何やら最終回を思わせるサブタイですが、さにあらず。勘助と武田晴信の出会いを決定づける回です。その一方で晴信は、弟信繁を立てようとする父信虎との仲がいよいよこじれ、父への謀反を考えるようになって行きます。
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勘助と平蔵は海ノ口城の天井裏に潜んで、晴信と板垣信方主従のやり取りを聞いていた。奇襲は父のためにしたのではない、父は喜ばぬと晴信は言い、さらに板垣に対し、そなたを父と思うておるとも口にする。晴信に取って、彼こそが唯一の理解者だったが、勘助もそれを感じ取っていた。すると、最初の矢を勘助に止められた平蔵が、二本目の矢を主従めがけて射る。しかしその矢は、板垣が叩き落とした。
天井裏を狙う武田軍の槍から、かろうじてわが身と平蔵を守る勘助。そして天井から降り、兵たちに取り囲まれてしまう。板垣はかつて自分が召し抱え、しかも今後武田を脅かすことになりかねない勘助を成敗しようとするが、晴信はそれを止める。そして、武田に一度は粘り勝ちした作戦が、勘助のものであると知り、武田への仕官をそれとなく口にする。しかし板垣の反発が激しく、成敗するとの目的で、刃を首の後ろすれすれで止めた。勘助は、これへの悔しさを隠しきれなかった。
晴信が奇襲で海ノ口城を落としたことで、信虎は複雑な気持ちになった。素直に喜べず、何かと難癖をつけ、自分に下知を請わぬのはなぜかと、晴信の頬を家臣の前で打つが、晴信は取り乱さず、むしろ冷静に父への感謝の言を述べて去る。一方勘助と平蔵は袂を分かち、勘助は晴信という男の存在感に打たれていた。一方平蔵は、高熱で行き倒れていたところを、諏訪大社からの帰りの、矢崎十吾郎とヒサの父娘に助けられる。
それから4年が経った天文9年、信虎は諏訪との関係強化のために、娘の禰々を諏訪頼重に嫁がせた。その後自身で諏訪を訪れ、諏訪からも人質を差し出すようにと頼重に告げる。頼重と側室の間に生まれた娘、由布姫を自らの側室にするつもりであった。その翌年、正月を祝う席で、信虎は家臣一同の前で、元服を済ませた晴信の弟、信繁を呼び寄せて、自ら杯に酒をついだ。それは、信繁を後継者と認めたということだった。さらに晴信には、しばらく駿河の義元の下で学ぶように伝える。
その年も甲斐は大きな飢饉に見舞われた。晴信は、水害をしばしばもたらす釜無川へ、板垣を伴って出向き、話を切り出した。水は柔軟であるが、ひとたび猛威を振るえば水害となる。猛威だけを振るえば、忌み嫌われる存在となる。晴信は、父を水害になぞらえており、さらにこうも言った。
「かような時に信濃へ出兵いたせば、百姓、地侍らの不満はいかばかりか」
いつ一揆が起きてもおかしくない、自分は水を堰き止め、その流れを変えてみせるとも言い、板垣に、父につくか、自分につくかを迫った。
「儂に従わぬのなら、この場で儂を斬れ!」
板垣は書状を伝兵衛に託し、今川義元に秘密裏に届けさせた。その伝兵衛が駿府を歩いていたところ、どこかで見たことのある人物を見かけた。徳利を抱えてふらつきながら歩くその男は、まぎれもなくあの男だった。
「勘助!」
振り返ったその男はやはり勘助だった。あの後駿河に戻り、無為徒食の日々を送っていたのだった。
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『風林火山』のあらすじを書いていると、やはりこれは大河だなと強く思います。無論この大河もいい部分、そうでない部分はあるのですが、どこか筋が通っている印象があります。晴信が、板垣に刀を抜かせ、従わぬのなら斬れというシーンはかなりの迫力があります。ところで、水害をもたらす釜無川ですが、その後御勅使(みだい)川との合流点に、堤防が築かれることになります。所謂「信玄堤」と呼ばれる堤防です。
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