先日はお知らせだけで終わりましたが、改めて「保室の事件帳」の、大河リメークについて。このリメークのタイトルは、「直虎と呼ばれた女」としています。「海賊と呼ばれた男」のパクリかと思われそうです-実は考えた後で気づいたのですが。自分が観たい直虎像ですので、無論TVの直虎とはかなり異なっています。そもそも彼女はお転婆でもありませんし、鶴と親しいという設定にもしていません。
ところで『風林火山』の方が、女性がきちんと描けている件ですが、むしろ女性大河はヒロインのみを押し出し過ぎて、肝心の登場人物がきちんと描けていない印象があります。女性大河の制作発表、あるいはガイドブックなどでは決まったように「女性視点」について言及されますが、何も「女性」視点である必要はないのでしょう。ヒロインもその他の人物も、人となりをきちんと描けていれば、別に問題はないのです。
なのに女性大河の場合、ヒロインのみを「できる人物」としてしゃにむに押し立てくるところに、違和感を覚える人が多いと思われます。それが低迷の要因でしょう。そして数字が悪いと、今後は新キャラが出るからとか、新展開になるからというPRが行われます。しかし、それがどうもはかばかしくない。結局女性視点をさんざん謳ったはずの大河が、最終的にはフェードアウトしてしまうわけです。今までそれをやっていない、あるいはその部分が少なかったのは『八重の桜』のみともいえます。
『花燃ゆ』の時にネット上で、なぜNHKはきちんと吉田松陰を描かず、妹を主人公に持って来たがるのかと疑問視されたことがあります。この頃出版された大河関連本にも、主人公の選び方に関する言及がありました。今回の『直虎』にしても、井伊直政を描けば、もうちょっときちんとした大河になっていたでしょう。なぜきちんと男性主人公を描かず、「無理して」女性を持って来たがるのかは、やはりNHKの内部事情も絡んでいるのでしょう。
男女機会均等でなどといった理由のもと、労組が推しているのかもしれませんが、歴史ものにそういう発想を持ち込むべきでしょうか。その手の発想が、戦国大河で「戦は嫌じゃ」的なセリフを入れる一因となっているのでしょう。また男性大河に経費が掛かるため、費用の少ない女性大河で収支を合わせているという見方もできます。しかしそれが事実なら、看板番組の割には如何にもみみっちい、せこい話であるといえます。それでも作りたいのなら、本当に名前を知られた女性を主人公に、もっと大きなスケールで作るべきでしょう。
スポンサーサイト