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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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西郷どん第17回「西郷入水」

月照を連れて京を発ち、山越えの苦しい道中を経て、吉之助と有村俊斎は薩摩へと帰り着きます。しかし大久保正助の仲介も空しく、2人は実質処刑である日向送りとなります。正助は、月照を斬れば助命されると吉之助に言うのですが…。

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吉之助と俊斎は月照を連れて西郷家に戻り、月照をそこで匿うことにした。また吉之助は登城して、月照の命乞いをしようとするが、大久保正助は、斉興が薩摩に戻ったため今まで通りには行かないとして、身を隠すように言う。正助は斉彬の側近である山田為久に面会したいと思い、妻満寿の父である早崎七郎右衛門に話をつけてもらい、助命嘆願書を託して、斉彬の弟の島津久光に渡してもらうようにする。久光は斉彬の遺言を受け、お由羅騒動の教訓から、自分の子哲丸でなく茂久を新藩主に指名していた。しかしそのお披露目の場に突如斉興が現れる。

しかも斉興は、兄の遺志を継いで挙兵を考えていた久光を尻目に、今後は幕府に恭順の意を示すと言う。斉彬が行って来た洋式軍備も、金がかかると取りやめの意向を示し、借金だらけの薩摩を立て直したのは自分であると、声高に家臣たちに表明したのである。それに異を唱えようとする久光には、お前には斉彬の代わりは務まらぬと一喝し、藩政の実権を握ってしまった。山田は嘆願書を渡すこともできず、さらに吉之助と月照の2人は日向送り、実質死罪を命じられる。

同じ頃江戸では篤姫が落飾し、天璋院と名乗るようになっていた。新将軍家茂の義理の母となったわけだが、家茂は自分を次期将軍に指名しなかった天璋院に、私をお嫌いなのでしょうと言って、井伊直弼と共に去って行く。いっそお暇を頂こうと言う幾島に、天璋院は自分の帰るべき家は薩摩にはない、自分は徳川家の人間であると主張する。このため幾島は、慶喜擁立に失敗した汚名を自分一人でかぶり、京へと戻ることにした。

一方薩摩では、日向送りの沙汰に正助をはじめ、有馬新七や有村俊斎、大山格之助らが反感を示す。しかし吉之助は、今は異国、あるいは異国に恭順する幕府を相手にするべき時と、日向送りを受け入れようとし、月照にはこうなったことを謝罪する。月照は、命は吉之助に預けているから気にしていないと微笑する。しかし正助は何とかしたいと、今度は久光に直談判するが、久光は父斉興の、兄の代わりは務まらぬという侮蔑的な言葉を気にしていた。そして自分にはその力はないと言い、食い下がる正助を足蹴にして去って行く。

その頃西郷家では、吉之助が帰って来たこともあり、嫁いで身重の妹琴もやって来て、鰻を皆で食べていた。江戸仕込みの蒲焼に大喜びの家族と熊吉を見て、吉之助も笑顔を見せる。次のお勤めはどうなるのかと聞かれて、今度は長くなりそうだと吉之助は答えるが、祖母のきみは、自分が生きているうちに戻ってくれとせがむ。そんな西郷家の人々の声を聞きながら、月照は一人静かに辞世の歌をしたためていた。
「大君のためには何か惜しからん薩摩の迫門に身は沈むとも」

正助は奔走し、ついに斉興と直談判して、吉之助を処刑すれば斉彬派の恨みを買い、藩を二分しかねないと説得して、どうにか吉之助の助命の約束を取りつけた。その夜、団欒中の西郷家に正助がやって来て、やはり聞き入れられなかったと言うものの、迷いながら、月照を斬れば命が助かることを話す。正助は、薩摩のため、日本のため、そして自分のためにも吉之助に生きていてほしかったのだった。一応は正助の言に従ったふりをするが、吉之助はとうに覚悟を決めていた。

そして2人を乗せた小舟が出発した。その後正助は西郷家を訪ねるが、吉次郎と熊吉が現れて、吉之助が大事にしていた斉彬から拝領の短刀が、座敷に飾ってあると話した。正助は、吉之助が自殺する覚悟であることがわかり、提灯も持たずに夜道を走り、浜辺に出て大声で死ぬなと叫ぶ。その頃月照と吉之助は小舟のへりから、海へ身を投げようとしていた。吉之助もこのために、辞世の歌をしたためていた。
「二つなき道にこの身を捨て小舟波立たばとて風吹かばとて」

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まず鰻のシーンです。薩摩に蒲焼を伝えたのは、西郷だったのかというのはさておき、恐らくは家族とも今生の別れとなると決心してのことでしょう。今度は長くなるというのも、その後の遠島を考えれば、何やら示唆的なものがあります。しかし正助が来る時もいささか物々しげでしたが、ああいう時に急に捕吏が来るようなことはなかったのでしょうか。月照はともかく、吉之助が庭先にいる時点で、既に匿っているのがばれるようにも思えるのですが。

それから
島津斉興-茂久
井伊直弼-徳川家茂

この2つの関係がダブります。先日斉彬と直弼は、方向性こそ違えど似ていると書きましたが、斉興と直弼は方向性までそっくりです。直弼は開国はしたものの、洋式軍備は不要と主張していたとされています。無論直弼は思想信条上の問題、そして斉興は財政上の問題からの反対ではありましたが。そしてまた、久光と天璋院もどこかダブらせているように見えます。久光も、あそこしか居場所がないわけでもないでしょうが、親父に嫌われていると示すためのパフォーマンスでしょうか。兄の代わりは務まらないと言われつつも、足蹴にするという点だけは、この兄弟は似ています。それと幾島は一旦大奥を去りますが、この人は確かまた戻ってくるはずです。

斉興と共に、お由羅もまた戻って来ます。相変わらず狆を抱いています。しかしあれから10年も経っているのですから、同じ狆かどうか定かではありません。何やら昨年の猫を思い出します。しかしセリフの「お久しぶりね」、小柳ルミ子さんの曲のタイトルですね。

それから日向送りを平然と受け止めている吉之助に対し、正助をはじめとする仲間たちが、吉之助さぁらしくないと言うシーンがあります。特に正助にしてみれば、自分が助命嘆願をするからという思いがかなり強いようです。正助の祝言の時には、吉之助が好意の押し付けをしているかのように受け取った正助ですが、いざこうなると立場が逆で、正助が助命の押し付けをしているかのように見えなくもありません。無論正助の気持ちもわからなくはありません。また吉之助も月照がいなければ、こう平然としてはいられなかったでしょう。

その正助は斉興に、吉之助がいないと親斉彬派が動くからと言いますが、その後薩摩藩の志士たちの一部が過激化し、粛清される事件が起こります。これが寺田屋事件で、実はこの時吉之助は奄美から召喚され、京へ行く島津久光に随行員として、下関で待機するように命じられます。しかし上方で有馬新七らが蜂起を企んだことで、待機命令を破って京へ行き、それを止めようとしますが、逆に彼らを先導しているものと受け止められ、この後徳之島、さらには沖永良部島へ遠島となります。

それから月照と共に熊本まで来た時に、捕り方が来ているのがわかり、休息を取る暇もなく急いで薩摩方向へ向かいますが、あれは、後の西南戦争の伏線的な描写のように感じられます。

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[ 2018/05/08 01:00 ] 大河ドラマ 西郷どん | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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