では『西郷どん』のあらすじと感想に行きます。今回は拡大版なので、2回に分けて投稿します。
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明治21(1898)年12月18日。上野の西郷隆盛像の除幕式が行われ、隆盛の妻糸、弟の従道とその娘の桜子が出席していた。桜子の手で幕が外され、浴衣姿で犬を連れた西郷の像が現れる。流石は庶民的な西郷さんだという言葉が出る中、糸は像の前に進み出て言った。
「うちの旦那さあはこげな人じゃなか。ちごっ、ちごっ」
西郷隆盛については諸説あるが、彼が男にも女にももてたこと、そして彼がいなければ、新しい日本は存在しなかったのは事実である。
天保11(1840)年。日本が開国をする前の薩摩では、郷中(ごうちゅう)教育が行われていた。これは地域単位で先輩が後輩を教えるという形で、学問や相撲、剣術を行うものだが、この教育は男子に限られていた。ある日、西郷小吉(後の吉之助)をはじめとする下加冶屋町郷中の少年たちは、甲突川へ鰻を取りに出かけた。しかしそこには、高麗町郷中の少年たちが既にいて、双方川の中での取っ組み合いになる。しかし小吉はそれをよそに鰻をつかまえ、川辺で串焼きにしてみんなで食べた。
それを見た高麗町郷中の少年たちは、磯御殿にはもっとうまい物があると負け惜しみを言う。実際茶坊主で御殿に上がっていた有村俊斎は、御殿の菓子についてよく知っていたのである。そこで翌日、御殿に忍び込んで菓子をくすねた方が勝ちということになったが、下加冶屋町の有馬新七は、あそこには天狗がいると言う。しかし肝試しの意味でちょうどいいと、小吉はその案を受け入れた。翌日それぞれの郷中の少年たちは、船を使って海を渡り、御殿へ向かう。すると対岸に、見知らぬ少年がいた。
それは男のなりをした少女、岩出糸だった。糸はその前日、川での少年たちのやり取りを見ており、自分も参加しようと先回りし、小吉たちには少年を装って、名をいととだけ伝える。御殿の警備の隙をかいくぐって、一同は中に入るが、村田新八がうっかり池に落ちたために気づかれてしまう。少年たちは竹藪のある斜面を登って行くが、その上ではある人物が大砲の試し撃ちをしていた。そのためすさまじい噴煙と土ぼこりが起こり、しかもその中から一人の大きな男が現れた。
皆は一目散に逃げだしたが、一番小さい村田新八がつかまってしまう。お前たちは何をしに来たのだと言うその男に、ここに来れば甘いお菓子にありつけるからだと答える小吉。そんなことに命を賭けるかと言う男に、薩摩隼人はいつでも死ぬ覚悟はできておると答える。一番小さいやつを見捨てて何が薩摩隼人だ、弱い者の身になってみろ、弱い者の身になれぬのなら弱い者以下のクズだ、そういうのを薩摩ではやっせんぼ(役立たず)と言うのだとその男は言って、新八を仲間のもとへ返す。
小吉は、ここで何をしているのかとその男に訊く。その男に付いている者がそれを咎めるが、男はそれを止め、異国の大天狗をやっつけるための算段をしていると答える。そして、これを見たことは多言するなと言い、他言したら錦江湾の鱶の餌にすると脅かす。さらに口止め料であるとして、近くにあった菓子を紙にくるんで持たせた。その菓子はカステラであった。一同は船に戻る。
船に乗り込んだ少年たちは、カステラを分け合って食べ、「うまか」「甘かあー」と口にしていた。しかし小吉は、その紙に記された見慣れない文字に目を止める。それはcagonxinaとあった。天狗の呪文じゃろかと皆はいぶかる。そして小吉は、あの「天狗」に思いをはせるのだった。
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いきなり「その後」から入るところ、また少年たちが川遊びをしているところなどは、あの『龍馬伝』を思わせます。南国ということもあるのか、川の中で鰻を取ったり、水のある場所を逃げたりするのが、妙に様になります。
しかし磯御殿の警備は緩すぎではないでしょうか。 それにしても菓子盗み競争とは、相当なことを思いつくものです。尤もそのお陰で「天狗」に会い、弱い者の身になれと諭され、菓子を貰い、しかも「蟹文字」を初めて目にするわけですから、結果的に菓子以上の物を得るに至ったわけです。小吉に取っては、これで一生が決まったといってもいいほどです。
子役登場回というのは、いささか退屈になりがちなので、何か冒険をさせたりというパターンが多いのですが、今回は実在したものの、実際当時薩摩にいたという記録がない人物を、しかも子供たちの目から見た天狗に仕立てるというのは面白い趣向です。後に明治維新を成し遂げる仲間との結束、そして後の妻と出会う布石をこういう形で持って来たわけですね。
後半部分投稿時に再度感想をアップします。
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