まず今回、小野政次が、高瀬が間者であることを疑うべきと言ったのは、この時代としては正論でしょう。ただでさえ、武田と今川が不穏な関係になっているのに、素性の知れぬ小娘を、そう易々と受け入れていいものかというのは当然なわけです。むしろその考えを共有できない直虎とか、中野直之、奥山六左衛門の方が、無防備であると言われても仕方ないわけで、その無防備さが恐らく牢の警備にも出ていたわけでしょう。しかし政次も、他の大名家などであれば、ごく当たり前の家臣ではあるのですが、井伊家では異端扱いされるわけですね。
その一方で、井戸に向かってなんだかんだぶちまけるのは、どう見ても朝ドラ的展開です。直親が何を言ったとか、それに対する恨みつらみとか、はっきり言ってどうでもいいことなのですが…
要はここで問題になっているのは、高瀬の素性であり、直親が他に女を作っていた、許せないという個々の事情ではないわけです。 この当時、武士が一夜の宿を求めて、主人が伽の相手に娘を差し出すなどというのもあったでしょう。直虎もしのも憤懣やるかたなかったにせよ、ああいう描き方が何か軽いのですね。
中世的な見方をあれこれ持ち込む一方で、こういう部分だけ現代的解釈というのが、どうも要領を得ないのですが。 ところで高瀬が言っていた河三郎とは、あれは河童のことでしょうか。その高瀬が松下常慶を気に留めるシーンがありますが、彼女は間者ではないにしても、何らかの形でこの人物を知っているようです。この時代、年頃の娘が一人で遠路旅をするのは、かなり危険です。間者や素破などに救われた可能性もあります。しかし彼女の着物がほつれまくりの穴だらけで、『風林火山』の勘助の着物よりもみすぼらしい。井伊家の娘になって、きれいな着物をもらってよかったねと言ったところでしょうか。それとこれも着古された毛皮の胴着に、昨年の真田昌幸を思い出します。
その常慶が織田と武田の同盟について、直虎と南渓に説明し、松平は実質織田の家臣のようになっていると話します。一方で家康は常慶に、今川が飯尾の件で和睦を求めて来たと言います。これは、氏真が曳(引)馬城の城主飯尾連龍(致実、むねざね)を攻めた際に攻め落とせず、永禄8年末に謀殺したというものですが、その理由は、家康と内通したためでした。飯尾家に関しては、中野父や新野左馬之助の曳馬城攻めの時に、もう少し描くべきだったでしょう。何よりも周囲の大名や領主も描かないと、井伊家そのものの立ち位置がはっきりしないので。しかし今川は敵と強調する酒井忠次、如何にも三河武士です。
それから直虎がしの相手に、娘ができると調略もできると言っていますが、
井伊家に調略という概念があったのかと、ちょっと不思議です。無論これが『真田丸』であれば、昌幸が人質の駒が増えたと喜ぶわけですが、井伊の場合は、どう見ても調略とは縁遠そうな存在です。 しかし、正室との子ならまだしも、母親が名も知れぬ者であれば、人質としての価値はやはり下がります。彼女は史実では、家臣の許に輿入れすることになるようです。昨年のすえが、石合十蔵と結婚したのも、母親の身分が低かったためと捉えることができます。
それと南渓和尚ですが、しれっと嘘をつくあたり、登場人物の中で、一番間者に向いているように思います。一方瀬戸方久は、駿府での種子島の製造を、今川の鉄砲鍛冶に奪われたと不満げですが、まあ、そんなものでしょう。しかしこの人は、ますますギャグ担当要員の印象が強くなっています。結局新天地気賀を目指すわけで、ここはぱっと見『真田丸』の安土城下に似た都市です。この気賀、現在の浜松市北区細江町に当たる地域のようで、江戸時代には井伊谷三人衆の近藤氏の子孫が、ここの関所を管理していました。ちなみに、かの清河八郎がここの関所を破ったことで知られています。
そして例の謎の旅の男、盗賊の頭が、この気賀に現れます。今後しばらくはこの人物が、何かにつけて登場することになりそうですが、
あまりオリジナルキャラに頼るのもどうかとも思います。 無論、そうでないと50話持たせられないのかもしれません。また、主人公を引き立たせるためのオリキャラであればそれも納得です。しかし、オリキャラに主人公が引っ張られるような展開になりそうな予感です。
何よりこの主人公は、年齢や立場の割に子供だなと思います。 しかも孫子や今川仮名目録を読んでいたはずなのに、それから何も学んでいないように見えてしかたありません。
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