1991年ワールドカップのスコットランド戦は、スコットランド代表のホーム、エジンバラのマレーフィールドで行われました。この試合、日本代表は前半は見せ場を作っていました。フルバック細川選手のドロップゴールが決まったり、トライを挙げたりで、「遠方から来た小柄な選手のチーム」の健闘に、地元の人々からは拍手が贈られました。しかしこの拍手は、無論、対等でないチームに対する「優しさ」「温かさ」でもありました。
平尾氏、当時の平尾主将は、この試合の前半は「ベストゲーム」と語っています。しかしなぜ対等にやれなかったのか、それは名前負けだとも言っています(ラグビーマガジン第2回ワールドカップ速報号)。その前の第1回ワールドカップで、アメリカにもいいところなく敗れたことを思えば、この第2回での1勝は、実質最下位争いのようなものだったとはいえ、大きなものでした。また、マスコミのバックアップのもと、満を持する形になり、だからこそ悔しいという思いも垣間見えていました。
ただスコットランド戦の後半は、カバーディフェンスが機能せず、常に攻め込む側の相手の人数が余っていて、易々とトライを取られました。本来これは逆で、守る側の人数が余っていないといけないのですが、その部分に関しては、まだ経験値が足りなかったといえます。これはのちに外国籍プレイヤーを多用し、いくらかの改善を見ますが、この時点ではまだそこまで行かなかったわけです。そして、経験値の少なさは、国際試合数がきわめて限られていることにもありました。
観客の「暖かい」(原文ママ)拍手には平尾主将も、悔しさをつのらせたに違いないと、この速報号には書かれています。日本が対等に見られる=いいゲームをするための強化策として、トレーニングの改善に言及もされていますが、この当時は外国人コーチの招聘や、国際試合数の増加ということはまだ考えられていなかったようです。こういった問題が浮上してくるのは、1995年の第3回ワールドカップで、日本が屈辱的な大敗をしてから後になります。
ハーフタイム9-17で折り返したこの試合の最終スコアは、9-47でした。その後日本は、アイルランドとの試合を戦うことになります。平尾氏のいとこでもある細川選手が、「そんなに強いとは思わなかった」というアイルランドに対して、日本はどのように戦ったのか。全体を見ればなかなかいい試合ではありましたが、この試合も勝つことはできませんでした。宿沢氏によれば「勝てる試合を逃したのかもしれない」という、そのような試合でした。詳細についてはまた次にて。
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