まず昨日の『おんな城主 直虎』あらすじですが、気賀の城に井伊家が入る部分で、実際とは異なる記述がありましたので直しています。
その『直虎』ですが、
武士階級を意図的によく描いていないように見えます。 龍雲丸が武家嫌いというのも、その設定が基になっているのでしょう。しかしそもそも大河というのは、どのような形であれ、武士の生涯、あるいは彼らと親しく交わった商人の話がベースになっているわけで、何よりも、直虎もまた武家の娘であるわけです。
しかもこれは戦国大河です。商人を描くにしても、本来は武士と商人、あるいはアウトローたちの関係を描き、それがどのように領国経営や天下取りにつながったのかを描くべきなのですが、
何やら武士が蚊帳の外に置かれたような格好になっています。 批判的に描く方法も無論ありますが、それをやるにしても、まず武士の全体像をきちんと描いてからの話でしょう。
また放送を観る限りでは、今川関係でも徳川関係でも、その行動方針や動機についての描写がきわめて少ないから、実際にはそうでないにも関わらず、彼らの行動がやけに衝動的、あるいは恣意的に見える部分があります。徳川で思い出しましたが、松平から徳川に改姓するシーンも出て来ません。これはかなり大きなことだと思うのですが。
殺陣に関してもちゃらい印象があります。第15回関連で書きましたが、中野直之の剣裁きも、血糊がつかない、斬った本人が息も切らせないでは不自然です。『風林火山』の、山本勘助と青木大膳の斬り合いを見習ってほしいものです。
しかし今後、虎松が成長して徳川に仕官し、その後、晴れて武将となるわけです。その場合の描写はどうなるのでしょうか。そもそも武田信玄にしても、どのように描かれるのでしょうか。あまりおざなりな描き方はしてほしくないものです。
それから昨日も書きましたが、何やら下ネタ的なものが入る。別に大人を対象としている以上、下ネタも男女関係もあっていいのですが、あまり関係のなさそうなシーンに入れるから、どこか不自然になってしまうわけです。これは主人公がおとわの頃の、「お手付き」にも似たようなものがありました。
史実から解放する云々というのを考えると、これも結局は破壊型大河になるのかなと思います。これに関しては『花燃ゆ』で一度。「
大河ドラマの破壊 」としておかしな部分を挙げてはいますが、今回も同じことをするべきか迷っています。
しかも今回は、著名な人物の描写が少ないから、彼らとの接点になるべき歴史イベントも登場しない。故意に史実から解放した挙句、みすみすネタを放棄、あるいは無視しているとも取れます。どう見ても、戦国大河の魅力の否定になってしまっています。
それと、これは昨日書き忘れていましたが、「公園の一郎君」が気賀の商人とはかなりの出世ですね(笑)。
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