では豊臣編です。
長宗我部盛親 盛親さん、戦は嫌いと言っていたのですが、夜襲には参加なのですね。それとこれとはまた別ということでしょうか。しかし、秀頼公が四国をご所望と聞いて、自分は淡路島でいいなどと言う辺りは、なかなか可愛らしいところもあるようです。長宗我部の遺志は、後に土佐勤王党に引き継がれるといってもいいのですが、その北にある伊予の宇和島を伊達の分家が統治して、幕末に黒船を作らせ、さらに松山から秋山兄弟と正岡子規が出るというのは何やらえにしを感じさせます。
塙団右衛門 ここに来て、にわかに頭角を現し始めた塙団右衛門。子供の頃大坂夏の陣で最初に覚えた武将といえば、実は真田幸村ではなく、後藤又兵衛とこの塙団右衛門でした。報奨金で鉄砲買って来たぞーと見せびらかす辺り、豪傑の片鱗をのぞかせます。実際この人物はそういうところがあったようですが、一方で久々に再会した奥さん(多分)に、大名になると言ってみせたり、法螺、もとい結構優しいところもあるようで。
大蔵卿局と大野兄弟 「母上は黙っていてください」
「…いいえ、私は黙らない」
何かこういうドラマがあったような気がしますが、それはさておき。何とも不思議な母子かつ兄弟関係ではあります。というか、茶々かつ秀頼の乳母で、自身を二人の代弁者と思い込んでいる大蔵卿局が、息子に対して「たこ」「あーん」とは…いやはや。あの辺りが三谷さんらしいといえばそうですが。又兵衛が「薄気味悪い親子」と言うのも納得です。しかも今度は修理が弟の主馬に殴られるわで、信繫(幸村)にとっては、およそ解しかねる関係ではあったでしょう。しかしこのような状況を作り出したのは、当の豊臣家でもあるのですが。
信繫 「戦が終わればそのようにしましょう」
「私は勝つためにここに来た」
「私は負ける気がしない」
何だか信繁が逆神化しているように取れます。というか、この戦に関わっている上層部の見解が後手に回っているのが最大の原因ですね。ただし有楽斎は意図的にやっていますが。しかし他の大河ブログにもありましたが、有楽斎を追い出すのはかえってまずかったような気もします。あそこで何食わぬ顔で留めておけば、もっと相手のしっぽをつかむこともできたのですが。尤も有楽斎の場合、豊臣のために何とか徳川に臣従させたいという気持ちもあったかと。
信繫その2と大角与左衛門 畑を鍬で掘り返したら、利休の刻印入りの箱が出て来て、中に新型の銃が入っていた。しかもその場所は、かつて利休の茶室があった…何か出来過ぎのように見えます。無論偶然が重なってそうなったとも取れますが、誰かがこっそり埋めておいた感もなきにしもあらずです。その場合、利休の刻印入りの箱を誰かが用立てしたことになり、その数はきわめて限られますが。
そして大角与左衛門、何とも怪しげです。無論密書の「お」の字は、大野兄弟の誰かである可能性も捨てきれないのですが、情報をつかむうえで、厨にいるというのはきわめて便利ですし。しかし与八は気づいてなさそうですね。
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