久々の投稿になります。満を持して臨んだ1999年ワールドカップでしたが、日本はサモアとウェールズに大敗し、後はアルゼンチン戦を残すのみとなりました。当然ファンは、このアルゼンチン戦勝利を期待するようになります。しかしそのアルゼンチン(ロス・プマス)も、サモアに勝ってかなり気合が入っていました。そしてリーグ戦最後の試合となったこの対決は、ミレニアムスタジアムで日没後に開幕しました。国歌吹奏は、軍楽隊ではなく一般のブラスバンドによって行われました。
実はこの大会は、それまでとは違った方式で行われていました。この大会から、従来の16チームに4チームをプラスした、計20チームでリーグ戦が行われることになったものの、4チーム×5の変則的な編成であったため、プレーオフが設けられることになりました。このプレーオフは、プールBの2位(イングランド)とプールCの2位(フィジー)、プールAの2位(スコットランド)とプールDの2位(サモア)、そしてプールEの2位(アイルランド)とベスト3位が戦うことになっていました。
アルゼンチンはベスト3位入りを目論んでいました。しかし得失点差の関係により、あまり多く得点すると2位になってしまって、スコットランドと当たることになるので、それよりも与しやすいアイルランドにという意図だったようです。そのためアルゼンチンは、できるだけ少ない点数で日本を破ろうとしていました。ならば日本も、総動員でアルゼンチン戦に臨むべきでした。また試合前の時点では、プールCのカナダもベスト3位の候補に上がっていました。
しかし顔ぶれはそれまでの2試合とそう変わらず、しかもこの大会での起用が期待された岩渕健輔選手(後にケンブリッジブルー)は、この試合のメンバーにさえ入っていませんでした。また日本もミスが多く、思い切った攻めができませんでした。タックルこそ捨て身ではありましたが、結局相手の思惑通りに試合は運び、結局日本は3戦全敗となりました。アルゼンチンがベスト3位を狙うのをあるいは知りつつ、手を打たなかったがゆえの敗北ともいえるでしょう。
この試合後平尾監督は、世界とはまだ差があるとコメントしました。しかし選んだ選手たちは皆、その年のパシフィックリムではいいプレーを見せていたはずです。無論パシフィックリムとワールドカップでは違いますが、全く違うというわけでもありません。このコメントに少なからずがっかりしましたし、また同じことを考えた人も結構いたようです。がむしゃらに勝利を狙うような気構えが、今一つ感じられない、そういう意味で何か後味の悪い大会でした。
ところでこの試合、リーグ戦最終戦ということで、サモアの選手もスタンドに姿を見せていました。そのサモアはウェールズを破った相手ですから、ウェールズの観客はブーイングをし、片やサモアの選手は、会場のスクリーンに顔が映し出されるや、大げさな顔芸でそれに応えるという、如何にもラグビー的な風景が楽しめました。もちろんアルゼンチンと日本のファンも詰め掛けており、プールDの国々が、さながら一同に介したような雰囲気でした。
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