的存在でした。基本的にアルゼンチンのラグビー選手は中流層出身が多く、南米の中でも英語を喋れる人が多いともいわれます。とはいうものの、20年ほど前東京ガスラグビー部に在籍していた、アルゼンチン出身の獣医さん曰く「最近はそうでない選手も増えた」。一方で1995年のオープン化以前は、かなりアマチュアリズムが厳しくもありました。
しかしオープン化でプロが認められたことに伴い、海外のクラブでプロ契約をする選手が増えるようになります。これが、選手のプレーの質に貢献したといえます。そして1999年のワールドカップでは、ベスト8入りを果たします。しかしこの時は、日本がいわばカモにされたと言っては何ですが、日本がそのベスト8入りに貢献したような形になったわけです。詳しくは
ラグビー代表と平尾氏 16 をご覧ください。2007年の大会ではベスト3となり、ブロンズメダルを手にしました。
しかし2011年大会ではベスト4には進出できず、2015年大会は2大会ぶりにベスト4進出したものの、3位決定戦で南アフリカに敗れました。ところで2007年大会の後、アルゼンチン代表(ロス・プマス)関連の記事を載せたメディアがありましたが、やけにチェ・ゲバラがどうこうというのにはちょっと参りました。確かにゲバラはラグビー好きで、『タックル』というラグビー雑誌を出したこともある人物ですが、ゲバラ→革命→反権力かっこいい的な雰囲気が漂うのには、いささか異を唱えたくもなりました。
個人的には前出ウーゴ・ポルタの他に、ディエゴ・クエスタシルバやアグスティン・ピショート(ピチョート、ピチョット)なども印象深い選手です。このピショート選手のひいおじいさんでしたか、かのサルバドール・ダリと交流があった人物です。しかしその一方で、アルゼンチンはデフォルト(債務不履行)を繰り返しており、経済政策がうまく行かずゼネストも行われています。推測ですが、これも選手の海外流出の一因かと思われます。また、日露戦争でに日本の勝利を讃えたともいわれ、日本に就任する大使は必ず三笠を表敬訪問します。
さて、アルゼンチン代表をロス・プマスといいますが、実はこのチームのエンブレムはジャガーになっています。そしてスーパーラグビーのチームはロス・ハグアレス(Los Jaguares)、つまり「ジャガーズ」になっています。なぜ代表がジャガーズでなくプーマ(ピューマ)になったかは、小林深緑郎氏によれば記者の間違いということらしいのですが、代表がピューマになってしまった以上、せめてスーパーラグビーは本来のジャガーズで戦いたかったのかもしれません。
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