甲斐へ赴き、武田家に仕官した勘助ですが、晴信から破格の待遇を受けることになって、家臣たちを唖然とさせます。そして甘利虎泰をはじめとする家臣たちは、彼の実力を試すべく、木刀での試合を申し込みます。しかし当の勘助は真剣勝負を願い出、それに名乗りを上げたのが、鬼美濃こと原虎胤でした。勘助は奇想天外な作戦を編み出し、晴信や信繁、そして居並ぶ家臣団の前で、それを堂々と披露します。
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鬼美濃こと原虎胤は勝負に打って出ようとしたが、勘助はそれを制した。城中が戦場にふさわしいか、あるいは、この場を地で汚すのかと異議を唱え、南東にある富士見池で、翌日勝負を行うことになった。その夜勘助は、春日大隅の家で、戦を仕掛けられたことを話し、春日家にある舟を出してくれるように頼む。翌日富士見池のほとりでの勝負で、勘助はまたも注文を付けた。自分は片脚が不自由であるため、同じ条件下である舟の上で、対決をしたいと言うのである。原は吐き捨てるように言った。
「山本勘助、おぬしのその回りくどい口舌が気に入らぬのじゃ」
二人は源五郎が漕ぐ船に乗り込み、止めてあったもう一艘の舟に移って、互いに太刀を抜いた。しかし勘助の太刀は、水面を薙ぎ払い、舟の底に穴を開けた。穴から吹き出す水を眺めつつ、勘助は自分の近くに寄せた、源五郎の舟に飛び乗り、原に縄を投げた。縄に飛びつく原。しかし、今度は勘助がその縄を切ろうとし、落ち着かない表情の原を見つめつつ、勝利宣言を行った。笑いを洩らす晴信や信繁、家臣たちに向かい、勘助は「兵者詭道也」と書いた紙を掲げ、戦とは、相手を傷つけずに味方に引き入れること出ると、滔々と述べた。
雪の中原は濡れ鼠となり、春日家でくしゃみをしながら暖を取っていた。原は実は泳げず、そのことをも知ったうえでの策であったかと勘助に尋ねた。勘助は答えた。
「全く知りませなんだ」
その一方で、武田家の二男、次郎が疱瘡に罹った。不動明王に祈る大井夫人と三条夫人。幸いにして次郎は一命を取り留めたが、両眼の視力を失ってしまっていた。三条夫人は悲嘆にくれた。
勘助は躑躅ケ崎館の近くに屋敷をもらった。その新居に帰り着いてみたところ、太吉とその家族がそこにいて、掃除やら台所仕事やらに励んでいた。今後住み込みで仕えたいと言う。その後太吉の女房、おくまが夕餉を整えた。主である勘助が食事を摂る中で、太吉の家族は料理に箸をつけず、じっとしているため、勘助は子供たちに食べろと勧める。その後太吉に、甲斐はこれからますます忙しくなると話す。信濃侵攻のため、戦が多くなることを予感していたのである。
その信濃を追われた真田幸隆は、関東管領上杉憲政の家老、長野業正を頼っていた。しかし上杉が出兵を行うことを知り、妻の忍芽と共に喜ぶ。そして勘助は、教来石と共に城内を歩いていた。教来石は勘助から、城取りの極意を学べと晴信にいわれていたのである。そこへ三条夫人と嫡男の太郎、侍女たちが通りかかった。挨拶をする勘助に、その目はどうしたのかと訊く三条夫人。疱瘡で視力を失ったことを告げると、三条夫人は顔色を変え、太郎を抱きしめた。この男が、武田家に災いをもたらすように見えたのである。
その夜寝所で、晴信は三条夫人をたしなめていた。その時、急な知らせが入る。板垣、甘利、飯富の三人が駆け付け、諏訪頼重が武田に無断で、兵を動かしたことを伝える。諏訪頼重にしてみれば、晴信はまだ若輩であり、しかも家督相続でやるべきことも多いと見て、自己判断で挙兵したのであったが、これは明らかに武田との盟約に反していた。しかもこれが、後に諏訪家に大きな危機をもたらすことになる。
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座右の銘ともいうべき「兵は詭道なり」を実践した「戦」で、勘助は堂々と鬼美濃と渡り合います。一方で晴信の二男次郎の失明、そして上杉挙兵と様々なことが起こり、次回は、城攻めを教えることになった教来石景政と共に、高遠調略に向かいます。しかし今回のサブタイ「招かれざる男」ですが、これは恐らく「招かれざる客」の捩りでしょう。今年の大河も同じ捩るのであれば、このくらい内容と噛み合っていてほしいものです。
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