どの大河でもそうですが、プロデューサーや脚本家、場合によっては原作者によって確立された主人公の考え、生き方を中心にしてその1年のエピが作られて行きます。『江』では「戦はいやじゃ」がかなりその比重を占めていました。『花燃ゆ』も、無論今回の『直虎』にもやはりそれが窺えます。ただし直虎の場合、それをベースにしながら、一方で殺戮とか生首とかは平気で出て来ますし、政次を手に掛けるシーンでは、ネット上でかなりの批判もあったようですが、無理からぬ話です。
この場合無理してやった感が半端ないからです。大胆とか愛情表現という意見もあったようですが、同意しかねます。それをやっておきながら、今回は引き籠る。しかも但馬但馬とうるさい(正直そう思いました)。自分で手に掛けるのなら、それ相当の覚悟をしておけばいいのに、感情で突っ走っている感じがあり、子供のようにすべての尻ぬぐいを他人にやってもらっているように映ります。こういうご都合主義的な主人公であれば、観ていて面白くないのもむべなるかなです。
逆に少々鬱陶しい、面倒くさい女性キャラであっても、主人公ではなければそれなりに観られるところはあります。たとえば『真田丸』のきりにしても、『風林火山』の由布姫にしてもしかりです。由布姫も、お屋形様を独占したいから御首(みしるし)がほしいなど、結構凄まじい発想をしたりするのですが、それを勘助に説教されることである程度のバランスは保たれるわけです。しかし直虎の場合はこの発想で突っ走るから、正直きついのは事実です。
そして過日『翔ぶが如く』を観ていたのですが、後に西郷吉之助の妻になるいとが登場します。彼女もこの中では当初は男装で、山本八重よろしく鉄砲の指導などをしていますが、薩摩の男たちに取っては、はねっかえりな人物として登場します。そこで大久保一蔵が、女には男にある物がないと戒めますが、ならば男にない物を見せると言って、着物を脱ごうとするシーンがあったと思います。あれも相当思い切ったシーンだし、仮に彼女が主人公であれば結構えぐくなったでしょう。
女性大河をそれでも続けたいとNHKが考えるのであれば、こういうとっぴな発想、風変わりな発想のヒロインを持って来るのは、一時的に視聴者を惹きつけはするでしょうが、実はかなりのマイナスです。史料がないからそうしているのでしょうが、まず話が続かない、飽きられる、その当時にそぐわない等々で批判の対象になるだけです。今まで3作作って来てこの有様では、もういい加減わかっているだろうとは思うのですが…。
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