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ベイカー寮221B/Baker House 221B

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風林火山の歴史的背景26-刈谷原城城代

第39回で登場する刈(苅)谷原城、ここに諸角虎定が籠城してしまって、戦略に狂いが出た勘助が、夜討ちを掛けることになります。しかし実際は、この城の城代は今福石見守(友清)でした。晴信はこの城を、当初は「海野下野守」に与えようとして、トラブルが発生したようです。この海野下野守は、岩下氏の流れを汲む人物です。ともあれ刈谷原城は石見守友清が城代を務め、その後嫡男の虎孝が家督を継いだため、第四次川中島の戦いにはこの虎孝が出陣したとされています。

今福友清は元々甲斐源氏の一派の出身で、武田家の譜代の家臣でした。甲斐源氏は頼朝の旗揚げに大きく貢献したといわれています。特に石和五郎=武田信光などはその典型でしょう。義仲と不仲になり、そのため追討令を頼朝に出させたという説もあります。一方で、木曽義仲の嫡男義高が、人質として鎌倉に送られた際に従っていたのが、実は海野氏である海野幸氏です。主の義高は成敗されますが、この人物は鎌倉幕府の御家人となります。

その後武田晴信(信玄)は、駿河侵攻を行います。この時友清は、久能城の城主となっています。元々この城は北条氏の物であり、当初は板垣信安(信方の娘婿)が城主を務めていました。その後友清がこの城に入り、駿東地方の支配をまかされます。その後久能城主も虎孝に譲られ、友清は天正9(1581)年に世を去ります。しかしながらその後、武田征伐で徳川軍が侵攻し、この虎孝と弟たちも自刃し、生き残った養子と孫とは徳川に仕えるようになります。

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[ 2017/12/30 00:45 ] 大河ドラマ 風林火山 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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