8月18日金曜日から、トップリーグが開幕です。このトップリーグ、かつての社会人ラグビーですが、この15年ほどでかなり様変わりしています。元々大学ラグビーが中心だった日本のラグビー界において、社会人ラグビーは知名度が低い存在でした。1980年代に、新日鉄釜石が7連覇を達成するようになり、社会人に対する注目度は上がって来ました。しかしその頃でも、日本協会サイドは大学偏重で、名目上は会社員を続けながらプレーする選手の待遇や、国際試合で勝つためのリーグ戦の整備に着手しようとはしませんでした。それどころか、社会人選手のケアはすべて企業に丸投げでした。これが後に波紋を広げることになります。
80年代後半になると、日本選手権(というよりは、社会人と学生それぞれのチャンピオンの一発勝負)で、学生が勝てなくなって行き、社会人の方が実力が上であると認めざるを得なくなりました。しかも1995年のワールドカップ(RWC)での惨敗から、社会人選手権にリーグ戦方式が採り入れられ、さらに2003年にトップリーグが発足します。また日本選手権そのものも、クラブ(企業チームでなく同好会的クラブ)の参加が認められ、複雑化して行きます。そして、国際組織であるIRB(現World Rugby)により、代表チームの要請があった場合は、選手をリリースしなければならなくなりました。かつて企業に丸投げしていたため、代表にほしい選手が国内リーグに束縛されたことがありましたが、これで一応の決着を見たことになります。
そして2016年からは、スーパーラグビーに参加するようになり、サンウルブズに選ばれなければ、代表への道は遠のくことになりました。かつてのヘッドコーチである、エディ・ジョーンズ氏の「世界レベルを目指せ」も、これを後押しする格好になりました。これは、トップリーグがスーパーラグビーの予備軍化することにもなりますが、スーパーラグビーに参加している国の国内リーグは、どこもそのような感じです。むしろ野球やサッカーと異なり、日本独自のチームを1つ持てるため、また違った形での世界進出が図られることになったわけです。一方で、日本選手権への大学の参加はなくなりました。
そもそも大学の目標は、かつての「社会人を倒す」から「社会人相手にいい試合をする」、「社会人の胸を借りる」へとトーンダウンして行きました。大学の場合、選手が揃っていたとしても、4年間でチームの構成員がすべて変わるため、選手を数シーズン固定できる企業チームに勝てなくなってきたわけです。また社会人チームの設備が向上したことも、大学チームには不利になりました。無論、社会人、ひいてはトップリーグの胸を借りるというのも、目標としてはきわめて曖昧なものであり、それよりも、同年代の世界レベルでいい成績を納める方が、よりわかりやすく、しかも将来性があるのは確かです。
「いい試合をする」「胸を借りる」的な発想は、長く代表レベルにもありました。ワールドカップ体制が確立した後もそれは受け継がれ、いい試合をして拍手をもらう方が、よくない方法で勝つことよりも重視された感があります。しかしワールドカップというのは、基本的に勝ちを狙うものであり、いい試合をして現地のお客さんを喜ばせるだけでは、単なるゲスト扱いのままであることもまた事実でした。これにはラグビーマスコミが、「日本らしさ」と殊更に言い続けたことも関係しています。「らしさ」と「勝利」が必ずしも一致しない場合、どちらを取るかというのもまた、歴代の指導者に与えられた課題でした。
この代表に関しては、また続きを書きたいと思います。
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