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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2024年03月

北九州と福岡と その6(それぞれの、赤いシンボル)

今回は海に関する建築物についてです。

まず以前もちょっと書いたことがありますが、北九州市の若戸大橋、洞海湾を跨ぐ橋で、この橋の建設は、後の関門橋や本州四国連絡橋、あるいはレインボーブリッジなどの手本となりました。また建設時には「東洋一の夢の吊り橋」とも呼ばれています。

元々は若戸、つまり若松と戸畑の間は船が運航されていたのですが、船自体が小さいためあまり大きな物(馬や車など)は運べず、事故も起きたことから、道路建設が叫ばれていました。しかし第二次大戦のため計画が中止になり、その後車の普及が広まったことから、昭和30年代に旧日本道路公団が事業に着手し、昭和37(1962)年に供用開始となっています。

また当初は歩道がありましたが、その歩道を廃止して4車線とし、北九州都市高速道路と直結させた道路網が平成2(1990)年に完成して、現在は無料で通れるようになっておいます。深紅の橋は青空にも夜空にもよく映えます。

若戸大橋ライトアップ2
若戸大橋のライトアップ(ぐるリッチ北Q州)

一方で福岡市。こちらは若戸大橋に匹敵するほどの橋はありません。それとはまた別の意味で、価値のある橋は存在するのですが、海の近くの赤い建築物となると、博多港のポートタワーとなるでしょうか。

この博多港、かつては日宋貿易の中心地であり、三津七港(室町時代末に作られた、日本最古の海商法規。博多は津や境と並ぶ三津)のひとつでした。そして今も神戸より西では貿易額、そしてコンテナ取扱量がトップとなっています。

この博多港の、博多埠頭(ベイサイドプレイス博多埠頭、国内航路の発着点)に立つのがこのポートタワーです。1964年竣工のこのタワーは全高100メートル、70メートルの高さに展望室があって入場は無料です。

塔博士の異名を取る内藤多仲氏によって手掛けられた6つのタワーの1つであり、一番最後に作られたことから、タワー六兄弟の末っ子とも呼ばれたことがあります。
ちなみにこのタワー六兄弟とは
名古屋テレビ塔
2代目通天閣
別府タワー
さっぽろテレビ塔
東京タワー
博多ポートタワー
です。

かつてはレジャー施設がありましたが、その後は博多港のPRセンターとなり、2007年には博多港ベイサイドミュージアムがオープンしています。

博多ポートタワー
下から見上げた博多ポートタワー

ところでポートタワーの画像、若戸大橋と同様に夜景にしようと思ったのですが、これがインスタ画像でなかなか見つからない。そのため、フリー画像を使っています。しかし夜の闇の中で、ライトアップされた赤はやはり目立ちます。

(2024年3月31日本文と画像を修正)

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[ 2024/03/31 04:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

第12回『光る君へ』武将ジャパンコラムに関するnote記事

今週も、たけたけさんのnote記事からいくつかご紹介します。いつも通り、ダークブルーの文字は、武者さんのコラムからの引用部分です。

大河コラムについて思ふ事~『光る君へ』第12回~https://note.com/taketak39460607/n/n82b6cdc4453d


まずさわの登場からです。

被衣を被り、なかなかのお姫様に見える彼女が母の手を取ると、二人は涙を流し合っている。

これに関しては「さわさんは被衣(かづき)ではなく、虫の垂れ衣が付いた市女笠を被っています」とあります。私も武者さん関連投稿で書いていますが、被衣は文字通り衣を頭から被るものですね。

これはシスターフッドを推すものとしてもよい描写ですし、紫式部自身も同僚女房へのほとばしる友愛を記しています。
素敵な姿です。

この「紫式部自身も同僚女房へのほとばしる友愛を記している」、具体的にどんな史料のどの様な記述であるのか、提示してくださいと書かれています。同感です。
ところでこのさわという人物、平安時代中期の武士である平惟将(平将門を討った平貞守の子)の娘と言われています。伊豆の豪族である北条氏に連なるとされてもいますが、これはあくまでも自称とのこと。尚こういう説もありますので、原文をそのままご紹介します。

歴史学者・角田文衞氏の説によれば、維将公の娘は紫式部の親友・『筑紫へ行く人のむすめ』であるそうです。
紫式部の父方の従姉妹(生母が為時公の姉妹)で、『紫式部集』によると二人は同時期に姉妹を亡くしており、紫式部は筑紫の君を「姉君」と呼び、筑紫の君は紫式部を「中の君」と呼んでいたのだそうです。

薄衣から肌が透けて見える唐代美女の絵でした。
江戸時代の春画ほど際どくはないものの、エロチックなことは確か。

赤痢から回復した藤原実資が、宣孝が持参した巻物の中から見つけた枕絵ですね。
これについてたけたけさんは、この絵の女性が身に着けている透ける絹物は、唐末から宋の時代にかけて大流行し、平安時代頃には夏の衣料として用いられた「紗(しゃ)」、4世紀前半に中国大陸から渡来して、その後飛鳥時代には日本でも作られるようになった「羅(うすもの)」ではないかと指摘しています。

また日本では単袴もあり、国宝である『源氏物語 夕霧』に登場する雲井雁がこの姿であること、夏の午後にこのままの姿で昼寝をし、父である内大臣に「いとものはかなきさま(不用意な格好である)」と叱られる場面が紹介され、そのイメージが投影されているように見えると書かれています。

ちなみにこの紗や羅に代表される薄物ですが、飛鳥時代から奈良時代頃の、唐風の女性の衣服に見られる領布(ひれ、ストール状の衣服)、ああいうものにも使われていたのではないかと思われます。

なんなんでしょう。
この藤原実資で遊ぼうコーナーは。
『小右記』に記載のある赤痢で遊び、堅物のようで好色であったネタを仕込む。
さらには、当時としては驚異的な90まで長生きした実資を「半分、死んでる」と言い捨てた宣孝が、後に流行病であっさりと亡くなる――そんなブラックジョークでもかましているのでしょうか。
ニヤニヤせずには見ていられません。
(中略)
今回なんて赤痢で苦しみ、エロ絵にニヤつき、ヒロインを鼻くそ呼ばわりして、ことごとく最悪なんですよ。
でも、なんだかイイ。

私もここの部分、どうかと思ったものですが、たけたけさんの文章はこのようになっています。

『赤痢で遊び、堅物のようで好色であったネタを仕込む。』『後に流行病であっさりと亡くなる――そんなブラックジョーク』『赤痢で苦しみ、エロ絵にニヤつき、ヒロインを鼻くそ呼ばわりして、ことごとく最悪』
貶したいのか褒めたいのかどちらなのでしょうか。

赤痢は遊び道具ではなく、衛生状態の悪い平安時代では高熱と繰り返す下痢で強い脱水症状となり衰弱し、死に至る「疫病」として恐れられ、縁談を持ち込んだものの病状によっては命が危なく、『穢れ』として扱い忌避する宜孝公の姿を描いているのではないでしょうか。
そういう触穢禁忌を気にする貴族でも疫病にあっさり罹り儚くなる場合もあるのに『ブラックジョーク』とは。

そしてあの枕絵は後妻を示唆するものではないかとあり、さらに『小右記』長和2(1013)年5月25日条では、
「今朝帰り来たりて云わく、去んぬる夜、女房に相逢う」
と記されており、この女房が越後守為時の娘であることがわかっています。

そして
「昨年の大河はポリコレやジェンダーで叩いたので、今年は是が非でも褒めなければならないと雁字搦めになり、思っていない事を言ったり支離滅裂な文章になっていませんか」
ともあります。
個人的に、武者さんのこの部分の文章は、変におちゃらけた感じを出そうとしているように見えますね。

道綱は道長よりも11も歳上なのにうつけだと言います。
ずいぶんと素直に言うものですよね。
これは道綱と道長の頭の出来というより、蔵書量の違いも大きいでしょう。
トップエリートともなれば、最新版の宋版印刷の書籍すら手に入るほど。
家には日記もあり、インプット量を増やして、賢くなっていくのです。

道長と道綱のシーンですが、まず
「『俺は道長より11も年上だが、うつけだからな』を額面通りにしか取れませんか」
とあり、道綱は庶子でありながら、花山院の退位の企みに参加したこと、兼家の摂政就任や母である寧子の後押しもあって、従四位下となったこと、その急な出世ゆえに相手にされず、また庶子ゆえ高位を望むなと言ったこともろもろが引っかかっていると思われると指摘されています。さらに、不相応の出世に戸惑っているわけで、頭の出来を競っているわけでもない、なのに蔵書量マウントを取ってどうするのですかともあります。

このひとつ前の回を観ていたら、なぜ道綱がこのような姿勢を取るのか、大体読めてくるのではないかと思いますが。

それから兼家が寧子の家の近くまで来て、他の家に赴いた件について。

ちなみに藤原寧子の夫である兼家は、わざわざ寧子の家の近くまで牛車で来て、別の場所に行くような卑劣なゆさぶりを寧子に仕掛けていますから、最悪ですね。

ここでは「ちなみに」とあり、兼家の寧子に対する「卑劣な揺さぶり」についてわざわざ書いているのだから、きちんと出典を提示してはどうかと書かれており、恐らく『蜻蛉日記』で、兼家の別の妾(町の小路の女)の出産が間近になって、縁起のよい方角を選んで兼家と共に車に乗り、寧子の家の前を通って行ったため、彼女は驚き呆れたわけですね、

畑仕事は気持ちがいい。
瓜も菜葉も大きくなれ!と毎日語りかけると、本当に大きくおいしく育つのだとか。

ここの武者さんの記述に関して、私も『カムカムエヴリバディ』を引き合いに出していますが、たけたけさんもこう指摘しています。

以前何見氏は朝ドラ『カムカムエヴリバディ』レビューで主人公が餡子を煮る際に唱える家伝の『小豆のおまじない』を『「おいしゅうなぁれぇ〜」という薄気味悪いオカルト呪文ひとつでおいしくなるそうです。間抜けなドラマですよね。』と言って馬鹿にしていましたが、『野菜に大きくなれと声をかけるまひろさん』に関してはスルーでしょうか。
(何見氏=武者さん)

たしかに、気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらないでしょう。
しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。

ここの部分、目の色を変えて政務や学問に取り組み始めた道長が、行成に教えて貰って手習いをしている、その和歌についても解説がないとまずあります。そして下記リンクの手習いの画像の上のものは、
「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅くは人を 思ふものかは」
で『大和物語』のもの、
「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに」は、
この歌によく似た歌で、『万葉集』のものと説明されています。

【光る君へ】第12回「思いの果て」回想 道長のテキストは光源氏も紫の上もおなじみ ?  共感し合うまひろと倫子
(美術展ナビ)

町田啓太さんは、大河枠として山本耕史さんと比較されます。
二人とも土方歳三を演じ、上半身を脱ぎました。
しかし、それだけではないと私は思います。

ここですが、「土方歳三」という人物を演じた共通点があるからと言って、「脱ぎ要因」として山本さんと町田さんを比較するのはいささか乱暴でもあり、それぞれの俳優さんに失礼ではないかと問題提起されています。山本さんが大河ドラマで脱ぐのは、三谷脚本のなかでそういう立ち位置を求められるからであるものの、町田さんまで必ずしもそうではないし、打毬後の品定めでの上半身を拭うシーンは、汗をかき雨に打たれて、濡れた身体を拭く意味もあったかと思いますと説明されています。

しかし武者さん、嫌いな大河ならやたら俳優を脱がせたがる、けしからんとなるのかも知れません。あとこのコラム全体に言えることですが、ちょっと言葉足らずと言うか、土方歳三を演じ、上半身を脱いだという書き方が如何にも唐突です。
せめて
「土方歳三を演じたことがあります。あと、大河の中で上半身を脱ぐ役を演じてもいます」
程度には書いてほしいものです。

道教では、人の体の中には三尸虫(さんしちゅう)がいると考えていました。
この虫が庚申の日になると、天帝に悪事を告げに行ってしまう。
それを防ぐために、寝ずに起きていることが庚申待ちの夜です。

これに関しては
「何見氏、ほとんどナレーションや紀行で説明された事と同じですね」
と指摘されています。
自分で調べていないのでしょうか。

これは将来、禍根を残しかねない結婚になりそうです。
というのも、文を送っていません。
今の倫子は恋に燃えて夢中で、そんな苦さには気づかないでしょう。
 
この「文を送っていないから禍根を残しかねない結婚になる」
ここのところについても、平安時代の結婚がどの様な手続きを経て成立するのか、具体的に説明しないと、道長の行動がどのようにおかしいのかが分からないとあります。

通い婚である当時、男性は意中の女性に懸想文と呼ばれる恋文を送り、それが先方の乳母や女房達によって審査されて合格すると、当の女性に渡されます。その後吉日の夜に、男性は女性を訪問して一夜を共にし、後朝(きぬぎぬ)の歌を贈り、三日続けて通った後に「露顕(ところあらわし)の儀」と「三日夜餅の儀」を経て、晴れて2人は結ばれると説明がなされています。

無論、道長は文もなく、しかも当日は庚申待で男女が交流するのがはばかられるのに会いに行き、倫子の母穆子がどうしたものかと考えることになります。たけたけさんの記事には、既に道長と倫子の縁談が、ある程度進んでいたのではないか(だから許されたのではないか)とあります。

そしてまひろが酒を飲むシーン。

こうもぐいぐいと女性が酒を飲む場面は珍しいし、吉高由里子さんは酒を飲み干す姿が似合います。
まさしく酔芙蓉の美です。

この酔芙蓉は朝花が咲き、時間ごとにピンク色に花の色が変わり、夕方には萎んでしまう一日花で、ピンクの色味が強くなることから、この名がついたこと、武者さんはこの様な表現ができるのに、嫌いな作品の時は『スイカバーの妖精』なのだと書かれています。

あとやはり、『花子とアン』ではヒロインの花子が、花子さんが「ぶどうで作った薬」と言って、葉山蓮子が勧めたワインを酒とは知らずに飲んで酔っ払い、結局寮の部屋で眠り込んでしまうことが引き合いに出されています。は酔っぱらいぶりが「かわいい」と大変好評だったそうで、「酒を飲み干す姿が似合う」はこちらもかも知れないともあります。

ところでこの酔芙蓉ですが、楊貴妃が酒に酔った姿をこう例えたようで、武者さんはあるいはそちらの方を言いたかったのでしょうか。

私は陰陽道の知識はありません。
しかし、呪詛はできるような気がしてきます。
結局のところ、人間の心理により形成される。
穢れがあると大勢が認識すれば、結果はあとでついてくるとみた。

これ、何だか不気味ですね。私は陰陽道そのものの知識は、平安大河について書くうえであった方がいいが、それを呪詛に使えとは言わないと書いています。

そしてたけたけさんは、安倍晴明が、(帝の子を)呪詛すれば己の命も削ることになると言っており、誰でも簡単にできることではないこと、「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように。不相応の呪詛は不幸が返るだけだと思いますといなしています。

あと呪詛自体は今の日本では不能犯で、処罰の対象にはなりませんが、特定の人物に対し呪詛するぞと脅しをかけるとか、呪詛に使う、たとえば藁人形などを相手に見せつけたりすると、脅迫罪となることはあるようです。

そして例の『どうする家康』叩き。

この記事の問題点は、穢れである昨年を持ち上げようとした結果、祟りに当たった。
そうオカルトとして片付けても良いのですが、奥底にある心理を探ると、ある結論に達します。

たけたけさんは、武者さんが日本史上の信仰心や風習、宗教観や死生観などを理解することなく、オカルトやカルト宗教とみなして叩き続けていること、『どうする家康』を穢れだと思うのなら、平安貴族のようにそれから離れてはどうかと書いています。
「思い出したくない嫌いなものは積極的に関わるのではなく、離れるものだと思います」
ともありますが、正にそうですね。

私は関連投稿で、昨年のこのコラムで、武者さんが『どうする家康』は穢れだと書いている箇所のスクショを貼っていますが、なぜ忘れようとせず、その「穢れ」をまた引っ張り出すようなことをするのか、合点が行きません。

飲み物-スコッチウイスキー
[ 2024/03/31 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『暁の空』/‟Akatsuki no Sora” (The Dawning Sky)

『どうする家康』の音楽を担当した稲本響氏が、youtubeにドラマで使用された曲をアップしていますので、OPテーマ『暁の空』を置いておきます。

”Akatsuki no Sora” (The Dawning Sky) written by Hibiki Inamoto. It's the opening theme of "Dōsuru Iēyasu", Taiga Drama Series of 2023.




[ 2024/03/30 04:00 ] その他/others | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-4

第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその4です。今回は『どうする家康』叩き関連と「武者節」です。まず先日ご紹介した分、このコラムで引用されている部分ですが、再度ご紹介しておきます。


昨年の大河『どうする家康』の北川景子や有村架純ではこうはいきません。松嶋菜々子まで絡んできて、視聴者は正座してテレビ画面と対峙する覚悟が必要でした。男性のキャストも、岡田准一が演じる狂気の信長はじめ、阿部寛、松山ケンイチ、大森南朋、ムロツヨシと主役級が並び、豪華すぎて気を抜くことができませんでした。おまけにCGで馬が駆け回り、派手な戦闘シーンは見ていて疲れました。

対して、『光る君へ』は歌に蹴鞠と平和な画面が続きます。シチュエーションもコロコロ変わらないので夕食を食べながらでも、食事後なら明日の支度をしたり雑誌や新聞に目を通したりしても、ストーリーについて行けるのです

「『光る君へ』業界のプロから「ながら視聴に向いている」と言われるワケ」(デイリー新潮)

まずこの記事の筆者が、あまりきちんと『どうする家康』を観ていないなと思われる部分から。
「派手な戦闘シーンは見ていて疲れました」
実は『どうする家康』の戦闘シーンは、そこまで派手ではありません。派手というか、所謂華麗な合戦絵巻のような雰囲気ではなく、戦の悲惨さ、兵たちがばたばた死んでいくシーンなどがメインであったと思われます。つまるところ、戦のシーンはあまりかっこよく描かれておらず、その周囲にいる人々の思惑や、戦を避けるか否かの選択の描写が寧ろ多かったようにも感じられます。

そして同じ筆者の『光る君へ』観。確かに戦国に比べると穏やかではありますが、その中でも権謀術数が渦巻き、それに翻弄される人々もまた存在するわけで、最初から最後まで和やかモードというわけではないでしょう。
(ちなみに武者さんも、平和ではないといったことを書いてはいます)

そして上記の『デイリー新潮』の文章、案の定武者さんはお気に召さなかったようで、こちらも再登場になりますが。

実資顔で「ふざけるな!」と言いたくなるこの部分。
歌と蹴鞠と言いますけど、そもそも蹴鞠はほとんど出てきていませんよね。

しかし実際藤原実資が、第7回「おかしきことこそ」で、除目で藤原義懐が参議になったのはおかしいとぼやきながら、鞠を蹴っているシーンがあります。そして妻の桐子が、それは私に言わないで日記に書けと勧めているのですね。しかし実資は、書くにも値しないと憤懣やるかたないようです。

そしてその後ですが、

信長の狂気って何なのか? 耳かじりBLでしょうか?
CGで馬が駆け回ったことは確かです。しかし評判は非常に悪かった。
派手な戦闘シーンとやらも、火縄銃を連射したり、レーザー砲じみたSF砲撃が大坂城を吹き飛ばしていたことなんですかね。そういう雑なプレステ3程度のVFXは失笑されておりました。
真田信繁が徒歩で家康の陣に向かう間抜けな戦闘シーンは、確かに見ていて疲れましたが、それは呆れたからです。

信長の狂気はもちろん家康の耳をかじることではなく、家康に対して無謀とも言えるような命令を下したり、あるいはプレッシャーをかけ続けたりすることであり、しかも信長のみならず秀吉も同様で、そして三河家臣団も、時に家康に取って諫言したり、あるいは圧力をかけたりする存在ではありました。

そして
「火縄銃を連射したり、レーザー砲じみたSF砲撃が大坂城を吹き飛ばしていたことなんですかね」
火縄銃は連射しておらず、装填ができた兵から順番に撃っていました。しかし武者さんは、連射していると思い込みたいのでしょうね。レーザー砲じみたSF砲撃またしかりですが、自分が嫌いな作品は、時代考証から何から欠点だらけであってほしいのでしょう。

あと
「真田信繁が徒歩で家康の陣に向かう間抜けな戦闘シーンは、確かに見ていて疲れましたが、それは呆れたからです」
信繁はその前に背中から倒れそうになるところがあり、その向こうに馬が見えていますが、彼が馬に乗っていたかどうかは定かではありません。ただ家康本陣は周囲に逆茂木を巡らせており、馬でこれを突破できるでしょうか。あのまま力ずくで中に入り、家康を狙う方が現実的かと思います。

それと、「そういう雑なプレステ3程度のVFXは失笑されておりました」
誰が失笑したのですか?

さらに

この手の「昨年大河はすごかった!」と言い張る層に、私なりにまとめた「すごいリスト」を作りました。

などとあるのですが、要は昨年のコラムで散々使った武者さん用語でしかありません。そしてその中には、偏見や誤解も救からず混じっているとも思われます。
主なものとして

・えびすくい♪
・サンタクロースみたいな衣装の信玄
・蒸し風呂でムフフ
・慈愛の国構想
・ニコライ・バーグマンの花
・消えた干し柿
・太閤、くたばる
・レーシックお愛
・耳かじりBL
・オイラは井伊直政、ダリ髭が特徴だ!
・兜に映り込む照明
・自称男勝りの阿茶
・崩字でなくはっきりと「お千」と書く
・『鎌倉殿の13人』キャストの無駄遣い
・文春砲
思い出したくない――そんな感想をお持ちの読者の皆様、申し訳ありません。
とりあえず「消えた伊賀者五百人」「ニコライ・バーグマン」「消えた干し柿」だけでも相当な穢れですかね。

「サンタクロースみたいな衣装の信玄」には苦笑です。せめて達磨大師とでも言っていただきたい。そしてニコライ・バーグマン氏に失礼だなと思います(昨年のコラムの大部分が、関係者に対して失礼な表現が多いのですが)。しかし干し柿にも未だこだわりますね。
加えて

・本田忠真「酔いどれ侍」
・家康が三方原で死んだ死んだ詐欺
・伊達政宗出る出る詐欺

などとありますが、本多(本田ではありません)忠真は、「飲んべえ殿」とも呼ばれていましたね。しかしそれが特に「すごい」ことでしょうか。この人が家康の前で、ひょうたんの酒をラッパ飲みしていたのは「すごい」とは思いましたが。
そして三方原の戦いでは、夏目広次が身代わりになっていたわけで、もちろん敵を欺くためです。
それと伊達政宗、登場人物のセリフの中には出て来ていましたが。

実際はもちろんこれ以上ありますが、しかしよくここまで覚えていますね。普通嫌なドラマならさっさと忘れませんか?武者さん、昨年のコラムでこんなこと書いていましたけど、これではわざわざ、貴方の言う「穢れ」を引っ張り出して来ているようなものではありませんか。

武将ジャパンコラムどうする家康最終回

なぜ昨年のうちに退散しておかなかったのですか?
こういうのを見ると、「嫌いは好きの裏返し」などという言葉を思い出したりもします。好きの反対は無関心、ここまで書きたがるというのは、それだけ強く意識しているということですからね。

そして「武者節」炸裂。

この記事の問題点は、穢れである昨年を持ち上げようとした結果、祟りに当たった。そうオカルトとして片付けても良いのですが、奥底にある心理を探ると、ある結論に達します。
ゲンダイさんと同じく、読者のおじさんのミソジニーに迎合したいのですね。

女が好きそうなドラマは難易度も低くてくだらないから、本を読みながらでも鑑賞できると見下したい。
実際は、漢籍引用がちんぷんかんぷんだっただけでは? 藤原だらけといういつもの遁辞を使いたいだけかもしれないけれども、ともかく女脚本家、女主演だから貶したいという欲求が先に出ているのでしょう。
こうしたメディアはやたらと『光る君へ』にエロ描写を期待します。
それはただのスケベ心だけでもなく、女の価値は性にしかないという深層心理の発露でしょう。

果たして日本の歴史とは何なのか?
斬り合って殺し合うことだけが歴史でしょうか?
江戸時代まで、日本の教養ある文人は、歴史とは『史記』や『春秋左氏伝』といった漢籍の史書を読んでいました。
(中略)
そういう日本の伝統を踏まえれば、大河といえば戦国幕末と壮年男性が文句をつけているという状況は、末期的に見える。本朝から教養は消えたと嘆くことでしょう。

ミソジニー、女脚本と女主演は叩かれる、大河にエロ描写を期待するな、教養ある文人は漢書を読む、大河といえば戦国幕末というのは末期的。
何だか自分で勝手に敵を作って、シャドーボクシングをしているようにも見えてしまうのですが。

女性脚本家だから、女性主演だから叩かれる(どの大河にも批判者はいるもの)とか、エロ描写云などという表現をわざわざ使いたがる辺り、武者さん自身が女性を低く見ているような気がします。恐らく、嫌いな大河なら率先してエロだ、内容がアップデートされていないと騒ぎそうです。

そして『春秋左氏伝』。
これも第7回でしたか、貴公子たちが投壺をしているシーンがありましたが、この時私は『春秋左氏伝』にも記録があると書いています。

武者さんがそれだけ漢籍にこだわるのなら、そのことに触れてもいいのではないでしょうか。あの時のこのコラムでは、それには触れず、
「F4たちが投壺(とうこ)をしています。
壺に矢を投げる中国由来のゲームで、韓国でも人気があり「トゥホ」ゲームセットが輸入販売されているほど」
とのみ書かれていましたが。

それと「江戸時代まで、日本の教養ある文人は」とありますが、日本で所謂文人的な存在が出て来たのは、江戸時代、それも後期になってからだと言われています。ですから「江戸時代の日本の文人」とでもした方が正しいと思います。また中国諸王朝の文人とは多少意味するところが違うようです。そしてその江戸時代を作ったのは、ほかならぬ戦国武将たちであったことも忘れてはいけません。

しかしやはり昨年の『どうする家康』コラム、ちょっとやり過ぎでしたね。そのツケが今年回って来ていませんか。

飲み物-ブロンドのエール
[ 2024/03/30 03:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

「幻の天守閣」ライトアップ開始と舞鶴公園と大濠公園

まずインスタグラムの舞鶴公園アカウントより、福岡城さくらまつり初日(3月27日)の「幻の天守閣」の動画です。人々が一目見ようと三々五々集まって来ている感じですね。
(舞鶴公園アカウントより)

ところで他にも各地に舞鶴公園はあるようですが、私はもちろん福岡城をメインとした公園という意味で使っています。

この舞鶴公園は福岡城のみならず、鴻臚館や平和台陸上競技場もが含まれています。運営は福岡市で、指定管理者がいます。一方で隣接し、セントラルパーク構想で一体化している大濠公園ですが、実はここは県営です。この意味では西公園と同じで、そのため大濠公園と西公園のXのアカウントが、同じであったりします。

個人的には距離も離れているし、それぞれ独自のアカウントにした方がいいと思いますが、あと情報発信量をもう少し増やしてほしいところです。大濠公園のインスタはいいのですけどね。

ところで舞鶴公園の福岡城と鴻臚館はそれぞれ史跡で、二重史跡となります。一方大濠公園は名勝(登録記念物)になり、当然どちらも新規に土木工事をするには、許可が必要になります。今度県立美術館が大濠公園に移転しますが、色々手続きが大変ではあるでしょう。

尚現県立美術館の近くにある福岡市民会館も、2025年3月に新規オープンの予定です。ここは福岡拠点文化施設という仮称で呼ばれて来ましたが、先日福岡市民ホールという名称に決まりました。利用開始は2025年3月の予定です。

福岡市拠点文化施設の呼称、ロゴの決定について


飲み物-注がれるワイン
[ 2024/03/29 03:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-3

第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその3です。今回特にちまちまと突っ込みたくなるのですが、最後の方の『どうする家康』叩きについては、これとは別に書きたいと思います。


二人とも心は一致していたはずでした。
妾(しょう)でもいい!
妾(しょう)でもよいと言ってくれ!
しかし、結局は別れざるを得ませんでした。

心は一致していたわけですが、それを表に出していませんね。あの時どちらかが本心を出していたら、この後の成り行きはまた違ったものになっていたでしょう。
結局まひろが一歩引く形になってしまった。そしてこの時は一旦別れたものの、その後どのようになるかについては、かなり含みを残していると言えそうです。

照明の玄妙さ。御簾を動かす道長の手つき。そこからのぞく道長の顔。期待と緊張に固まった倫子の可憐さ。優美な音楽。
何もかも美しく、なんて素晴らしいのか――これぞ平安絵巻ではないかとうっとりしました。
こんなに可憐で花のような倫子が幸せなら、もう何もかもいいじゃないか!

武者さん、好きな大河ではこう書きますが、嫌いな大河だとさてどうなるのか。
ジェンダー論を持ち出して、恐らく道長も、そしてこの場合受け身でいる倫子もかなり叩くと思います。この2人の愛をこのように書くのであれば、栄一とお千代、家康と瀬名の夫婦愛もまた評価されてしかるべきなのですけどね。

あと「照明の玄妙さ」とありますが、玄妙とは趣が深く優れているという意味で、たとえば芸術作品などに使われる言葉です。武者さんは使いたいのかも知れませんが、この場合照明の巧みさくらいでいいのではないかと。

これは将来、禍根を残しかねない結婚になりそうです。
というのも、文を送っていません。今の倫子は恋に燃えて夢中で、そんな苦さには気づかないでしょう。
しかし今後、愛に疑念が湧いた時、チクリと痛んでくるかもしれません。

と言うかこの場合、文を送っていないのに道長を入れてしまった穆子の姿勢、これもまた問われてしかるべきでしょう。そして無論道長とまひろの関係も、完全に終わってはいないわけですし。

そして『源氏物語』の光源氏と若紫(紫の上)の結婚ですが、紫の上が初めて源氏と同衾した時心を傷つけられ、その後その傷はふさがっていたように見えたが、その後女三宮が正妻として迎えられる、そういう心のひだを描いているのが『源氏物語』の魅力とあります。

ならば、そのくだりを詳しく書けばいいのにそれもなし。要は葵上の喪が明けた直後、源氏が不意打ちのように紫の上と関係を持っており、さらにこの時の和歌で
「あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れし夜の衣を」
というのがあるのですが、そのくらいは書けないものでしょうか。

こうもぐいぐいと女性が酒を飲む場面は珍しいし、吉高由里子さんは酒を飲み干す姿が似合います。まさしく酔芙蓉の美です。
能天気な惟規とさわも愛おしい。まひろの意志の強さもある。
まひろは恋にこそ破れたけれど、友情や家族愛、そして使命を見つけ、強い目で夜空を見上げます。

まず
「吉高由里子さんは酒を飲み干す姿が似合います」
『花子とアン』では、吉高さん演じる花子が、蓮子の部屋でワインを飲んで酔っ払ったのを、プロテスタントなのに許せないなどと書いていましたね。それが好きな作品だと「酒を飲み干す姿が似合う」ですか。皮肉ですか?
あと「プロテスタント」は正しくは「プロテスタント諸派(教会)」でしょうし、花子はこのドラマでは受洗していませんし。無論、女学生がそこまで酒を飲むのは問題ですが。

「能天気な惟規とさわも愛おしい」
惟規は能天気ですか?あの時姉がしょんぼりした様子で帰って来たのを見て、酒を勧める辺りは気を利かせているとも思いますが。

「友情や家族愛、そして使命を見つけ、強い目で夜空を見上げます」
この時まひろが「使命を見つける」シーンはないと思います(世の中がよくなるよう、道長に託してはいましたが)。この時点では、あの人との関係は終わったのだなと思いつつ、目に涙を浮かべながら夜空を見上げていたように見えますね。

当人たちは反発しても、その子の世代となるとよい関係が生まれる――これは道長と道綱にも見てとれます。
二人の母は、それぞれ妾と嫡妻としてライバルにあったけど、子同士は仲が良い。
そういうプラスの関係の中で、マイナスの関係も見えてきているところが面白い。
今週、存在感を見せた倫子と明子です。
二人とも道長の妻となるのに、厳然たる差がついてしまい、それが互いの子にも響いてきます。

子供たちの関係がいいと言うのは、その母親同士もそこまで分け隔てされていないということではないでしょうか。道綱も、兼家は自分の母親(寧子)のもとに通っていると言っていましたし。そしてまひろの場合ですが、なつめやさわが実在したかどうかはともかく、既に双方の母はいないし、さわの性格もあってうまく行ってはいるわけでしょう。

一方で倫子と明子。倫子の父親は現職の左大臣(一ノ上卿)ですが、明子の父親は安和の変で左遷されています。それが2人の関係、ひいては子供たちにも影響した可能性はあります。実際明子の子の能信は、道長と倫子の長男の頼通と対立していたようです。

ゲンダイさんがこのドラマに対してチクリと嫌味を書いています。
◆NHK大河ドラマ「光る君へ」で“貴族女子会”シーンがやたら多い今どきの事情(→link)
この記事は平安時代の曖昧な先入観で書かれています。
姫君の遊ぶゲームは囲碁や貝合わせではなく「偏つぎ」でした。

『どうする家康』叩きで散々このメディアのリンクを貼っていたと思いますが、自分が好きな作品を批判されるのは嫌なのですね。
あと貝合わせは登場しません。ただ囲碁は、姫君たちではありませんが、道長が宿直の夜に打っていたと思います。この時武者さんは「囲碁をさしている」と書いていて、たけたけさんに「打つ」ではないかと指摘されていますね。

女性が歴史に参加しなかったわけではなく、後世のバイアスによって活躍が「無かったこと」にされてこなかったか?
これが今注目されているジェンダー史です。

平安時代は女性の発言権もあります。

この活躍がなかったことにされていた(最近では描かれるようになった)のは、『50:50THE Equality Project』をNHKが採り入れ、女性の登場回数を増やすようにしているからとのことで、だからこそ女性が出て来るシーンがあっていいと武者さんは言いたいようです。
で、ゲンダイの当該記事にも
「藤原道長(柄本佑)ら男子会の『雨夜の品定め』もありました。こうした場面とバランスをとるためにも、女子会シーンは不可欠なのでしょう。吉田羊の藤原詮子がなにかと絡んでくるのも同じ理由です」
と書かれています。

しかしこれまた何度も書くようですが、女性たちを登場させるのは、武者さんの好きな大河だけではありません。嫌いな大河も当然含まれます。瀬名にしても於愛にしてもそのような目的で描かれていたはずなのですが、武者さんはそういう大河の女性たちをきちんと評価していたでしょうか。

あと
「平安時代は女性の発言権もあります」
いえ誰も、女性の発言権がないなどとは言っていないはずですが。

ゲンダイさんは打毱も、お色気サービスとして見なしていました。

これも好きな大河だからこう言っているのでしょうね。
もし嫌いな作品だったら、これはたけたけさんのnote記事の一部をお借りしますが、こう言うのでしょう。

これが嫌いな作品ならば『ジェンダーが~!ルッキズムが~!』と叩き続け、『中国ではこう!海外では許されない!アップデートができていない』とポリコレ論争を繰り広げるのかもしれません。

そんな歴史学としての意味だけでなく、今回はシスターフッドの尊さも極まっておりました。
「妾(しょう)でもいい」と思いながら駆けて行ったまひろなのに、相手が倫子ならば引いてしまう。そこには友情を感じます。さわとのやりとりもまぶしい。
女性が愛情よりも友情を選ぶことは十分成立する――そんなことは当たり前でしょう!
そう力強く突きつけてきたように思えます。

何度も書きますが、それは貴方の嫌いな大河でも同じですよ。
昨年、夫をよろしくと瀬名が於愛に託していた、お葉とお美代は互いに愛し合う同士で常に協力していた、さらに登与は家臣団の妻のリーダー的存在だった。こういのも、昨年が好きな大河であればもっと評価したのだろうなと思います。
とどのつまり、武者さんは同じような描写であっても、好きと嫌いとで180度見方が変わり、しかもそれぞれを正当化したがるということですね。

そしてその後、日刊ゲンダイ目線なら、女同士はドロドロしているとか女の友情は薄っぺらいとか言いたくなるのだろうと決めつけ、さらに下記の記事を持って来て、そういう見方に迎合した大河があると叩いています。

◆泉ピン子32年ぶり大河 「西郷どん」で“江戸城のドン”に(スポニチ)
こういうのって、要するに男性目線のファンタジーです。
女同士が連帯して刃向かってきたら厄介だ。女同士の方が仲が良いのもつまらない。どうせ女なんて薄っぺらいんだから、男の愛を競ってドロドロしていた方がいいんだよ!
そんな気持ちがどうしても心の奥底にあるから、足を引っ張りあって欲しいのでしょう。

まずこの記事ですが、本寿院を演じる泉ピン子さんのインタビューがメインであり、女同士のドロドロとはまた違うのですが。そしてこの場合、篤姫は養父である島津斉彬の期待を背負っての輿入れであり、さらに夫の家定はいくらか障害を抱えてもいたこともあって、かなり苦労はしているはずです。当然家定の生母本寿院との確執は存在しました。
ただ武者さんが書くほどには、強く描かれてはいなかったと思いますが。

最近見かけない安倍晴明。
兼家が死にそうになったら、あるいは源明子の呪詛が発動してきたら、再登場するのでしょうか。
私は陰陽道の知識はありません。しかし、呪詛はできるような気がしてきます。

「陰陽道の知識はありません。しかし、呪詛はできるような気がしてきます」
平安時代のドラマのコラムを書くのなら、多少知識はあった方がいいと思います。無論それを呪詛に使えとは言いませんが。

で、「『光る君へ』業界のプロから「ながら視聴に向いている」と言われるワケ」(デイリー新潮)なる記事が紹介されており、

こちらの記事の何が問題か?箇条書きにしますと……。
・「業界のプロ」はおそらく存在しない
・「業界のプロ」が実在したとしても、昨年の大河も、今年の大河も見ていない
この時点でまずおかしい。
去年を見ていないとわかる箇所はどこか。

とあって、「去年を見ていないとわかる箇所」としてこのような部分が指摘されています。

昨年の大河『どうする家康』の北川景子や有村架純ではこうはいきません。松嶋菜々子まで絡んできて、視聴者は正座してテレビ画面と対峙する覚悟が必要でした。男性のキャストも、岡田准一が演じる狂気の信長はじめ、阿部寛、松山ケンイチ、大森南朋、ムロツヨシと主役級が並び、豪華すぎて気を抜くことができませんでした。おまけにCGで馬が駆け回り、派手な戦闘シーンは見ていて疲れました。

対して、『光る君へ』は歌に蹴鞠と平和な画面が続きます。シチュエーションもコロコロ変わらないので夕食を食べながらでも、食事後なら明日の支度をしたり雑誌や新聞に目を通したりしても、ストーリーについて行けるのです。

なのだそうです。
無論、戦国と平安を比べると、後者の方が一見穏やかにことが進むように見え、常日頃臨戦態勢にある戦国と異なっているのは事実でしょう。

実資顔で「ふざけるな!」と言いたくなるこの部分。
歌と蹴鞠と言いますけど、そもそも蹴鞠はほとんど出てきていませんよね。

貴方また「実資顔」ですか、よほどお気に入りなのでしょうね。

そして
「そもそも蹴鞠はほとんど出てきていませんよね」
とありますが、第7回「おかしきことこそ」で、武者さんが好きな実資さんが蹴鞠をしていたと思います。あと藤原宣孝は、この実資との蹴鞠でのつながりがあり、だからこそまひろに結婚相手として勧めてもいますが、この記事がネットに上がったのは3月17日なので、24日放送のこのシーンのことは考慮されてはいないでしょう。

で、この後「武者節」炸裂と『どうする家康』叩きが展開されるのですが、それはまた日を改めて。
例によって、5ページ目は持説展開だから本当は不要ではないかと思います。それでなくてもドラマの時代背景や文化、習慣など大して調べられているように見えません。冒頭に書いていますが、道長と倫子のシーンも、武者さんの本来の考え方から見れば、ジェンダー論にもとるのではないでしょうか。


飲み物-おしゃれなグラスのビール
[ 2024/03/29 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

23-24リーグワン第10節結果と次節試合予定

リーグワン第10節の結果です(赤文字勝利チーム)。

ディビジョン1
クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 22 - 55 埼玉ワイルドナイツ
静岡ブルーレヴズ 24 - 8 トヨタヴェルブリッツ
東京サンゴリアス 35 - 37 横浜キヤノンイーグルス
東芝ブレイブルーパス東京 40 - 33 ブラックラムズ東京
三重ホンダヒート 26 - 31 三菱重工相模原ダイナボアーズ
コベルコ神戸スティーラーズ 60 - 17 花園近鉄ライナーズ

ディビジョン2
九州電力キューデンヴォルテクス 6 - 7 浦安D-Rocks
日本製鉄釜石シーウェイブス 33 - 38 レッドハリケーンズ大阪
グリーンロケッツ東葛 42 - 26 豊田自動織機シャトルズ愛知

ディビジョン3
スカイアクティブズ広島 28 - 48 クリタウォーターガッシュ昭島
日野レッドドルフィンズ 45 - 18 清水建設江東ブルーシャークス

ヴォルテクスとD-Rocksの試合を、鳥栖の駅前不動産スタジアムまで観に行きました。雨の中の試合で、互いにハンドリングのミスもありましたが、あそこまでD-Rocksを無失点に抑えていたのに、最終的に相手にひっくり返されて1点差で勝利という、かなり悔しい負け方(ボーナスポイントはゲット)でしたね。

尚この日(3月23日)なのですが、SL人吉のラストランの日でもあったことから、鳥栖駅にも撮り鉄さんたちが来ていました。

では次節の試合です。ディビジョン2と3の試合が行われます。

3月30日
ディビジョン2(第10節第1、第2試合)
豊田自動織機シャトルズ愛知 - 日本製鉄釜石シーウェイブス
浦安D-Rocks - グリーンロケッツ東葛

3月31日
ディビジョン2(第10節第3試合)
レッドハリケーンズ大阪 - 九州電力キューデンヴォルテクス

ディビジョン3(第11節)
清水建設江東ブルーシャークス - スカイアクティブズ広島
中国電力レッドレグリオンズ - 日野レッドドルフィンズ

飲み物-パブのビール1
[ 2024/03/28 03:00 ] ラグビー | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその2です。


道長をずっとお慕いしていた。それゆえ他の殿御の文を開いていないのだとか。
「道長様を私の婿に! 一生の願いです。そうでなければ私は生涯猫しか愛でませぬ!」

「一生の願いです」とありますが、「生涯一度のお願いでございます」ですね。

倫子は道長の目に留まっているかもわからないと返します。雅信は留まっているようだと摂政様が言っていたとか。

「留まったようであるがのう、摂政様が仰せであった」ですね。と言うかこの文章の後半、主語がわかりづらいです。
「『道長の目に留まっているようだと、摂政様が仰せであった』と雅信が話した」とでも持って来た方がいいのでは。

娘が可愛らしくて仕方ない雅信。
もはやそういう場合でもなくなっている為時。
そんな対比も浮かんできますが、倫子もなかなか困った境遇になっています。

いや雅信は雅信で、道長はどうだと兼家にプレッシャーをかけられて、なかなか複雑な思いでしょう。花山天皇入内もちょっと問題ありだったし、一条天皇は幼過ぎるわけですから。そして為時の場合は、まひろが可愛くて結婚させられないわけではなく、宣孝がこれと決めた実資が病で、当の宣孝がやめろと言い出したわけですね。

しかしこのシーン、嫌いな大河なら武者さん何と言うでしょうか。女をこのように描いて許せないといったことを言い出しそうです。

そして明子女王ですが、

衣装の色もあり、スズランを思い出しました。可憐で無力なようでいて、毒のある花です。

平安時代の衣装なら、重ね目がどうのこうのと書きそうな武者さんが、今回は
「この衣装の色はスズラン」
ですか。
昨年とか『青天を衝け』などで、衣装の色がスズランなどという表現をしていたら、真っ先に叩くでしょうね。

あとこの明子登場のシーンも、嫌いな作品なら見かけで判断するななどと書くのでは?

俊賢は妹をたしなめ、今は藤原の力がなければどうにもならないとすっかり諦め気分で、道長の妻として幸せと栄達を手にせよと進めてきます。
明子の復讐心は、そんな簡単には晴れないようで、必ず兼家の命を奪い、父の無念を晴らすと決意を語ります。
いやはや、とんでもないことになってきました。
この兄と妹は、これまで出てきた人物とはガラリと変えてきて、本作のセンスが光ります。
策士の兄と、復讐を誓う妹。おもしろいですね。

「この兄と妹は、これまで出てきた人物とはガラリと変えてきて」
「これまで出て来た人物」とは誰のことで、どのように変えているのですか。それを書かずに「本作のセンス」云々と言われてもちょっとどうかと思います。
そして策士と言うか、割とそつがない人物ではあったようです。この辺りが、藤原に恨みを持つ妹と対照的とも言えるでしょう。

あとあらすじと感想で高松殿に関して、多少誤った表記をしていたので訂正しています。明子は、道長と結婚した後ではなく、その前からここに住んでいましたね。

高松殿址
(京都観光ナビ)

まひろに甘えていた。金輪際、甘えは断ち切らねばならない。
そして行成のかな書道指導を受けています。
「ふぅ、かなは難しいな」
そう語る道長ですが、だいぶ上達してきました。これ以上、上手になってしまうと道長らしくない、そんなギリギリのところを攻めてきています。

これ以上上手になってしまうとらしくないと言うより、あのフォントは漢文用なのではないでしょうか。私も道長フォントで書いてみてはと、いささか無責任なことを書いてはいますが。婿入りする女性への文には、やはりかなは不可欠だったでしょう。
でこのかな文字、本来は倫子への文にしたためるべきものでしたが、その倫子に文は送っておらず、まひろへの手紙で使うことになるわけですね。

合戦シーンなど無くても、藤原行成の書道指導という伝説的なシチュエーションが出てくるのだから素晴らしい。
たしかに、気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらないでしょう。
しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。
伝説的な人物はそれにふさわしい場面にする。そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい。

先日も「合戦シーンなど無くても」と書いていますが、そこまで合戦シーンを否定する理由もないと思います。ただこの時代だからそう目立った合戦はありませんが(政変はあります、あと外国からの侵攻も)。

「気合を入れて書道場面を見ている人は多くはないと思いますし、芸能ネタにもならないし、視聴率にも繋がらない」
こう書くこと自体、大河のワンシーンが芸能記事のネタになってほしい、あるいは視聴率に繋がってほしいという願望に見えてしまいます。それよりもこの時代の恋愛や文について、もっと書いてみてはと言いたくなりますね。

「しかし、作り手の誠意とプライド、そして愛情の問題です。
伝説的な人物はそれにふさわしい場面にする。そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい」
「武者さんが好きな大河だから誠意がある」というわけではありません。嫌いな大河でも、誠意やプライドは込められています。それを武者さんが無視しているか、頭から否定しているかです。

そして
「そんな誠意を感じさせる本作の書道はともかくよい」
と言うより、
「そんな誠意を感じさせる、本作の行成の描き方はとてもよい」
の方が、私としてはよさそうな気もするのですが。

公任はその後、父の藤原頼忠に「摂政家の道長が本気を出してきた」ことを報告しました。
これまで公任は、己が最も賢く先頭を登っていくつもりだったと打ち明ける。

ここのシーンですが、道長が本気を出して来たことの次に
「摂政家が全てを意のままにせんとしている証し」
と公任が言っています。
これが、この父子に大きな影を投げかけているのでしょう。その後で公任が、自分がトップだと思っていたのに、道長に出し抜かれるかも知れないと懸念しているのですね。

これから暗くなる夕刻の光が満ちていて、公任の顔に当たっている。
橋爪淳さんの優しくも弱々しい頼忠。そして町田啓太さんの公任にヒビが割れてきたところが素晴らしい。
これまでの公任は、自分より賢いものはいないという自信に満ちていました。傲慢でした。
その自信に微かなヒビが入り、焦りが滲んだ顔はさらに磨きをかけたように美しい。

「町田啓太さんの公任にヒビが割れてきた」
て何を言いたいのですか。最後の行にあるように、「自信に微かなヒビが入り」と言いたいのでしょうか。ただこの表現は、たとえば人間関係などにヒビが入るなどという意味では使いますが、この場合は
「自信が多少揺らいで来た」
とでもした方がよくありませんか。

町田啓太さんは、大河枠として山本耕史さんと比較されます。
二人とも土方歳三を演じ、上半身を脱ぎました。
しかし、それだけではないと私は思います。
高慢なぐらい自信に溢れ、己の知性に絶対的な信頼を見せていた男。
それがライバルに追い抜かれ、置いていかれ、だんだんとプライドが崩れていく、いわば崩落の美貌が両者にはあります。
『鎌倉殿の13人』では、三浦義村を演じた山本さんが実に素晴らしかった。
後半になって、主人公である義時に出世から離されて苛立ち始めます。苛立ち、扇子を叩きつける場面は最高としか言いようがありません。

まず
「大河枠として山本耕史さんと比較されます」(誰が比較しているのですか?)とありますが、
「大河で演じる役のうえで、山本耕史さんと比較されます」と言うことでしょうか。
そして土方歳三を演じまではいいのですが、その後「上半身を脱ぎました」て…話が飛びますね。
この「上半身脱いだ」は山本さんは『真田丸』、そして町田さんは今回の打毬のシーンでしょう。どの作品であるかをきちんと書いてください。あと町田さん関連の記述は、山本さん関連の後に持って来た方がいいかと思います。

そして山本さんが演じた役ですが、『真田丸』の石田三成は「ライバルに追い抜かれる」と言うより、政敵(家康)に失脚させられると言った方がよく、また『平清盛』ではこれもライバルに追い抜かれると言うより、信西に邪魔されたと言うべきでしょうか。

公任にもこれからそんな瞬間がきっとある。
落ちゆく公任は至上の美を見せてきます。彼が公任を演じて本当によかった。
作り手もそんな公任の落ちる様を見るべきだというように、道兼につくという父の指示を見せてしまいました。
確かに、このあと出てくる道兼は周囲に一目置かれ、摂政の後ろ盾を持ち、本人も精力に満ちた姿を見せていました。

「作り手もそんな公任の落ちる様を見るべきだというように、道兼につくという父の指示を見せてしまいました」
「父の指示を見せてしまいました」とありますが、ここは
「道兼に付くようにという、頼忠の言葉をここに持って来たのは、制作サイドが、公任の落ちて行く様を示唆しているかのように見えます」
とでも書いてほしいのですが。
落ちるというか、出世を阻まれてなかなか参議になれないのですね。

それから町田さんは『西郷どん』で小松帯刀を演じていますが、何の言及もありませんね。

西郷どん32吉之助と小松帯刀
『西郷どん』第32回で小松帯刀を演じる町田啓太さん


庚申待(こうしんまち)の夜となりました。
一体なんのことなのか?
道教では、人の体の中には三尸虫(さんしちゅう)がいると考えていました。
この虫が庚申の日になると、天帝に悪事を告げに行ってしまう。それを防ぐために、寝ずに起きていることが庚申待ちの夜です。
今でもこの信仰にまつわる庚申塚が全国各地にあるほどですね。
「虫の居所が悪い」という言い回しも、この信仰をもとにしています。
そうした由来は、なにも怖いことだけではありません。夜人と集まって楽しんだり、地域の団結力を高めたりする役目がある行事といえます。

庚申信仰は、道教をはじめ様々な信仰が混ざり合ったものですね。
そしてこれもあらすじと感想で書いていますが、猿田彦神社の行事としても行われています。陰陽五行説とも関わりがあるのですが、なぜ武者さんはこういうことについて書こうとしないのでしょうか。

そして人と集まって楽しむのは、庚申御遊です。宮中で宴が行われましたが、まひろの家でも、ささやかながら宴が持たれていました。

まひろがまるで妹のようだとさわを持ち上げると、俺がいなくても寂しくないなと惟規。

「私ね、このごろさわさんを妹みたいに思ってるの」
が、持ち上げているということですか。あまりそういう印象はないのですが。この1つ前でも、道長が土御門殿を立派だとお世辞を言ったなどとありましたが、本人の素直な感情から出た誉め言葉のように思えますが。

外にでた惟規が、百舌彦の存在に気付きました。

惟規は厠に立って、その後戻るところだったのでしょう。この当時厠は外にあったと考えられます。

そして中を読み、「道長とは誰か?」とまひろに迫る。三郎か?と、からかう惟規。まひろがあわてて奪い取ると、さわは優しい文字だと感心しています。
よかったですね、道長! 行成の指導を受けた甲斐がありましたよ。

先ほども書きましたが、本来倫子への文を綴るために習ったかなが、まずまひろへの文に使われています。この両者の関係が、何となく尾を引くのではないかと思わせます。


飲み物-パブのアンバーエール2

[ 2024/03/28 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

福岡城あれこれ その39(さくらまつりそして天守閣)

全国的に開花宣言が遅れているようですね。

当地でも27日から「福岡城さくらまつり」なのですが、舞鶴公園の情報によるとソメイヨシノはやっと開花らしく、早咲きの枝垂れ桜がちらほらと咲き、三ノ丸広場の陽光が満開ということのようです。実はこの陽光、先週見た時は城内で唯一咲いている桜で、その周囲に人だかりができていました。

ところで今回の目玉として、この「幻の天守閣」があります。あと酒蔵開きなどもあるようです。

[公式] 福岡城さくらまつり

ライトアップするとこのイメージになります。


実際ライトアップしない骨組みだけの状態でも、天守台の上に建築物があるわけですから、かなり目立ちますし、リアル建築物があれば、もっと映えるでしょう。

ちなみにこの幻の天守閣」あるいは下記の画像を参考にしているのかと思います。以前福岡城・鴻臚館サイトの記事からお借りしたイメージ画像です。

福岡城天守閣イメージ画像2

商工会議所やNPO法人から作ってほしいという要請もありますし、この企画が1つのきっかけになるでしょうか。その場合文化庁の定める「復元的整備」(史資料が十分揃わない場合に、規模や材料、内部・外部の意匠・構造等の一部などを検証して再現すること)になりそうです。何せ扇坂は史料にあったため再現できたわけで、潮見櫓ももちろん史料があるのに、天守閣はないのですから。

無論今後祈念櫓も戻って来るでしょうし、潮見櫓が竣工した後は、新しい櫓又は門の予定もあるでしょう。また集客目当てで作るべきなのかという声もありますが、以前ご紹介した福岡城関連ブログでは、舞鶴・大濠両公園をつないだ「セントラルパーク」のシンボルとして必要ではともありました。

ともかく今は「幻の天守閣」を楽しみたいところです。

[ 2024/03/27 02:30 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第12回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。

彼に見守られながら、なつめは髪を切り得度しました。
「これで案ずることはない、よかったな」

ここで「髪を切り」とありますが、なつめが自分で切ったわけでもなく、またこの場合は「削ぐ」が正しいのではないかと思います。

合戦がないだのなんだの言われがちな本作ですが、こういう何気ない日常の場面に私は感動しています。
当時らしい、末期の得度です。もはやこれ以上生きられぬと悟った時点で出家していた。
突然死だと、それはできない。

あらすじと感想で何度か書いていますが、合戦の代わりに政変があり(寛和の変などはその典型)、そういう政変と権力争いに翻弄される人々の日常を描くと言うべきでしょう。
そして
「突然死だと、それはできない」
この書き方はないでしょうね(武者さんらしいと思いますが)。いざ戦に臨む将兵は、「手柄を立てる」あるいは「敵将を討つ」とは考えても、「最早これ以上生きられぬ」と考えるでしょうか。

そして末期の得度、『鎌倉殿の13人』の頼朝の出家では、このようなことはよくない、だから鎌倉仏教が起こったのだという書き方をしていたと思います。ちなみに浄土思想は平安時代末期に既に存在していました。

被衣を被り、なかなかのお姫様に見える彼女が母の手を取ると、二人は涙を流し合っている。
最期の望みがかなったなつめは、穏やかな微笑みとともに世を去ってゆきました。為時の愛に包まれて死にゆくなつめは幸せだったことでしょう。

このさわの服装ですが、被衣ではなく、笠のへりから布を垂らしたもの(虫の垂れ衣)です。被衣は、衣を頭から被ったもので、見た目も全然異なります。こちらのリンクにそれぞれの説明があります。

出かける前の予備知識:虫垂れぎぬ姿で出かけよう
(風俗博物館)

あとさわの袿は絹と思われます。この点でも、なかなかいい暮らしをしていると思われます。そしてなつめが「世を去ってゆきました」とありますが、厳密には彼女が亡くなるところは描かれていません。

それからあらすじと感想で、さわが父の所にいるのを書きそびれていましたので、直しています。

『鎌倉殿の13人』では、時政の妻であるりく(牧の方)は家事や畑仕事に対してぼやいていましたね。頼朝挙兵のため寺に潜んだとき、かったるそうに掃除していたものです。京の姫らしいぼやきでした。

「寺に潜んだ」と言うより「寺女として匿って貰った」でしょうか。そしてりくがかったるそうにしていたのは、彼女が身重ということもあったでしょう。一旦伊豆に戻った時は、率先して畑仕事をやっていたと思います。

まるで姉妹のように並んで床を拭き、野菜を植え、琵琶を弾き、笑うまひろとさわ。
これはシスターフッドを推すものとしてもよい描写ですし、紫式部自身も同僚女房へのほとばしる友愛を記しています。素敵な姿です。
さわがガールズトークも持ちかけます。

この2人の描写はいいのですが、ここでまた「シスターフッド」。どうも昨年の『大奥』関連記述(大河とは全く関係なかったのですが)を思い出してしまいます。

そして紫式部と同僚の女房への友愛、出典をきちんと書いてください。かてて加えて、まだまひろが宮仕えもしていないこの時点で、そういうのを「シスターフッド」強調のために持ち出されてもなあ…と思います。
そしてガールズトークも、嫌いな大河なら散々に言うのでしょうね。

「文をくれたのは一人だけ……」
「ごめんなさい!」
思わず謝ってしまうさわ。なぜ謝るのかとまひろに問われると、よくわからないけど謝ると返します。
「おもしろいのね、さわさんて」
どこかズレているまひろは、本気で理解できていない可能性はあります。
まひろは他の人と感覚がずれているところがある。すごく鋭いか、鈍感か、そのどちらか。カバーする領域がずれているのでしょう。

ここの部分。「よくわからないけど謝る」と言うさわが面白いと、まひろは思っているのではないでしょうか。感覚がずれていると言うより、それぞれの性格や感じ取り方の違いとも言えますし、逆にそれだからこそ、この2人はうまく行っているとも思われます。

関西らしい「シュッとした」という形容が出ましたね。要するに具体性のない言い回しです。

「シュッとした」てかなり全国的になっていませんか?そしてこれのどこが具体性がないのでしょうか。要はだらしないところがなく、締まっていてかっこいいと言うことですよね。
あと『鎌倉殿の13人』で、人質として鎌倉に来た義高を政子が「シュッとしている」と言っていましたが。

これが東洋らしい表現と言いますか、『源氏物語』にせよ、東洋では人の美を花鳥風月やらなにやら、イメージ重視で語ることが多いものです。
西洋だと具体的に「青い目」や「燃えるような赤毛」といった表現をするものです。

西洋でもたとえば女性を花にたとえたりする表現はありますが。あと目や髪の色は、西洋の方が多様だからそのようになるでしょうね。しかし「燃えるような赤毛」をにんじん呼ばわりした、けしからん少年もいましたが。

高そうな巻物を手にして挨拶に来た宣孝は、お健やかだったと気遣っています。なんでも三日前、にわかに罹ったとかで、赤痢が怖いのか、宣孝は面会は断ります。
その奥で、ヨロヨロと歩く実資が見えるのでした。

「高そうな巻物を手にして挨拶に来た宣孝は、お健やかだったと気遣っています」
ここ端折り過ぎでは。

まず宣孝が蹴鞠の集まりで実資と親しいことを述べ、次いで
「先日お目にかかった時にはお健やかで、病の気配などありませんでした」
と言っています。ここで強調すべきは「病の気配などなかった」でしょう。なのに、赤痢に罹ってしまったわけなのですね。

そこに描かれていたのは、薄衣から肌が透けて見える唐代美女の絵でした。江戸時代の春画ほど際どくはないものの、エロチックなことは確か。
なんなんでしょう。この藤原実資で遊ぼうコーナーは。

枕絵と言うらしいですね。薄衣から透けて見えると言うより、上半身裸で薄い布をまといつけるようにしています。
そして平安時代には夏の服装として、袴の上から一重の薄い衣だけを羽織る「単袴」という服装もあり、いわばセミヌードであの絵にいくらか近いものでした。

「なんなんでしょう。この藤原実資で遊ぼうコーナーは」
それは武者さんがそう思っているだけで、元々実資はあのようなキャラ設定です。

『小右記』に記載のある赤痢で遊び、堅物のようで好色であったネタを仕込む。
(中略)
ニヤニヤせずには見ていられません。あの妙に存在感のある“実資中毒”の視聴者は、きっと私だけではないでしょう。
紫式部の大河ドラマで、まさか藤原実資が出てくるたびに笑わせられるなんて、不意打ちにもほどがありますね。
実資は素晴らしい。見るだけで幸せになれる。なぜ、実資のおかげで心が晴れやかになるのか、我ながら理解できません。なぜこんなにも癒されるのか?

「赤痢で遊び」
遊んでいないと思いますが。実資が病気だったのは事実ですし。

「あの妙に存在感のある“実資中毒”の視聴者」
「まさか藤原実資が出てくるたびに笑わせられるなんて」
受け取め方は人それぞれでしょうが、この人物はこの大河ではこういう設定だということです。面白いキャラだなとは思いますが、別に私の場合、中毒にはなりませんね。

自分が面白いから、他人も面白いに違いないという書き方もどうかと思いますが、遊ぶだの中毒だの笑わせられるだの、場合によっては制作サイドにいささか失礼ではとも思ってしまいます。せめて癒される程度にとどめた方がいいかと。

寧ろこの場合の面白さは、宣孝が半分死にかけているなどと言っていたのに、その後すっかり回復し、ああいう絵に興味を示してしまうそのギャップにあるのではと思います。

道綱は道長よりも11も歳上なのにうつけだと言います。ずいぶんと素直に言うものですよね。
これは道綱と道長の頭の出来というより、蔵書量の違いも大きいでしょう。
トップエリートともなれば、最新版の宋版印刷の書籍すら手に入るほど。家には日記もあり、インプット量を増やして、賢くなっていくのです。
まひろの家も没落するまでは裕福でしたので、書籍は豊富にあった。
藤原道綱の母・藤原寧子の家はそうではない。そんな厳しい現実も背景にはあります。

この道綱がうつけだと言うのは、蔵書量とは直接関係ないのではありませんか。
いつも思うのですが、武者さんこの大河を、録画なりNHKプラスなりでちゃんと観返しているのでしょうか。前回あまり出世欲のなさそうな道綱を見て、母の寧子がちょっと苛立たし気にしていましたね。この人はどこかお人好しで出世欲がなさそうな性格でもあり、また嫡妻の子でないことも影響しているでしょう。

道綱にも妾はいて、それなりに大事にしているけれども、妾側から見ればまるで足りぬようだとか。
それはお母上の考えか?と道長が問いかけると、道綱は「何も言わないけど、見ていたらわかる」としょんぼりしています。
道綱はしみじみと語ります。
嫡妻は夫と同居しているけれども、妾はいつ来るのかわからない夫を待ち続けている。男が可愛がっているつもりでも、妾は常に辛いのだ。
ちなみに藤原寧子の夫である兼家は、わざわざ寧子の家の近くまで牛車で来て、別の場所に行くような卑劣なゆさぶりを寧子に仕掛けていますから、最悪ですね。

このシーンは何を言わんとしているのか。
妾妻の辛さを聞かされ、まひろに妾となれと言った時、彼女がつっぱねたことを道長は思い出しています。だからこそ、「ならば、どうすればいいのだ」と道長はまたも考えてしまい、道綱から「聞いてる?」などと言われてしまったのですね。

あと兼家が寧子を揺さぶった件は、これと直接関係ないのでは。

親同士はいろいろあっても、兄弟愛はあるものです。
道長にも、己の結婚とはどういうものかわかってきました。自分の持つ価値に気づいたのです。

このシーン、道長はまひろに北の方でなく妾ならと言ったのを気にしているわけでしょう。左大臣家の姫倫子に婿入りすると兼家に言ってはいますが、それはまひろと別れて帰宅した直後のことであり、道綱の母寧子の話を聞いたのはそれより後のことで、この時道長の心境にいくらか変化があったと取れます。時系列を考えましょう。

かくして雅信は断ることもできないうちに、猛スピードで縁談は進んでゆきます。
そんな父の気も知らず、倫子は姫君サロンを開催。
まひろが家事をしていることを打ち明けると、皆から同情され、それでも話を続けます。
畑仕事は気持ちがいい。瓜も菜葉も大きくなれ!と毎日語りかけると、本当に大きくおいしく育つのだとか。
拭き仕事でもある床の掃除も、板目が龍や川の流れのようで、見ていて飽きないそうです。

「そんな父の気も知らず、倫子は姫君サロンを開催」
それとこれと、何か関係がありますか。別に雅信からやめろと言われたわけでもないでしょう。

そして
「まひろが家事をしていることを打ち明けると、皆から同情され、それでも話を続けます」
ではなくて、
「まひろが家事をしていることを打ち明けたので、茅子としをりは驚きますが、それでもまひろは家事の面白さを話し続けます」
とでもした方がいいのではないでしょうか。あと家事をせざるを得なくなったのは、父為時が失職して使用人を解雇したからですね。

それから、あらすじと感想でも書きましたが、
「瓜も菜葉も大きくなれ!と毎日語りかけると、本当に大きくおいしく育つのだとか」
武者さん、『カムカムエヴリバディ』で、あんこを作る時の言葉をオカルトだと書いていましたね。まひろが野菜に声をかけるのは、オカルトだと言わないのですか?

どこかずれたことを言ってしまったとやっと気づいたのか。
まひろが倫子にお礼の意を伝えると、倫子はこれからもずっとこの学びの会に来て欲しいと頼んできます。

「やっと気づいた」のではなく、茅子やしをりの顔を見てちょっとまずいかなと思いはしたのでしょう。でも乗りかかった船というべきなのか、結局話を何とか続け、それを倫子がフォローしてくれたので礼を述べたのですね。

恋愛と友情はどちらも尊い。そんな当然のことをこのドラマは描いてゆきます。

このドラマだけでなく、他の大河でも描かれています。ただ武者さんの場合、嫌いな大河はそんなことは描かれていないと、頭から決めてかかっているだけです。

道長は、広く立派なお屋敷だとお世辞を言いながら、姫君サロンのことも尋ねます。
姫君の学びの会だが、遊んでもいるらしい。そう答える雅信に対し、今日も開催中かと詰める道長、父譲りの強引さを見せてきます。

「広く立派なお屋敷」はお世辞でしょうか。実際東三条殿と比べても、ひけを取らないかと思います。
そして
「姫君の学びの会だが、遊んでもいるらしい」
ではなく
「娘のための学びの会だが、遊んでおるようなものらしい」
ですね。

それと
「今日も開催中かと詰める道長、父譲りの強引さを見せてきます」
「開催中」はないかと思います。道長は「今日もやっておられるのですか」と訊いていますし。あとこの会について尋ねるのは強引ですか?雅信が嫌がるのに何度もしつこく尋ねているようでもありませんが。

まあ今回のコラム、後の方でまた『どうする家康』叩きが出て来るのに加え、この大河の批判記事が紹介されており、「今年の大河も見ていないことは、以下の記述からわかります」とありますが、武者さんもこの大河、本当にきちんと観ているのか疑いたくなってしまいます。

飲み物-グラスビールと泡
[ 2024/03/27 01:45 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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