今後の大河というよりは、今後の『おんな城主 直虎』予測といった感じになります。ここまで観て来て、割とまとまってはいますが、まだ戦国の荒波といったイメージはありません。無論戦もあり、多くの人々、特に男性が亡くなっていますが、主人公が戦国を実感するのは、これからになって行きます。冒頭が子供中心で牧歌的であったこと、主人公が出家して寺で暮らしているため、戦国大河に付き物の孫子の兵法や戦支度、分国法などの軍事や政治絡みのことよりも、説法が多く登場するということもあり、そのためいくらか浮世離れした印象があったのも事実でしょう。
次回では、次郎改め直虎が、今川仮名目録を読むことになります。そして商人瀬戸方久によって、数字にシビアにならざるをえなくなる上に、盗賊団の登場、そして虎松を引き取ることになります。そして予告動画によれば、虎松がまだ幼いうちに、父直親がどのような人物であったかを、語って聞かせることにもなりそうです。無論それが功を奏して来るのは、菅田さん演じる虎松が登場してからでしょう。そして小野政次ですが、推測ですが、最終的に直虎とは完全に対立はしなくても、徳川とは対立することになる確率が高いです。その「完全に対立しない」有様が、どう描かれるのかなと思います。
しかしやはり、この政次が登場することで、この大河がありきたりな女性大河にならずに済んでいる部分はあります。これが女性たちと直親、あるいは井伊の男性だけであれば、『江』や『花燃ゆ』的になっていたでしょう。というか、この大河の人物を、敢えて昨年と重ね合せた場合、
直虎-信繁
直親-梅
政次-きり
のような感じになるでしょう。男女が逆転していますが、信繁が後々まで梅に抱いていた感情を思えば、こうならざるをえません。
また、合間合間で女性らしさ、たとえば直虎の母の祐椿尼(千賀)が、戦の遺族に手紙を書いたり、直虎が夫婦約束をした時に作った小袖を、評定に出る時に着せたりするシーンなどはいいと思います。『八重の桜』で、普段は針を持たない八重が、弟のために南天の刺繍をするシーンを思い起こさせます。
それからしのと氏真が似通っていると書いていましたが、この2人の共通点は
この2点だろうと思います。特定の存在とは、しのに取っては直虎、氏真に取ってはもちろん父義元です。その結果しのは、直虎に対して感情的で子供じみた態度を取るようになります。また氏真が桶狭間の後、亡き父に対して、開き直ったようになるのもそのせいでしょう。祖母寿桂尼の意を汲んで、平気で粛清じみたことを行ったり、我が子の蹴鞠を見ながら、その鞠を蹴る場所もなくなるなどと口にしたりするようになりますし、新野左馬助の前で乱暴な行為に出たりもします。政次の言を受け入れるのも、自分を満足させてくれる人物とみなしているせいと思われます。無論、政次の真意がどこにあるのかはわかりませんが。
ところで今川家で、闘鶏が行われています。元々闘鶏は貴族の間で盛んで、かつては宮中でも行われていました。『新・平家物語』の原作では、平時忠が、闘鶏で小遣い稼ぎをする場面が描かれています-ちなみに、大河の『新・平家物語』でこの時忠の若い頃を演じたのは、今回の竜宮小僧である中村梅雀さんだそうです。実はこのシーン、1991年の大河ドラマ『太平記』で、闘犬にうつつを抜かす執権北条高時を思い出します。この高時を演じたのが、『軍師官兵衛』で小寺政職を演じた片岡鶴太郎さんです。この両者のキャラはちょっと似ています。
しかし次郎法師、大爺様と酒を酌み交わして酒の味を覚えたのか、ついに昼酒を嗜むようになってしまいました。しかもこの人は結構強いですね。これもやはり大爺様の血なのでしょうか。こういう破戒坊主的な描写もまた、還俗へ至る過程とも見ることができます。とはいえ、還俗すれば本領安堵も当然なくなるわけですが、そこは、今川もそんな昔のことは忘れているだろうと、すっとぼけてほしいものです。
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