第38回では村上義清が追い詰められ、越後へと逃げます。一旦は柿崎、大熊の援軍を得るものの、武田に攻め立てられたために、いよいよ長尾景虎が出陣を決意することになります。この村上のために武田と、そうして上杉憲政のために北条と、それぞれ対戦するわけで、正に景虎に取っては「義の戦」であるわけです。さらにそのうえで上洛し、武田及び北条との戦を正当化するために、わざわざ勅許を得ることになります。
ところでこの回の冒頭では、家臣一同が揃っていることもあり、大井夫人の葬儀の後にすぐ軍議が行われます。そこで村上攻めは、義信の婚儀の前か後かということになり、義信の傅役でもあった飯富虎昌は後を、勘助は前を主張します。結局勘助の主張が通るのですが、これによりどちらに付くかを決めかねていた地侍が、今川と組んだ武田へとなびきます。しかし飯富は、勘助の主張が通ることが、それぞれが推す後継者に影響しないかと気をもみ、勘助に後継者は義信だと念を押します。
この飯富さんがもう一度、重要な立場で顔を出します。弟の源四郎、後の山県昌景が武将として取り立てられるシーンで、これで兄弟そろって、武を持って武田に仕えることになります。またこの時には春日源五郎、後の高坂弾正も武将となります。この源五郎の方は勘助の薫陶もあり、村上攻めで、村上を逃がした方がいいのではないかと意見します。武田が戦うべきは既に村上ではなく、景虎である以上、勘助もこの言葉に異存はなく、村上義清が落ち延びるのを黙って見逃がします。
しかし春日は見逃したものの、馬場信春が村上を討つつもりで待ち構えていました。村上義清夫人(ドラマでは玉の井)が舟を出してくれと、自分の銀の笄を渡します。所謂笄の渡しの由来ですが、当時は女性は髪を結いあげておらず、日常的に笄を使っていなかったため、これは疑問視もされています。あるいは「高崖の渡し」ではないかともいわれていますし、夫人は生きながらえたという話もあります。ともあれ無事に対岸についた玉の井と侍女たちは、そこで馬場の軍勢と出くわします。
実は馬場信春は、夫の方を討つつもりで待機しており、当然女性たちを討つつもりはありませんでした。しかし武田の手に落ちると何をされるかわからず、皆自害します。身重の、それも平蔵と死ぬ時は一緒と約束したヒサは、わずかにためらったものの後を追おうとし、馬場に止められます。ヒサはその大将が、自分たちを裏切った教来石であることを知り、助けられはしたものの、顔に唾を吐いて逃げて行きます。これもまた別の意味での「見逃し」といえます。
しかもヒサは、その教来石がもとで諏訪が落ちた時同様、乱れた旅装で葛尾城へと舞い戻ります。平蔵が越後の援軍が来たと教えますが、結局は村上方の惨敗でした。ところでこの時、武田につくか村上に付くかを迷った地侍の中に、室賀氏がいます。元々室賀氏は村上義清の庶流屋代氏の出身で、この時の当主は満正と思われます。この満正の二男が、かの室賀正武です。兄は屋代家へ入ったため、正武が継ぐことになりますが、その後どうなったかは『真田丸』にある通りです。
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