先日の
この投稿 で、再来年の大河の発表がそろそろですねと書いていたところ、今日発表がありました。明智光秀が主人公の『麒麟がくる』で、主演は『八重の桜』以来の大河となる長谷川博己さんです。制作統括は落合将さんで、この方は『ゲゲゲの女房』や『平清盛』を手掛けています。脚本は、『太平記』の池端俊策さんです。明智光秀も新史料が見つかったことだし、早晩大河化してほしいと思い、実はNHKにリクエストも送っていました。それが的中したわけですが、まさか再来年とは思いませんでしたー再来年は忠臣蔵で、その少し後と予想していましたので。ただ記事中の「大河新時代」云々は、ことさらに強調しなくてもいいのではないかと思います。これも主人公が若いうちは、特に創作中心になるでしょう。
長谷川博己さんが明智光秀役! 2020年大河ドラマ「麒麟がくる」 (NHK ONLINE)
それから今年の大河『西郷どん』、私は面白く観ていますが、結構不満がある、あるいは脚本がよくないという人も多いようです。その理由として
発想が現代すぎ
だらだらしている
歴史的場面が少ない
というのがありますが、発想が現代的すぎというのは、ここ何年かに共通してみられる現象です。まただらだらしているというのも、『真田丸』の大坂編、そして『おんな城主 直虎』の終盤などに共通しています。こういうので尺を稼ぐべきなのかという意見はあるでしょうが、『西郷どん』だけに見られる現象とは言いかねます。それから歴史的場面が少ない、これも2010年代の大河に多く見られる傾向だと思います。恐らく今までそれで我慢して来たから、むしろそれと違うのを見せてほしいという期待があり、その期待が裏切られたように感じる人もいるのでしょうが、それでも一部の女性大河や『天地人』などに比べたら遥かにましです。『龍馬伝』や『真田丸』の一部、特に同じ幕末物ということもあり、特に『龍馬伝』と似たイメージがあります。
『真田丸』も実質的には『大河・真田昌幸』だったと思います。ですからクライマックスであるにも関わらず、大坂の陣関連でちょっともやっとしたものを感じたことがあります。また脚本の不備を指摘する声も多いのですが、脚本の不備は即ち制作統括の責任です。ですから本来は、プロデューサーを批判するべきでしょう。特に今回は、原作と脚本が女性だからという理由で叩かれている印象もあります。これは今回が男性、それも西郷隆盛が主人公であるからというのもあるでしょう。しかし女性の脚本もさることながら、近年の大河の傾向を引きずっている、脱皮できていないいうのが、批判の根源にあるように見えます。
無論私も『西郷どん』に対して批判したい点はあります。それは今までのあらすじと感想で挙げて来ました。吉之助の愚直さが、時に幕末という時代の雰囲気に合わない、ちょっと現代感覚かなと思われる部分もあります。恐らく今後もまた出てくるかもしれません。ただし批判するのと否定するのとは異なるものです。今年のを観ていて、これはどうかと思われる部分はあっても、観たくなくなるという気持ちにはなりません。そしてどんな大河も、批判するべき点もあれば評価するべき点もあるわけなので、特定の大河を全面否定ということはまずありません。『花燃ゆ』だって評価するべき点はあったのです。また本来大河に評価が下されるのは、最終回放送後だろうとは思います。
これはそもそも、今年の大河を観るきっかけが
「『翔ぶが如く』とどのように違うのか」
これが出発点になっているからだと思われます。描かれ方の違いを楽しむわけですから、画面に登場するシーンをすべて受け入れるわけで、内容に関しての好き嫌いを論じるというのがあまりありません。ちょっと珍しい観方なのかなと思いますが、恐らくこういう観方をしなくても、結構面白く観ていたかもしれません。この西郷どんは、『翔ぶが如く』の硬派な吉之助とは違うわけですし、また『翔ぶが如く』の描き方のみが正しいというわけでもないでしょう。
ちなみに今回島流しのシーンが7エピあるそうで、多いのではという声もありますが、『翔ぶが如く』の場合は、一旦薩摩に戻って来たのも含めて島流し関連は確か8エピあります。またドラマの進行が遅いという意見もあるようですが、『翔ぶが如く』の場合は斉彬が薩摩に入るのが第2回です。つまり今回より展開が速く、第14回で桜田門外の変となっています。恐らく『西郷どん』は第20回あたりかと思われますが、それまでのストーリー展開の速度を考えれば妥当かとも思います。問題はいつ頃、明治維新という大きな節目になるかでしょう。また『翔ぶが如く』、辰五郎親分はよかったものの、芦名姉妹の描写はどうかなと思われる部分もありました。
それとこれは余談ですが、大河では権力者を追い詰めるというシーンがよくあります。ある意味カタルシスにはなりえます。それを今になぞらえる声もあるようですが、権力者を糾弾することすなわち正義かどうかについては、何とも言えません。大河自体は要はフィクション的要素が強いわけですし、脚本の都合で敢えてアレンジしているところもあるわけです。そういった意見を目にすると、大河ではありませんが、以前「昭和40年代の2作品と『風雲児たち』」という投稿で、
また現代劇だとちょっと憚られる描写なども、時代劇の形を借りることにより、詳しく表現できたという側面もあるでしょう。ただこの手法は、見方によっては、時代劇に無理やり現代の問題点を持ち込んでいるようにも取れます。
と書いているのとどこかダブるものがあります。この場合は、大河の時代の問題点を現代に持ち込んでいると見るべきでしょうが。
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