まとめその3です。この大河のOPは「戦う花」をイメージしたということで、花や植物のCGが使われていました。井伊家の没落と再興を表現したと思われます。ただ女性だから花というのもステレオタイプですし、真ん中あたりの椿と矢が飛び交うシーンは、ちょっとどうかと思いました。それとOPテーマも、かなり凝った印象はありましたが、その反面、『風林火山』や『真田丸』のような力強さや素朴さはなく、すぐに覚えられるメロディーでもありませんでした。女性が主人公の大河で、テーマも含めたOPが一番工夫されていたのは、やはり『花燃ゆ』でしょう。あの点は評価できます。
それから衣装やセット関連です。直虎のおかっぱとパッチワーク打掛、出家のまま後見人となったにしては、どこかそぐわないものがありました。尼頭巾と法衣姿でよかったと思います。それと今川家のメタリック裃と胴着、今川家の家臣をわかりやすくする目的だったのでしょうが、殊更にメタリックにする必要はなかったかもしれません。これも「竜宮小僧」同様、後になるにつれて影が薄くなって行きました。それとおとわが打掛を持ち運んで出先で羽織るシーン、あれもおかしいし、井伊直盛のような国衆クラスなら、甲冑の下に鎧直垂を着ていてもよかったかと思います。
セットに関していえば、長篠の戦いが一応ロケをやっていたのに、伊賀越えがセットだったのもどうかと思います。尤もこの大河の場合、明智に追われていないわけですから、伊賀越えそのものに必然性がなかったともいえますが。それと竜宮小僧の井戸も、もう少しそれらしさを出してほしかったものです。あれでは単なる待ち合わせ場所です。それから猫と鶏が多く登場していましたが、これは『平清盛』を連想させました。あの大河の猫の多さは前代未聞でした。今回はそれより少ないにせよ、恐らくは人間よりも、猫の方がインパクトが大きかったかもしれません。
全体として戦シーンがないこともあり、最初の方をのぞけばこじんまりした、別の見方をすれば、終始狭い世界の中で展開した大河でした。井伊谷以外では、せいぜい気賀が出て来た程度でしょう。無名の女性であるため、そうならざるをえないのでしょうが、やはりこういう人物を主人公にしたことには不満があります。しかもベルばらだのスカーレット・オハラだの、殆ど、岡本Pの個人的趣味と思われる発想をベースにした制作方針だったようですが、そういうのを大河でやるべきではありませんでした。またその割にはせせこましくて、辛気くさく感じられました。
それから森下佳子さんの脚本も、キャラ設定がかなりぶれた印象がありました。やはり史料の殆どない人物はあれこれ手を入れられる分、ぶれやすいと思われます。それと森下さんのコメントで、史実から解放する云々もさることながら、オノマトペ、つまり擬声語の使用が多いなと思います。パーッと終わるとかガチャンとか。無論場合によっては、こういう表現が功を奏することもあるのですが、特に必要もないのにやたらに入れまくるというのは、文章を書く職業の人としては、何か無神経だなと思います。
ちなみに『西郷どん』のガイドブックを読んでみましたが、流石に今回は、このようなコメントはありませんでした。来年もどうなるかはわかりませんが、まず観ないことには何ともいえませんし、私は中園さん脚本の作品を殆ど観ておらず、具体的なイメージが掴みにくいせいもあります。恐らく『翔ぶが如く』よりもややソフトで、奔放な雰囲気の作品になるのではないでしょうか。ただ来年の方がベテランの俳優さんが多く、その点では今回よりももう少し締まるかと思います。というか、締まってほしいです。
しかし大河は原作付きの方がやはりいいでしょう。ここ20年ほどでオリジナルが主流になりましたが、脚本家のカラーが強く出やすいこと、また主人公によっては、ありえない創作中心になりがちなことから、原作をもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。今『炎立つ』を観ていますが、この作品の第三部は原作の出版が間に合わず、中島丈博氏のオリジナル脚本になっています。案の定、それ以前とではやはり差がありますし、全体としては男性の物語ですが、ちょっとスイーツ的な描写もあります。
今回の『おんな城主 直虎』は、『花燃ゆ』よりもあくが強い部分もあり、その部分をどう解釈するかで評価が分かれるように思います。ただ私としては、生首だの処刑だのが如何にもアリバイ的で、このドラマの基本的な部分、つまり「おとわと男たち」の部分と馴染みにくいなと思いました。また本来は感動するべきなのでしょうが、どこかベタで、観ている方が気恥ずかしくなるようなシーンもありました。要は訴求対象が非常に限られており、そのコミュニティの中では受けたけれど、それ以外はそうでもなかった、そういう大河であったともいえます。
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