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ベイカー寮221B/Baker House 221B

パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing.
ベイカー寮221B/Baker House 221B TOP  >  2024年02月

三ノ丸スクエアのひな人形

そろそろ3月なので、舞鶴公園アカウントのひな人形関連動画を置いておきます。

テキストにもありますが、昔は乳幼児の死亡率が高く、災厄よけに形代や這子が用いられていました。人形を飾るのは、江戸時代になってからと言われています。

   

(舞鶴公園アカウントより) 

 

この三ノ丸スクエアは、名島門に近い場所にあり、かつての舞鶴中学校の建物を利用して運営されています。その先に三ノ丸広場が広がっており、そこまでは福岡城となります。


広場でイベントが行われることはよくありますが、あくまでも国史跡であるため、その意味では、いくらかの制約があります。尚広場と隣接している大濠公園ですが、こちらは登録記念物に指定されています。

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[ 2024/02/29 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第8回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-2

第8回に関する『武将ジャパン』大河ドラマコラムについてその2です。


藤原道隆が手立てはないか?と聞けば「魂が去らぬよう呼びかけるのがよい」とのことです。中国の『礼記』にも記載がある風習ですね。
「父上! 父上! 父上!」

こう書いていながら
『礼記』のどの部分であり、どのようなことがなされたのか何も書かれていないのですね。
ご参考までに、歴史関連ではありませんがこのリンクを置いておきます。お子さんを失った方へのカウンセリング、ヒーリング関連のサイトのようです。

魂を呼び戻す~魂呼(たまよび)~
(Lana Peace)

ここに

皆、升自東栄、中屋覆危、北面三号。巻衣投於前。司服受之。降自西北栄。
『礼記』葬大記第22

とあります。要は東から屋根に上り、北へ向かって故人の名を三度叫ぶのですね。

そんなドロドロした政争には関わらず、ただ静かに学問で身を立てたいのであろう、とまひろが父の心中を察すると、惟規は、なぜ自分は学問が嫌いなのかとこぼします。
「本当に父上の子なのかな」
頭の良さも色々あり、為時も学問はできても、洞察力はそこまで高くないのかもしれません。

この
「為時も学問はできても、洞察力はそこまで高くないのかもしれません」
とありますが、これが何に対する洞察力であるのかが疑問。要は学問はできても、世間一般の駆け引きに疎いということなのでしょうが、ならばそれをきちんと書いてほしいものです。

そのころ東三条では重い空気に沈んでいました。

「東三条」ではなくて「東三条殿」です。

道長は、父を見ながら、我々をどこに連れて行こうとしているのかと考えています。
我々の行先はどこなのか。生き延びてそれを教えて欲しいと願っています。詮子と東宮も、兼家を見守っている。

道長が、兼家に我々をどこに連れて行きたいのか尋ねるシーンと、詮子や東宮の懐仁(やすひと)親王が兼家を見守るシーンは別々です。これだと、まるで道長と詮子、懐仁親王が一緒にいるかのようです。ちなみに後者の方は、道長ではなく道隆が一緒にいますね。

しかし、藤原道兼が一人残り、いざ兼家の枕元に近寄ると、カッと目を見開く。
倒れ続けていたのは芝居だったということでしょう。そこには何かしら思惑なり、策がありそうで……。

兼家は目を開けてはいますが、そこまで力強く開けているようには見えません。

道兼は、仕事を終えたからとして手伝おうとすると、看病に戻るように為時は気遣います。
「父は私の顔を見るのを嫌がるがゆえによいのだ」
そう言う道兼の腕は痣だらけ。誰かに打たれたようで、その理由を聞くとこう来ました。
「父にやられた」

ここのところですが、兄や弟と違って自分は嫌われている、だから父の看病に戻りたくないと言っているわけで、だからこその
「私の顔を見るのを嫌がる」
ではないかと思うのですが…。しかもなぜ腕にあざがあるのに気づいたのか。それは、為時を手伝おうとして手を差し伸べ、袖の下の腕が見えたからですが、これではちょっとわかりづらいです。
そしてまひろの琵琶。

弦を弾くたびに、母の姿が思い浮かびます。
ここはかなり貴重な場面です。
雅楽の琵琶は他の楽器との合奏が多いため、進化した後世のものとはかなり違います。
中国琵琶や薩摩琵琶は縦に持ち、弦も増え、単独で弾き語りをし、かなりスピード感もあります。
けれども雅楽の琵琶は四弦でかなりゆったりしている。

ここでなぜ雅楽の話になるのでしょうか。
琵琶の話をしたいのなら、別の所でやって貰えませんか。そして「貴重」というのは、母の姿がまひろの脳裏に浮かぶからですか、それとも雅楽の琵琶がゆったりしていて、それがまひろの心情に合っているるからなのですか。

まひろが淡々と答えると、鳥籠から小鳥が出ているのが映ります。
まひろは恩讐という籠から飛び立つ気持ちがあるのかもしれません。籠は右大臣家で、小鳥はまひろの運命でしょうか

あの小鳥ですが、他から飛んできてあの籠に止まり、その後飛び立っています。籠から出て来たわけではありません。

花山天皇の前に藤原道兼がいます。
右大臣の子は去れと追い返そうとし、藤原義懐もそれに続いて道兼が去ってゆくと、藤原為時が言葉を挟みます。
「恐れながら……」

「藤原道兼がいます」
ではなく、道兼は蔵人であり、何かの書を帝へと持って来ていたわけです。

「病に倒れてもお前を殴るのか! 地獄に堕ちるな右大臣は、はははは!」
高笑いする花山天皇ですが、そのころ右大臣兼家は地獄に堕ちるどころか、目を覚ましていました。

兼家はまだ死んでいませんから、地獄に堕ちてはいませんよ。ただ病で道兼が先は暗いと言っていたにもかかわらず、そのようではなさそうだというのを、ああいう形で示しているわけでしょう。

中国の人とこんなことを話していまして。
「なんだかんだで東洋人同士わかりあえるもんってあるよね。餡子はおいしいとか。でも、西洋の人って甘い豆は気持ち悪いっていうんだよね。豆はしょっぱくないとおかしいと思っちゃうって」
「いやー、感覚がもう違うんだな。餡子なんて当たり前だ! あと諸葛孔明は賢いとか。いちいち説明するの面倒じゃない? でもお互いわかるでしょ。そういえば日本では諸葛孔明みたいな存在っている? すごく賢くてなんでもできる人」
日本の軍師といえば黒田官兵衛あたりでしょうか。
しかし諸葛孔明とは違う。

「軍師」の定義そのものが中華帝国と日本では恐らく異なりますし、日本の軍師(正しくは大名の軍事面での参謀)と言えば山本勘助や竹中半兵衛も含まれますが。
そして武者さんの常として、必ず中国だから東洋だから分かり合えると言いだげですが、無論かの国と日本とで、解釈や発想が異なることもかなりあります。そういうのには触れないのですか。

あと阿部晴明関連で、

安倍晴明は、呪術で色々なことを実現したのではなく、抜群の観察眼、人身掌握術で全ての駒を動かした。
兼家とのやりとりが面白いというのは、相手の心の動きを見て、手玉に取ることが楽しくてたまらないのでしょう。

といったことが書かれています。
しかしそれよりも、公式サイトのこの記事の方がわかりやすいです、はっきり言って。ということで、こちらを置いていおきます。

をしへて! 倉本一宏さん ~伝説の陰陽師・安倍晴明は、実際にはどのような人?
(『光る君へ』公式サイト)

武者さん、今年の時代考証の方はどのように思っているのでしょうか。昨年の平山氏に対してはひどかったですね。

あと道兼関連ですが、

痣をつけるほど手の込んだ策を用いて、いよいよ歴史的な事件へと話が動いてゆきます。

まだ、「手の込んだ策を用いて」と決まったわけではありません。現天皇を退位させるために、恐らくそうしているのかも知れないというのが、今の段階でしょう。

で、その後魚玄機の『打毬作』が紹介されていますが、

「不辞宛転長随手(宛転(えんてん)して 長く手に随(したが)うを辞せず)」
「リフティングするみたいに動かしながらならいいけど、ずっと持ったままではダメね」
などとあります。
この場合は
「毬を転がしながら、長く自分の手元に置くのは構わないけど」
の意味ではないでしょうか。
第一サッカーでもないのに、なぜ「リフティング」なる言葉が出てくるのでしょうか。

そしてこちらも魚玄機の詩で、女性は進士になれないということで、

自恨羅衣掩詩句
自ら羅衣の詩句を掩(まと)うを恨む
どうして私は絹の薄い衣を着ている女なのだろう?

とだけあるのですが、ここも
「恨めしいのは、この身が薄絹の衣をまとう女であること。いくら詩の才能があっても、何もできない」
ではないでしょうか。

まひろは弟よりずっと賢いにもかかわらず、女ゆえに大学すら行けないことが悔しい。
そこまで踏み込んだこのドラマは、大きな意義があります。
『SHOGUN』を引っ提げてきた真田広之さんは、日本の時代劇がアップデートされていかないことに対し苦言を呈していました。

このまひろですが、大学(寮)に行く行かないより、自分は何かしなければと思っているものの、弟のように大学に行くという明確な目的がないため、もやもやした思いを抱えているようには見えますが。

あと真田さん関連、裏付けとなる記事をお願いします。

そしてその後、『ARRA.DOT』の記事関連で、

朝ドラと一括りにされていますが、あれだけ作品数が多く、作風も個々に大きく異なるのに、一体どういうことなのかと疑問を感じてしまいます。

「作風も個々に大きく異なる」
それぞれの作風をすべて客観的に評価しているのなら、それは正しいと思います。
しかし嫌いな朝ドラは大河同様駄作と決めつけ、ストーリーを改変してでも叩くような武者さんに、このようなことを言ってほしくありません。

現在、映像作品の好みを振り分けるアルゴリズムでは、性差を外すことも増えているとされます。
「女の子ならかっこいい男にキュンキュンする!」
こういう決めつけは、有害なこともあるでしょう。

それの男女を入れ替えた表現を、『どうする家康』コラムで嬉々として使っていたのはほかならぬ武者さんです。これもまたセクハラと言っていいかもしれません。また女性キャラへの誹謗とも言える表現もひどいものでした。もうそれはお忘れですか。

その後の『日刊ゲンダイ』記事では、これまたいつものように、まあ昭和平成オヤジ叩きというべきものでしょうが、どう見ても
「オヤジの見方はダメなの!でも私の見方は正しいの!」
このように見えてしまうのですが、こういう姿勢は如何なものでしょうか。
そして日刊ゲンダイなら、昨年貴方は散々大河叩きにリンクを引っ張って来ていたと思います。それももうお忘れですか。ちゃんとスクショ取ってあるのですけど。

そしてデイリー新潮の記事、こちらは武者さん好みの
「【光る君へ】同じ創作でも『どうする家康』との決定的な違いとは」
なるタイトル。ただ記事を見て思うのですが、この著者の『どうする家康』評として

彼女と家康はある時期からまったく同居していないことなどから、不仲であったのはまちがいないとされているが、ドラマでは築山殿の死まで夫婦は仲睦まじかったとして描かれた。

さらには、史実では敵の武田と通じていたのがほぼ確実な築山殿に、隣国同士で足りないものを補填し合い、武力ではなく慈愛の心で結びつけば戦争は起きない、という話を語らせ、それが家康や家臣に大きな影響をあたえたように描かれた。

家康は築山殿に「私たちはなぜ戦をするのでありましょう?」と聞かれ「考えたこともない」と答えたが、この時代、いっぱしの大名が戦をする意味を考えたことがなければ、たちまち滅ぼされただろう。

と書かれています。
まず「不仲であったのは間違いない」というのがあやふやですし、瀬名が「武田と通じていた」のは昨年も同じでした。要はその通じ方の違いでしょう。また瀬名の発想は、父の主君である今川義元の発想に通じるものがあり、それを踏まえたとも取れます。
あと「考えたこともない」、これは「わしが生まれた時からこの世は戦だらけじゃ、考えたこともない」です。そしてその後
「戦をするのは貧しいからじゃ、民が飢えれば隣国より奪うほかない。奪われれば、奪い返すほかない」
と言ってもいますね。

あと

築山殿のような発想が生まれる余地はなく、よしんば生まれても、それに大名や家臣が賛同することなど、ありえなかった。

昨年、「どうする家康」が「史実を尊重していない」と書いて、「ドラマはフィクションなのに、それを史実との整合性で評価するのはまちがいだ」というお叱りをいただいた。しかし、私がいいたかったのは、エピソードが史実と異なるかどうかではない。時代状況を無視し、同時の常識とは正反対の考え方を描けば、その時代に対する誤解を生む、ということだった。

ともありますが、家臣たちも当初は反対しています。
あと
「時代状況を無視し、同時の常識とは正反対の考え方を描けば誤解を生む」
どのように時代状況を無視し、どのように正反対なのかが少しも説明されていないのですが…。

こういう記事を引っ張ってくる辺り、やはり武者さんらしいなとは思いますが、それにしてもこのコラム、段々と昨年と同じような感じになって来ていますね。作品が好きか嫌いかはともかく、最後の方は漢籍と自説補強、そしてジェンダー論。これで「大河コラム」として報酬を貰っているのなら、ちょっと問題ではないでしょうか。

それから、華流ドラマ『花の告発』なる作品の見どころについて書かれていますが、PR記事ならはっきりそうと書いてください。

飲み物-2種類のカクテル
[ 2024/02/29 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

福岡城あれこれ その36(『舞鶴』のややこしさ)

少し前ですが、「小倉城と福岡城-6(それぞれの別名)」でこのように書いています。

一方福岡城、こちらは博多湾方向から見た姿が、鶴が羽を広げているようだといういわれがあり、舞鶴城と呼ばれています。尚福岡城がある公園は舞鶴公園と呼ばれており、中央区北部にも舞鶴という地名があります。

実はこの舞鶴という地名、もちろんこれも舞鶴城に由来するとされています。
そしてグーグルマップで「福岡市中央区舞鶴」を検索すると、舞鶴公園、つまり福岡城の画像が出て来ます。
しかしお城を見られる場所にあるかと言うと、実はさにあらず、なのです。では舞鶴とはどの辺りにあるのか。こちらがマップをスクショしたものになります。

グーグルマップ舞鶴

上右の白い部分が舞鶴、そして下左のグリーンの部分が、福岡城がある舞鶴公園の一部です。舞鶴公園の上、つまりすぐ北の部分を走るのは明治通りです。
要は、舞鶴という地域はこの明治通りに面しておらず、従ってお城を間近に見ることができません。間近に見ることができるのは、舞鶴の南の赤坂、そして大手門辺りでしょう。

ではなぜグーグルマップで検索すると、お城が出て来るのか。
恐らく「舞鶴公園」に引っ張られて出て来るのかと思われます。ややこしい話なのですが、

福岡城(舞鶴城)は舞鶴公園にある。しかし舞鶴という地域は、舞鶴城由来でありながら、お城から少し離れた場所にある。

このようになるでしょうか。

現在は舞鶴と言えば、消費者生活センターや保健福祉センターが入るあいれふ、あるいは法務局や浜の町公園を思い出す人が多いでしょう。そしてかつての黒田家の別邸もこの舞鶴三丁目、当時の名称でいえば浜の町にありました。
この浜の町という地名は公園、あるいは病院などにも使われていますが、昭和40年代に入ると舞鶴3丁目に編入されています。

黒田家浜の町別邸跡碑
黒田家浜の町別邸跡の碑。黒田家先代当主長久氏の揮毫。

この舞鶴からさらに北に行くと那の津通りが走り、鮮魚市場(とラーメン)で有名な長浜に出ます。

舞鶴公園に話が戻ります。関係者の方から伺ったのですが、福岡城の西にある三ノ丸広場、様々なイベントが行われる一方で、色々な種類の桜があるのですが、ここを大濠公園と思っている人もいるらしい。確かにこのエリアは大濠公園と接していますが、「三ノ丸」だから普通お城だと思いますけどね。
尚舞鶴公園サイトにも、三ノ丸広場までが公園内(城内)であると明記されています。

それから上記の画像はどちらもサムネなので、クリックで拡大できます。


飲み物-ホットラム
[ 2024/02/28 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第8回に関する『武将ジャパン』大河コラムについて-1

第8回に関する『武将ジャパン』大河コラムについてその1です。


そんな中、赤染衛門はちょっと違う。道長の弟が、猛々しく美しいとコメントしている。
姫君たちが「人妻なのにいいのか」とざわついています。

彼女たちにも処世術はあります。直秀のような身分の低い男と結ばれても先はないし、そんな男とどこか遠くへ逃げるような度胸もないから、あえて見落とすようにしたのかもしれませんよ。

まず
「人妻なのにいいのか」
こう言っているのは倫子だけであり、姫君たちではありません。
(正確には『衛門ったら、人妻なのにそんなことを言って』)

そして
「彼女たちにも処世術はあります」云々、何だか唐突ですね。
そもそもこの時点で、道長の弟即ち直秀と彼女たちが知るはずがありません。そして、処世術だ何だをほのめかすような描写もないのに、なぜこういうのをいきなり入れて来たのでしょうか。

赤染衛門は、むしろ人妻だからこそ純粋に男の魅力を見つめた。人妻であろうとも、心の中は己だけのもの、そういう自在さがあればこそ、生き生きとしていられる。そう言い切りました!

いいですね。まるで推し活を語る令和にもビシビシと響く言葉です。しかし、まひろは聞いてしまった……男どものゲスなロッカールームトークを。

赤染衛門のセリフはともかく、なぜそれが推し活と関係があるのかよくわかりません。とどのつまり、武者さんが嫌いな推し活に、無理やり絡めているようにしか思えないのですが。

それと「ロッカールームトーク」
武者さんはかつて、嫌いな大河の妓楼をキャバクラ呼ばわりしたことがありましたが、好きな大河のワンシーンにまで、どこか違和感のあるカタカナ語を使う必要もないでしょう。
先日投稿したたけたけさんのnote記事に、雨夜の品定めのオマージュではないかともありましたし、実際そう感じられる部分はあります。そして、あの中での源氏に相当するであろう、道長が主に聞き役であるところも。

もしも男どもがそのことを知ったら、藤原斉信は取り繕うとするけれども、公任は開き直りそうな気もします。それでも公任は間違ってはいないと思います。

愛だの恋だの言ってみたところで、身分の低い女を相手にしようとすれば、周囲がゴタゴタ言います。なまじ情けをかけて苦しめるより、最初から選ばないことも慈悲なのでは?

そんな公任の見解に間違いはないとも思えます。理できっちり割り切っていますから。その代わり、一度情をかけたら捨てずに面倒は見るかもしれない。

光源氏はなかなかサイテーな男ではありますが、彼もいったん情をかけた相手は捨てませんからね。そういうタイプかもしれませんよ。

公任みたいなタイプって、情を軽視しすぎていますからね。ものごとをスムーズに進めるうえで、歯車に引っかかる砂粒程度にしか思っていない。

ちょっと長いけど引用しています。ここのページ、あらすじを書いていると思うのですが、そこでなぜドラマ本編と直接関係ない人物評が出て来るのでしょうか。
ひとつ前の姫たちの男性観もそうですが、男たちの女性観を書きたいのですか。それともあらすじを書きたいのですか。

この前も書いていますが、武者さんはこういう男女関係、色恋沙汰を書きたいのだろうとは思います。ならばここでなく、他のコラムでやってください。

直秀がこれみよがしに「兄上〜」と甘えながら、身分の低い母親の子なのでこのようなお屋敷は初めてとか言っている。続けざまに中を拝見したいと言い出すと、案内してもらえと周囲は無邪気に盛り上がっています。

公任は直秀がやっと笑ったことに喜んでいます。しかし、道長にはどうしても気になることがあるようでして。

道長と二人きりになっても、直秀は「兄上」と呼びかけます。もう二人きりだと困惑しながらも、なぜ案内して欲しいのかと訝しがっています。

まず直秀が
「これみよがしに『兄上~』と」
甘えているでしょうか。このシーン、まず斉信が、行成の腹痛のおかげで道長の弟に会えたと言い、行成は自分の代役を務めたことに礼を述べます。直秀はそれを受け、しかる後に自分は母親の身分が低いので、このようなお屋敷は初めてだから、中を拝見したいと言っているわけです。

「案内してもらえと周囲は無邪気に盛り上がっています」
周囲は道長の弟(異母弟)だから当然そうだと思っているでしょう。逆にこの場合、直秀が「道長の弟でない」ことを証明するものが何もありませんし。

あと
「なぜ案内してほしいのか」
ではなく、直秀が西門以外に通用門はあるのかと訊いたため、それを訝しがっているのですね。

小枝が刺さったと誤魔化しながら、東宮様の御座所はどこかと言い出す直秀がふてぶてしい。

「東宮の御座所」ではなく、「東宮の御母君のご在所」です。

「藤原を嘲笑いながら興味を持つ直秀とは何なのか」と問いかける道長に対し、「よく知ればより嘲笑える」とそれっぽく開き直る直秀。

疑いつつ探る道長もなかなかのものですが、敢えて敵の中に飛び込む直秀も大したものです。緊張感が高まります。

「敢えて敵の中に飛び込む」と言うより、この場合は道長自身が、急場しのぎとは言え自分を仲間入りさせてくれたこともあり、この機会を利用しようとしたのではないでしょうか。

「海の向こうには彼の国がある」晴れた日には彼の国の陸地が見えると続ける直秀。彼の国とは「唐」(から・中国大陸)と「高麗」(こま・朝鮮半島)のこと。おそらく対馬でも見たのでしょう。

「どこ」から、対馬を見たのでしょうか。筑紫からですか?
福岡住まいとしては、まずそのようなことは考えられないし、聞いたこともありません。何せ、博多から対馬まで150キロ近くあります。

当時望遠鏡があるわけではなく、またどちらかに富士山レベルの山でもあれば、そこから一方を見下ろすこともあるいは可能だったでしょうが、生憎そういう山もありません。寧ろ対馬から朝鮮半島を見る、あるいは朝鮮半島から対馬を見ることはできたかと思います。

これは恐らく直秀のはったりではないでしょうか、交易船とか交易品は見たかと思いますが。
それと
丹後
播磨
筑紫
私はあらすじと感想で「細川、黒田、黒田」などと書いていますが(苦笑)、いずれも小倉百人一首に出て来る地名ですね。特に丹後の天の橋立は、まひろ、後の紫式部の娘の小式部内侍が歌に詠んでいますし、播磨も「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に」でおなじみですし、筑紫関連では「筑紫歌壇」の歌人の歌が選ばれています。

6.万葉筑紫歌壇
(太宰府市文化財情報)

当時、都の人にとって、そこから離れることは絶望的とされました。確かに出世レースから脱落してしまう。それでも、案外、気分転換になったのかもしれません。

ここでは都を離れるのは直秀と散楽一座ですよね?ならば出世レースも何もないのでは。
あと大宰帥などで筑紫に赴いた人も、当時の旅の困難さを考えれば、なかなか大変であっただろうと思います。以前書きましたが、大伴旅人などは着任後すぐ奥さんを亡くしていますし。

ただその人たちを受け入れた地では、都に触れる機会でもあり、その地に文化が根付いたと言えるでしょう。

日本中世史を考える上でも重要に思えます。

『源氏物語』で描かれるような世界は、ほんの一握りのもの。それ以外では、名もなき大勢の庶民が、生きては死に、歴史の中に消えてゆきました。

そんな消えた姿を想像させてくれる、直秀のような人物は重要でしょう。

まず、この時代は中世ではなくて古代です。平安時代は古代に区分されます。
そして
「『源氏物語』で描かれるような世界は、ほんの一握りのもの」
この物語をベースにした描写が、ドラマの中で既に何度か見られるのですが、その『源氏物語』を無視しているようにも取れてしまいますね。
あと大勢の庶民が表に出てくるのは室町時代の頃で、その当時、庶民はまだ表に出て来る存在ではありませんでした。

こういう役割の人物を「オリキャラ」だのなんだの貶す意見もありますが、正史に対する庶民目線の稗史(はいし)も重要なはず。

オリキャラが悪いのではなく、そのオリキャラの設定に賛否両論があるだけだと思います。現に私は、今のところ直秀の描かれ方に、特に無理があるようには見えません。
恐らく武者さんは、『麒麟がくる』の駒を念頭に置いているのでしょうが、私も駒に関してはちょっと無理があるような気がしました。これも以前書きましたが、あのまま市井の人物として薬屋で生涯を全うしていたら、そうは思わなかったでしょう。

そして庶民目線の稗史と言うのであれば、昨年の阿月なども足が速いことが父の気に入らず、両足を縛られてしまい、その後その父に売られ、お市の侍女となった後、伝令の役目を買って出て命を落としています。好きな大河なら、恐らく褒めそうなキャラでしょう。しかし武者さんは、都合よく死んでくれる「冷蔵庫の女」と彼女を形容しました。
なのに今年のちやは、あるいは忯子はそう言わないのですね。

本作は近代が舞台ではないけれど、歴史総合目線もある。
日本はずっと隣国と交易し、影響を互いに与え合ってこそ、成立してきました。

先日、驚いたことがあります。昆布とはアイヌ語ルーツだと初めて知った人が、激怒して日本伝統だと主張していたのです。昆布は蝦夷との交易品であり、そのことをむしろ昔の人は自慢していました。

隣国と交易もし、戦いもしています。また交易だけでなく、たとえば遣唐使のような文化交流もありました。
そもそもこの「歴史総合目線」とは、具体的にどのようなことを意味するのですか。
あと
「昆布とはアイヌ語ルーツだと初めて知った人が、激怒して日本伝統だと主張していたのです」
その裏付けをお願いします。

逆に近代が舞台なら、西洋列強が押し寄せており、この時代のような交易や交流は難しかったでしょう。

なぜなら交易するには権力が必要だったから。古来からアイヌルーツのものを取り入れていることは実際にありますし、それで純粋性が落ちることなどありえません。

海の中にある日本という国――その歴史を考える意義が、このドラマにはちゃんとあります。とても勉強になる作品です。

「古来からアイヌルーツのものを取り入れていることは実際にあります」
ここまで書くのであれば、その例をちゃんと示してください。ルイベとか鮭とばなども確かアイヌ起源ですね。

あと
「海の中にある日本という国――その歴史を考える意義が、このドラマにはちゃんとあります」
直秀が都の外のことを話しただけで、「海の中にある日本という国の歴史」を考える意義があると言うのは、少々飛躍しすぎだと思いますが。
ならば『北条時宗』とか『毛利元就』(嫡男隆元が、プレッシャーに耐えかねて他国へ行きたいと言い出すシーンがある)などもそれと同じではないかと。

前にも書きましたが、本作は中国語圏でも注目を集めています。漢詩の引用が多いことに注目されていますし、宮廷劇らしい要素もふんだんにある。

今年の大河は日本国内向けのみならず、世界を狙えるアジア代表枠として認識できると思います。

武者さん、前回前々回と書いていた
「町田啓太さんの検索数が中華圏で多い、だから人気がある」
はどこへ消えたのですか。やはりあれは『チェリまほ』の結果だったのでしょうか。

「漢詩の引用が多いことに注目されています」
これもその裏付けをお願いします。注目されていると断言するわりに、具体例がなさすぎですね。

「世界を狙えるアジア代表枠」
この「代表」とは「何の」代表なのかまるで書かれていません。
ワールドカップの代表か何かですかと言いたくなります。

道長の官位が、従五位下程度の右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)であり、婿にするには低すぎる。

ちなみにこれは「佐殿」であり、唐名(とうみょう)は「武衛」ですから、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の源頼朝でお馴染みですね。

これ順序が逆なんですよ。まず右兵衛権佐だから佐殿、『鎌倉殿の13人』の頼朝である、その唐名は武衛だったと持って来た方がいいかと。私も第3回のあらすじの感想で、これについて書いていますが、こちらでは上総広常が
「武衛武衛」
と呼んでいたことについて書いています。武衛と言えばやはりあの人を思い出しますね。

義懐が力を持てばどうなるかわからないし、右大臣家は嫌いなのだとか。関白家の藤原公任ならば良いって……。

確かに兼家はなぁ。道綱母の藤原寧子が、兼家のつれなさを詠んだ歌がバッチリ出回っていますからね。娘があんな歌を詠むかもしれないと思うと、そりゃ嫌ですよ。

右大臣家ではありますが、倫子が結婚するのは兼家ではなく、その息子の道長です。これだと、まるで倫子が兼家を婿に取るようです。
そして穆子が
「そういう遊びの過ぎる殿御は、倫子がさみしい思いをしそうで」
と言っています。この「遊びの過ぎる殿御」、これは公任のことなのですが、これも武者さんの文章だと兼家のことのように取れてしまいますね。

ここ、ちゃんと観ていましたか?

すると穆子は、夫が赤染衛門と話したという点にチクリ。ただ話しただけだと雅信は慌てています。穆子はかわいい嫉妬ができる女性ですね。

『鎌倉殿の13人』の政子は、金剛力士像顔になって頼朝に怒っておりました。ああいうのは怖い。

政子は元々公家でもないし、夫の頼朝が、都風に大勢の女性と接することにも慣れておらず、亀の前の家を壊させたのは無理もないかと。

黒木華さんが愛くるしいのは言うまでもない。

それにしても、この恋する顔の美しさはどうしたことか! 花の蕾がふくらんでほころんでゆくようで、甘ったるくてかわいらしくて素晴らしい!

こんな顔をさせた時点で道長は有罪なので、さっさと婿になりましょう。

好きな大河の女性キャラに対してはこう言うのですね。
無論黒木さんは、この倫子をうまく演じているとは思います。しかしこれが嫌いな作品なら
「かわいこちゃんキャラでけしからん」
などと言うのではないのでしょうか。
大河ではありませんが、『まんぷく』の福子にもそういう言い方をしていました。

まひろと結ばれて欲しい気持ちもないわけではありませんが、この倫子を見てしまうと難しい。まひろは書く楽しみもあるし、ここはもう、倫子でよいのではありません?

ついでにいうと、雅信も穆子もかわいいですね。小麻呂も言うまでもない。ドロドロした右大臣家が嫌だというのは理解できますとも。あちらは全員可愛げがありませんから。雅信の予感は当たるのかもしれない。今はまだ純朴な道長も、いずれは……。

「まひろは書く楽しみもあるし」
この回で書くシーンは出て来ないのですが…。それに散楽一座ももう都を離れると、コント?作成もできなくなるでしょう。

「右大臣家は全員可愛げがない」
よく見るとそれぞれのキャラの違い、そして自分たちが結束して何をするべきか、それが窺えるかと思うのですが。それと雅信は源氏であり、藤原氏の兼家ほどの権力欲はないと思われます。以前そういうことを言っていましたし。

好きな大河の中でも人物の好き嫌いをはっきりさせて、『鎌倉殿』の時政のような感じで、兼家ファミリーを叩くのも武者さんは好きなのでしょうね。

藤原義懐は帝からのお達しだとして、陣定(じんのさだめ)を当分の間開かぬことにすると告げます。
これまで出てきた帝の前での会議ですね。

陣定は帝の御前でやるものではありません。寧ろ帝の臨席が減ったことにより、主流となった一種の閣議です。出席者の発言が奏文としてまとめられ、帝と摂政や関白の決裁を受けるシステムでした。

慣例を破り、帝だけで決めることは天意に叛く、世が乱れる。それを帝が理解していないのならばお諌めしろと訴えています。
世を治める為政者とは、天から選ばれている。それに背けば帝に禍が及ぶかもしれない。そんな東洋の考え方です。

「そんな東洋の考え方」とありますが、もっと具体性がほしいですね。それはどのような史料や文献にあるのでしょうか。そして、日本にそれが伝わったのはいつですか。

彗星や白虹貫日(日暈)がその証とされ、こうした考えを【天譴論】と呼びますが、日本では関東大震災時の渋沢栄一による誤用が広まってしまいました。
大河ドラマの主役に選ばれた人物であろうと、過ちは犯すのでそうそう信じてはならないという悪例です。ご注意ください。

そしてここで『青天を衝け』叩き。大河をきちんと説明するのではなく、どうにかして自分の思う方向へ引っ張って行こうとしていませんか。こんなことするのではなく、天譴論をちゃんと説明すればそれで済むことなのですけど。

「大河ドラマの主役に選ばれた人物であろうと、過ちは犯すのでそうそう信じてはならないという悪例です」
では、武者さんが好きな大河の主役でも、そのように考えていいということですね。

あと「白虹貫日」、武者さんが昨年南に虹が出る、このドラマはおかしいと書いていたのをちょっと思い出しました。

しかし詮子には策がありましたね。自分にも東宮にも源雅信がついている! 大臣家に道長婿入りを勧めてもいる。そのうえで、道隆も源と手を組む覚悟を決めろと言い出します。

それ、その前に兼家も同じことを言っていましたね。似た者父娘なのだと思いました。

安倍晴明が「遅い!」と言われながら、兼家の眠る部屋へ出向き、「瘴気が強すぎる」と兄弟たちに言い放つと、兼家と二人きりになります。

「眠る」だと死んでいるようだから「伏せている」辺りがいいのではないかと。
あと「瘴気」、字幕では「障気」となっていましたが、ざっと調べたところどちらも使われるようです。「病を産み出す毒気」とでも言うべきでしょうか。


飲み物-暖炉の前のウイスキー
[ 2024/02/28 02:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『風花帖』-53

新六は小声で
ーー吉乃様
と声を掛け、吉乃ははっとして天井を見上げた。新六は天井板を動かし、ふわりと畳に降り立った。

その様子は、かつて新六が吉乃を救った時に見せた、あの蝙蝠のような動きだった。
「新六殿ーー」
吉乃は声を詰まらせた。

吉乃は勘十郎に囚われて以来、新六が助けに来てくれることを願っていた。しかし、いざこうして新六が来てくれると、それが信じられないような思いで、目に涙があふれた。

兄の秀五郎は吉乃に、むごいことをしていると言った。最早新六に助けを求めるべきではないと吉乃は思っていた。だが勘十郎の屋敷に囚われてしまい、無意識のうちに、胸の中で新六に助けを求めていたのである。その願いが通じたかのように、新六はこの場に姿を見せてくれた。

しかしそのために新六は、大きな苦難を背負うことになったことは吉乃もわかっており、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「新六殿、ありがとう存じます。されど私に関わっては、新六殿の身が危のうございます。最早私は放っておいてお立ち退きください」

吉乃が涙ながらにこういうと、新六は微笑んで言った。
「何を言われますか。せっかく吉乃様のもとへ参ることができたのです。お助けしないわけには参りません」

「そうおっしゃいましても…」
吉乃は尚も訴えようとしたが、新六はゆっくり頭を横に振った。
「我が藩は、既に真っ二つに割れて争っております。この先無傷でいられる者はおりますまい。ならば、私は吉乃様を助けて傷を負う方が嬉しゅうござる」

「ですが、私は伊勢様の家士に監視されております。ここから逃げるのは難しいかと存じます」
吉乃は、眉をひそめてこう言った。

「いや、家士が何人いようとも、斬り払って吉乃様をお助けいたす、それは私に取ってたやすいことです。しかし今しばらくここで待とうと思っています」
「何を待たれるのでしょうか」

吉乃は目を見張って尋ねた。新六は座敷の片隅に吉乃を誘うと、畳に座った。その新六の傍らに、吉乃は身を寄せて座った。新六は声をひそめ、こう話した。

「私が小宮屋敷を脱け出たことは、既に城中の伊勢勘十郎の耳に達しているでしょう。あの男は、私が吉乃様を助けようとしていることを察し、慌てて屋敷に戻ってくると思われます。それを待つのです」
「待って、どうなさるのですか」
新六は冷ややかな笑みを浮かべた。

「斬ります」
「伊勢様を斬ると言われるのでしょうか」
吉乃は息を呑んだ。


伊勢屋敷へ向かった新六は、忍びのように天井裏に入り、吉乃が捕らえられている部屋へと忍び込みます。吉乃は、心のどこかで新六が助けに来てくれたらと思ってはいたものの、実際に来てくれたのが信じられず、涙を流します。しかし同時に、新六がこのような状況に身を置いているのは危険きわまりなく、吉乃は自分のことは構うなと言うのですが、新六にしてみれば、吉乃を助け出すことが大きな使命でした。

小倉藩士でありながら、藩を二分する騒動には加わらず、ただ吉乃を救いたいという気持ちゆえに、身の危険を冒してまでやって来たのが、この人物らしいと言えるでしょうか。しかも自分が小宮屋敷を脱け出した、より正確に言えば、方円斎や順太が昼寝をしてくれたため脱け出すことができたわけですが、その事実を勘十郎が聞きつけ、急いで戻って来るであろうことも計算済みでした。

元々この新六の最大の目的は、伊勢勘十郎への復讐と言えそうです。吉乃、そして夫の源太郎を煩わす者を処罰することが、彼に取っての正義でもありました。しかしながら普段は地味な人物であり、そういう人物が、特定の存在を貶められた時に採る手段というのは、実はなかなか過激なものであったりもするのですが、勘十郎にそのことがどこまでわかっているでしょうか。

飲み物-コーヒーとケーキと生クリーム
[ 2024/02/27 03:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第8回「招かれざる者」あらすじと感想-2

第8回後半部分です。


道長の言葉に道隆が答える。父上はそんなつもりではなかった、お腹のお子さえ流れればよかった、そのことを晴明に命じたら、忯子様までお亡くなりになったと。恐ろしいことだとおののく道隆を道兼が励ますが、道長は一人別の方を向いていた。そして帝は東三条殿の祈祷について晴明に尋ね、晴明は忯子の霊が兼家に取りついていたと答える。つまり忯子は成仏できていなかったのである。

理由を尋ねる帝に晴明は、右大臣(兼家)様を恨む余りと口にする。義懐は晴明に、右大臣が忯子様を呪詛し、お命を奪ったということかと尋ねるが、それはわかりませぬと晴明は言う。帝は忯子を憐れんで涙し、死ね右大臣と叫ぶ。しかし晴明は。そのようなお言葉は、忯子様をますますこの世にお引き止めすることになると諫める。一方為時の屋敷では、右大臣と手を切っておいてよかったと惟規が喜ぶが、為時は息子を窘める。

あの時東宮の漢学指南の役をいただかなければ、お前たちだって飢え死にしていたかも知れないと言う為時に、惟規は大げさでしょうと取り合わない。まひろは伊藤とに、幼過ぎて両親の苦労を知らなかったのだと言うものの、惟規は苦労なんて知らない方がいいと、あっけらかんとしたものだった。そして為時は、右大臣は恐ろしいところもあったが、何より政の名手であった、関白頼忠や左大臣雅信ではそうは行かないとも言う。

義懐も同じで、こちらは帝のご寵愛をいいことに横暴が過ぎる、右大臣を追い詰めたのは義懐であると言う父に対し、同乗しても右大臣は倒れたし、権中納言の義懐と仲良くした方がいいと口にし、まひろの同意を求める。しかしまひろは、父はこんな争いに巻き込まれるのを好まず、学問で身を立てたいだけだと惟規に言う。しかし惟規は父や姉に似ず学問嫌いであることを自覚しており、本当に父上の子なのかなと言いつつその場を去る。

為時は、宮中の書庫(ふみぐら)の整理を主な仕事にしようとする。そんな父にまひろは、内裏のことはわからないが、政での争いは似合わないと言う。そして道長は父兼家の枕頭に座ってつぶやく。父上は我々をどこに導こうとしておられるのか、我らの行く先はどこなのであるか、生き延びてその答えを推してほしいと。

兼家はなおも床に就いたままだったが、ある夜道兼がその手を取った時、道兼は父が目を開けたのに気づく。そして道兼は、ある日書庫にいる為時に声を掛け、兼家の病状を尋ねる為時に、時折正気付くが殆ど眠っている、見通しは暗いと答える。さらに道兼は父が為時に世話になったと言い、私の方こそと返す為時に、蔵人所の仕事は終わったので手伝うと言い出す。

ご看病に帰られませと言う為時に、父は私の顔を見ると嫌がるからいいいのだと道兼。そして為時を手伝おうと手を差し伸べた時、袖の下の腕があざだらけなのに為時は気づく。父にやられた、昨夜も一時正気付いて、その時にと道兼は言い、小さい時から可愛がられたことはなく、殴られたり蹴られたりしておった、兄も弟も可愛がられていたのにと、悔しそうな表情を浮かべる。

道兼は言う。病に倒れ、生死の境をさまよいつつ私を嫌っておると。おつらいことですねと共感する為時に、自分はどこでも嫌われる、蔵人の務めとして帝のお側に上がっても、右大臣の子というだけで遠ざけられると言って書庫を去る道兼が、為時には不憫に感じられた。その後為時が屋敷に戻ると、いとが青ざめた顔で出迎えると人目を憚るように、道兼が来ていること、しかも酒を持参して、為時と飲みたいと言っていることを伝える。

その時まひろと乙丸が戻ってくるが、今少し外にいるようにと為時は言い、道兼を恭しく出迎える。まひろを見てご息女かと訊く道兼。まひろはその顔を見て、信じられないといった表情になり、屋敷の中へ走り去る。部屋に入ったまひろは、母の形見の琵琶を見つめる。そして道兼は酒を飲みながら、息子がもうすぐ大学なら大変だろう、為時殿の息子なら聡明であろうから、心配は要らぬかと言う。

それがさっぱりと為時は答え、道兼が酒を注ごうとするのを断る。つまらぬな、せっかく尋ねて参ったのにと道兼。そこへまひろが琵琶を持って現れ、このようなことしかできませぬが、お耳汚しにと奏で始める。琵琶を奏でるまひろの脳裏を、母ちやはの思い出がよぎる。見事ではないか、体中に響き渡ったと道兼。そして琵琶は誰に習ったのかと尋ね、母に習ったとまひろは答える。

母御は如何されたと道兼はさらに尋ねる。為時の顔に緊張の色が浮かぶ。7年前に身罷ったと答えるまひろ。気の毒であったな、ご病気かとの道兼の問いに、まひろははいと答える。為時といとは、いくらか安堵した表情を浮かべる。失礼いたしましたと下がるまひろ。麗しいが不愛想じゃなと言う道兼に詫びる為時。道兼は今度はいとにも声を掛けるが、お捨て置きくださいませと為時は言う。

楽しく飲もうと思ったが、真面目な家じゃと笑う道兼。そしてまひろは部屋で、一族の罪を詫びる、許してくれと道長が言ったのを思い出す。あの時まひろは、兄はそのようなことをする人ではないと言わないのと道長に言ったものの、道長は、まひろの言うことを信じると答えた。その後為時はまひろに道兼が帰ったことを告げ、すまなかったと頭を下げる。なぜ詫びるのかと尋ねるまひろに、為時は言う。よく辛抱してくれたと。

私は道兼を許すことはないが、あの男に自分の気持ちを振り回されるのはもう嫌なのです、それだけですとまひろは言う。空になって久しい鳥籠に、野鳥が止まっていた。そして宮中では、道兼が文を盆に載せて現れる。右大臣の子ではないか、近づくなと帝は言い、義懐も早く去れと言う。為時はその盆を受け取り、道兼は去って行く。為時は帝に、道兼は右大臣の子ながら、右大臣に疎まれていることを伝える。

父とうまく行っていないのかと問う帝に、打ち据えられた傷さえあると為時が答える。帝は急に道兼に関心を示して呼び戻させ、道兼の両腕のあざを見て、病に倒れてもお前を殴るのか、地獄に堕ちるな右大臣はと同情するが、その時兼家はまたも目を覚まし、まひろは夜空にかかる半月を見ていた。道長も同じ月を見ていたが、その月に黒雲がかかる。その時道長の周囲が慌ただしくなる。

盗賊が現われたのである。武者たちが何とか彼らを取り押さえ、首領格の男の覆面をはぐ。その男は、あの直秀だった。


兼家が倒れますが、周囲は最早兼家がいなくなったも同然の状態になります。しかも道隆は道長に、父が忯子の子を流すように晴明に呪詛させたところ、忯子自身も亡くなってしまったと打ち明け、道長は意識のない父に向って、我々をどこに導こうとしているのかと尋ねるわけですが、その父兼家は、道兼が手を取った時に正気付きます。

この道兼ですが、今回も汚れ仕事を引き受けさせられたようです。為時と近づきになること、父に折檻されたこと、そしてその証拠を見せること、為時を通じて帝に取り入ることなどなど、恐らくは兼家の差金であり、しかし周囲に警戒心を抱かせないため、兼家の病状はよくないと触れ回っているようにも見えますね。そしてこのことは、道隆や道長、さらには詮子も知らないのではないでしょうか。

一方で為時。兼家という後ろ盾ももうないに等しく、何よりも政絡みの間者的役割を嫌がって、これで余計な争いに巻き込まれずに済むといったところだったでしょう。しかしこのような人物は、真面目であるが故に利用されやすいのでしょうが、花山天皇の側近ということもあって、今度は道兼が近づきます。と言うか、道兼の考え即ち兼家の考えであった場合、再び兼家の意向を汲むことにもなり兼ねないのですが。

まひろ、道兼の前で琵琶を演奏してみせますが、その前に母が何で亡くなったのかを道兼に尋ねられます。病でかとの問いにまひろはうなずきます。為時といとは安堵の表情を見せますが、どうも道兼は、この家で自分が嫌われていることには気づいていないようです。よく辛抱したと父に言われるまひろですが、最早道兼はどうでもいいと思っているようです。本当に嫌いな相手はスルーすると言いますか、要はそこまで成長したということでしょうか。

帝と義懐。どうもこの主従も、権力者から取り込まれやすい存在であると言えそうです。そもそも特定の存在を敵視するため、逆に利用されやすい、担がれやすいとなるのでしょうか。で、その敵視した相手から失脚させられると言ってもいいわけですが、この帝も、スルースキルがあればまたその治世は変わっていたかも知れません。


飲み物-ポーターとクルミ
[ 2024/02/27 02:00 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

小倉城と福岡城-6(それぞれの別名)

今回でひとまず、小倉城と福岡城についての投稿を終わります。また何かあれば再開するかも知れません。

お城には別名があります。たとえば姫路城の白鷺城や岡山城の烏城、あるいは大坂城の錦城などですが、この2つの城にもいくつかの別名があります。

まず小倉城、いくつか名前がありますが、その中で勝山城という名称があります。この勝山というのは、小倉城の近くの公園(緑地)の名前でもあり、この公園を中心に小倉城をも含めた一帯が、都心部のレジャー施設となっています。松本清張記念館などもここに建てられています。

尚勝山という地名が別に北九州市に存在しますが、こちらは八幡東区になります。

勝山公園
勝山公園2
(ぐるリッチ北Q州)


一方福岡城、こちらは博多湾方向から見た姿が、鶴が羽を広げているようだといういわれがあり、舞鶴城と呼ばれています。尚福岡城がある公園は舞鶴公園と呼ばれており、中央区北部にも舞鶴という地名があります。他にも石垣が多いため、石城と呼ばれることがあります。

それとは別に、石城町(せきじょうまち)と呼ばれる地域が博多区の北部に存在します。こちらは博多湾の元寇防塁を城に見立てたもので、現在は国際会議場や、大相撲九州場所の会場でもある、福岡国際センターがある場所です。

福岡国際会議場
福岡国際会議場2
(写真提供:福岡市)

尚前々回の投稿で、通し番号が4となるべきところを3としていましたので、訂正しています。
[ 2024/02/26 04:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)

『光る君へ』第8回「招かれざる者」あらすじと感想-1

第8回前半部分です。


寛和元(986)年。道長とまひろは、自邸でそれぞれのことを思い出すが、まひろは心の内でこう言っていた「もう、あの人への思いは断ち切れたのだから」

まひろは左大臣家へ赴く。小麻呂は無事戻っていた。鼻水をすするまひろに、風邪かと声をかける赤染衛門。打毬の時の雨のせいだと赤染衛門は言うが、茅子は、打毬が素晴らしくて心が熱くなっていたので、濡れても平気だったと答える。そして茅子は公任が素晴らしいと褒めるが、しをりは道長がいいと言い、倫子もあの日の公任はおとなしかったと言う。やはり倫子様も道長様ねと言うしをり。倫子は笑顔を見せただけだった。

赤染衛門は、道長と呼吸がぴったりの、猛々しくも美しい公達の話を持ち出す。人妻なのにそう言うとはと倫子。しかし心の中は己だけのものですからと答えたため。姫君たちはきゃーと笑い声をあげるが、そういう自在さがあればこそ人は生き生きと生きられると赤染衛門は諭す。その言葉にまひろは何か思うものがあった。

一方藤原斉信は、行成の腹痛のおかげで道長の弟に会えた、如何にもやり手であったぞと、直秀の肩に手をやりながら言い、行成は礼を述べる。この4人と公任は、道長の屋敷で酒宴を張っていた。行成が来ていたら負けていたやも知れぬと斉信、実際行成は体を使うのは苦手だった。そして直秀は道長を兄上と呼び、自分は母の身分が低いのでこのようなお屋敷は初めてだ、是非中を案内してくれと言う。

斉信は東三条殿は広い、東宮の母君の詮子様も時々お下がりになる、酒の後案内して貰えと言って毬を直秀に投げ、直秀は初めて笑顔を見せる。しかし道長は、この男に矢を射たことが気になっていた。そして屋敷を案内しつつ、ここは誰もおらぬ、兄上はやめておけと言う。そんな道長に直秀は、西門以外の通用門について尋ねる。理由を訊く道長だが、ただ広いなと思っただけだと直秀。

今日は別人のようだと言う道長に、俺は芸人だ、何にだって化けると直秀は答える。そして道長は矢傷について訊くが、散楽の稽古でしくじったと直秀。しかも小枝が刺さった、我ながら情けないと直秀は言い、さらに東宮の母君のご在所はどこかと口にする。藤原を嘲笑いながらなぜ興味を持つのか不思議がる道長に、直秀はこう答える。
「よく知れば、より嘲笑えるからだ」

散楽一座に戻った直秀をまひろが訪ね、なぜ打毬に出たのかと訊く。直秀はやつらを知るためだと答え、それを散楽に活かそうとしていた。そして直秀は、「あいつらのくだらない話」を聞いただろとまひろに尋ねる。女性の品定めの話だった。あの時お前が走って行くのを見たと言われ、どうでもいいと答えるまひろに、自分もどうでもいいと直秀。そして散楽一座は、その後都を去ることになっていた。

人はいずれ別れる定めだ、都の外は面白いぞと直秀は言う。丹後や播磨、筑紫でも暮らしたことがあるらしく、まひろはどのような所なのかを尋ねる。まず海があり、海の向こうには彼の国があり、晴れた日には海の向こうに彼の国の陸地が見えると聞かされるが、まひろは海を見たことがなかった。海には漁師、山には木こりがいて、彼の国と商いをする商人もいるらしい。さらに直秀は言う。都のお偉方はここが一番とふんぞり返っているが、都は山に囲まれた鳥籠だと。

自分はその鳥籠を出て、山を越えて行くと直秀は言い、一緒に行くかとまひろを誘う。行っちゃおうかなと口にするまひろだが、行かねえよなと直秀は笑う。まひろは迷っていた。

その頃関白頼忠は、左大臣雅信、右大臣兼家と宴を張り、帝が義懐を従二位、権中納言にする意向であることを話す。年末には宣旨が下るであろと言う頼忠。帝は頼忠を追いやり、義懐を関白になさるおつもりですぞと兼家。もう終わりだと弱気になる頼忠だが、ここで3人は結束を固める。義懐に好き勝手をさせないことが何よりも大事だった。そして兼家は、道長を倫子に婿入りさせることを申し出る。

しかし道長は従五位下、右兵衛権佐と身分が低く、雅信は乗り気でなかった。妻穆子は、右大臣家の三男なら偉くおなりになると言うが、義懐たちが力を持てばそれもどうなるかわからず、しかも雅信は右大臣家を好きではなかった。公任なら考えなくもないと言う雅信に、穆子も見目麗しく目から鼻に抜ける賢さで、女子にも大層まめと同意する。しかし穆子は言う、そういう遊びが過ぎる殿御は倫子が寂しい思いをしそうで、自分は嫌であると。

雅信は、道長が打毬で大層騒がれていたと、赤染衛門が言っていたと話す。すると穆子が、赤染衛門と2人で話していたのかと尋ねたため、雅信は廊で会えば話くらいすると答えるものの、道長の婿入りについて話していたのを、忘れかける有様だった。やっと本題に戻った雅信は、右大臣のがつがつしたふうが嫌いだ、父親を見れば息子たちもおのずとわかる、詮子様とてそっくりだと強く言う。

右大臣のひな型などこの家に入れたくないと言う雅信だが、そこへ小麻呂を捜していた倫子が現れる。そんな娘に穆子は、猫にしか興味がないのか、今道長殿を貴女の婿にどうかと、父上と話していたところだと言い、倫子は嬉しそうな表情を浮かべる。その満更でもない顔は何だと雅信は尋ね、そのような顔などしておりませぬと部屋へ戻った倫子の脳裏を、道長の姿が駆け巡る。

翌寛和2(986)年。義懐は帝よりのお達しであると言い、陣定を当分開かないことになったと告げる。どよめく公卿たち。帝の政についての決定に異論がある者は、書面で申し上げるようにと義懐は言い、よい意見と判断すれば上奏すると言う。誰の判断だと言う頼忠に、お声が聞こえませぬととぼける義懐。そこへ兼家がこう言い放つ。
「権中納言義懐、勘違いが過ぎるぞ!」

雅信も、帝がそのようなことをお考えなさるはずがないと兼家に同意する。しかし帝の叡慮に背くは不忠の極みと義懐。兼家は立ち上がり、どちらが不忠だ、帝のご発議も陣定にて議論するは古来の習わし、時に帝も誤りを犯される、それをお諫めせぬのでは、天の意に背く政で世が乱れかねないと滔々と述べる。さらに兼家は言う。
「帝がお分かりにならぬとあれば、なぜそなたがお諫めせぬのだ!」

そして兼家は、頼忠、雅信と共に帝をお諫めに参ると言い、ご不例にてと止める義懐を突き飛ばすが、その兼家自身がその場にくずおれてしまう。右大臣めいい気味じゃ、目の上のたんこぶがなくなったと帝は喜び、これは天の助けにございますと義懐も嬉しそうだった。側に控える為時は複雑な表情だった。天の助けとはしゃぐ帝に、惟成はそのような心をお見せになりませぬようにと進言する。わかっておると言いつつ、帝は言う。きっと忯子が助けてくれたのじゃと。

兼家は屋敷に運ばれ、薬師が呼ばれる。毒を盛られた様子はないが、このままではお命が危うい、皆様で魂が去らぬよう呼び返されるのがよろしいと薬師は言い、道隆、道兼そして道長の3人は父上と呼びかけ、そこへ詮子も姿を見せる。そして道隆は、父の代理を務めることになる。道兼と道長は承諾するが、詮子は、兄上は義懐に追い越されて参議にもなっていないから、父上に死なれたら困りますねとずけずけと言う。

しかし詮子も、父兼家がいなくなるということは、東宮である我が子懐仁の後ろ盾を失うことになる。道隆はそう言い、帝や義懐一派が増長すれば、ご即位とて危うくなると詮子を諭し、我ら4人力を合わせる時と道兼は言う。道長は黙っていた。詮子は自分にも東宮にも、源の人々がついておるゆえ、父上に万が一のことがあっても大事はない、源雅信は東宮と私に忠誠を誓っておると言い、道長の左大臣家への婿入りも進めようと思っていたと言う。

驚いたのは道長だったが、弟の意向には構わず、兄たちに源と手を組むように詮子は言う。さすればこの場はしのげる、左大臣の動きを今少し見てから文を書くと詮子は言い、その文は貴方が土御門殿に届けるようにと弟に命じる。しかし道隆は、まずは父を回復させなければならないと、弟2人に安倍晴明を呼ばせる。晴明は入室するなり、障気が強すぎる、何も見えないと言って、道隆たちを退席させて祈祷を始める。

屋内では僧たちの、屋外では晴明の祈祷が行われる。そして僧たちの祈祷中に巫女が倒れる。命を返せ、子を返せと口にし、さらに名前は「よしこ」であると言う。巫女は病床の兼家に詰め寄って返せと叫び、今度は道長を組み附伏せようとする。その時屋外の晴明が指を鳴らし、巫女は静かになった。しかし道長は忯子の霊が父に取りついたのはなぜか、何かご存知ではと兄たちに尋ねる。


さて直秀、打毬の後道長をはじめ、公達と酒を酌み交わしています。芸人だから何にでも化けるということなのでしょうが、狩衣も似合っており、道長のことをそつなく兄上と呼び、行成の挨拶もきちんと受けて、あのような場にいても何ら物怖じすることなく、堂々としています。あれだと、他の3人はやはり道長の弟であると思ったことでしょう。しかし彼らが投げているのは競技用の毬でしょうか、あんなキャッチボールみたいなことをやっているのですね。

そして行成。体を動かすのは苦手だと言っていますが、まあこの人は三筆として名を遺すわけですし、腹痛もその苦手意識が原因かも知れません。しかし道長は、直秀の矢傷が気になっていました。直秀はあの時の矢であることをもちろん知っているわけですが、あくまでも、稽古の途中でケガをしたと主張します。その打毬を見たまひろですが、もう道長のことは忘れようとしていました。

そのまひろは、直秀に会いに行きます。散楽のネタにするために、打毬に参加したと言う直秀は、やがて都を去るとまひろに話します。そして今までも丹後、播磨そして筑紫に住んだこと、海があって外国が見えること(これは大げさかと)、そして外国と商いをする者がいることなどを話し、都は山に囲まれた鳥籠であるとも言います。それはまひろの関心を惹くものでした。実際外の世界を知る彼には、公任たちの女性の話などばかばかしく思えるのでしょう。しかし直秀が住んだ場所ですが、
丹後ー細川、播磨-黒田、筑紫-黒田
どうもこちらを連想します。

一方で義懐の専横ぶりが目につくようになり、ついに陣定まで行われなくなります。帝の意向ということですが、実際のところはどうなのでしょうか。そして兼家は、義懐のこの態度に怒り、頼忠や雅信と帝を諫めに行こうとして、そのまま倒れてしまいます。尤も兼家にしても、義懐のせいで道隆が参議になれていない上に、自分の孫を即位させたいという私情もあって、義懐を、今の地位から引きずり下ろしたいという気持ちもあったでしょう。

兼家が倒れたことで、道隆は子供たちの結束を呼びかけます。ただ詮子はもし父がいなくなっても、源雅信がいる、私に忠誠を誓っていると言い出します。この辺りは、やはり父兼家に考えが似ています。兼家はその前に、道長と倫子の縁組を言い出しており、全く違うところで、その娘によって同じ動きが持ち上がっていたわけです。そして、どうやら倫子も道長のことは憎からず思っているようですね。


飲み物-ブランデーグラスのビール
[ 2024/02/26 02:30 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

『武将ジャパン』大河コラム続きと『不適切にもほどがある!』

まず先日のたけたけさんの記事関連の投稿について、一部表記が似たような感じになっていたので改めています。

実は『風花帖』について書こうかと思ったのですが、今回は『武将ジャパン』大河コラムについて追加したいことがあるので、そちらを書きます。たけたけさんのnote記事には、このコラムでの大河作品の評価が、決め打ちであると書かれていたことがありますが、正にその通りだとうなずかざるをえません。要ははじめに結論ありきなわけで、賛同か批判(というか叩き)のどちらかに大きく傾くのが、このコラムの特徴と言えます。

たとえば打毬の後のシーン、先日の投稿では触れていませんが、
「ここで公達が半裸である事に対して、『女性へのサービスカットではなくセクハラだとは言わないのですね」
と書かれています。嫌いな大河ならセクハラ呼ばわりはもちろん、アップデートができていないなどと叩きまくることになるわけでしょう、昨年の大河で、こういう半裸のシーンなどがあった場合にこういう表現を使っています。でなければ
「しょーもない」「わけがわからない」

また記事の中で、
「烏帽子を脱いで平安時代の価値観では恥ずかしい髻部分が丸見えなのが気になりますが」
ともあります。これも実際そうだなと思いますが、武者さんはこれに何も言及していません。『鎌倉殿の13人』で、義時が孤児たちの世話にかまけていて、烏帽子をつけないままのシーンでは、そのことを書いていたと思うのですが。

それから、武者さんが散々に言っていた『不適切にもほどがある!』に関して。
このドラマですが、否定的な見方もある一方で、面白いと言う声ももちろんあるようです。公式サイトのあらすじを見て行く限り、如何にも宮藤官九郎氏だなとは思いますが。そして実は、今年の大河に出ている人たちが、このドラマにも出ています。

ゲスト出演も含めると
吉田羊さん
秋山竜次(ロバート)さん
ファーストサマーウイカさん
といった人たちが出ていますね。また、武者さんが好きな山本耕史さんも出演しています。こういう俳優さんたちが、宮藤氏のドラマに出るのがあるいは嫌なのでしょうか。

それとこのドラマですが、Netflixの「週間TOP10」で3週間連続1位のようです。そして武者さんは、リアタイ視聴率では時代遅れ(アップデートされていない)、配信も考えなければと書いていたことがありますが、Netflixでは配信ランキングがトップなのはご存知なのでしょうか。

Netflix「週間TOP10」(日本)で記録更新の3週連続1位!
『不適切にもほどがある!』


飲み物-淹れたてのホットコーヒー
[ 2024/02/26 00:15 ] 大河ドラマ | TB(-) | CM(0)

小倉城と福岡城-5(築城そして城下町)

小倉城あれこれ その2でも書いていますが、小倉は細川忠興公が藩主となって以来、京都風の町づくりが行われます。

(前略)
その(注・関ヶ原の戦い)功績で豊前一国、豊後の二郡(国東郡、速見郡)の30万石が与えられ、最初は中津城に入城。その後ほどなくして小倉城へ居城を移します。そして慶長7年(1602年)、忠興は小倉城の大規模改修と城下の整備に取り掛かります。

小倉の町づくりは京都がお手本

細川忠興が目指したのは、小倉に自らが生まれ育った京都のような町を作ること。現在、小倉の繁華街が碁盤の目状になっているのは、京都の町を手本に作られたことが理由です。京町、大阪町(現在の鍛冶町の一部)、室町など京都や大阪の地名、町名が見られるのも忠興の好みによるものです。

また、小倉っ子にはおなじみの「小倉祇園太鼓」も細川忠興が「京の文化」のひとつとして取り入れたもの。元和3年(1617年)に、城下の鋳物師町に小倉祇園社を創建。翌年からおこなった「祇園会(ぎおんえ)」が現在の祇園祭の始まりといわれています。

(小倉城公式サイト 小倉城ものがたり)

私も昔、なぜ小倉に「室町」(小倉城の北の地域)という地名があるのか、不思議に思ったものです。恐らく、何らかの形で京都の影響を受けたのだろうとは思っていたのですけどね。

小倉城周辺
小倉城周辺(Wikimedia)

一方福岡は黒田長政公、と言っても入府当時はまだこの地名はありませんでした。当初名島を居城としたものの、城下町が整備できず、結局名島城の資材を使って、警固村赤坂の地に城を建て、ここを福岡とします。これは先日も書いています。そしてこの地に築城を始めています。

絵図にみる城下町福岡城

その子・黒田長政は、慶長5年(1600)年の関ヶ原の合戦で、東軍徳川家康に味方し、勝利にみちびいた功績(こうせき)で、筑前1国を与えられ、その年の12月に父如水とともに、名島(なじま)城(現福岡市東区)に入りました。名島城は中国地方の毛利氏の1族で、如水と親しかった小早川隆景が築いた城で、3方を海に囲まれ、水軍が海路をにらむ海城でした。
しかし黒田氏の多くの家臣団を住まわせるには狭く、しかも、古くからの港湾・商工業都市の博多とは遠すぎるため、如水と長政は、博多の西隣の福崎(ふくさき)の地を選び、新たな城と城下町を造ることにしました。
(中略)
8月からは石垣が築かれ、長政は9月からは本丸の天守台に取りかかる様に命じています。このとき、家臣の中で中心的な役割を果たした人物に、野口一成(のぐちかずなり)がいます。かれは佐助(さすけ)とも呼ばれ播州(現兵庫県)の加古(かこ)川出身で、如水・長政に古くから従って武功を立て、筑前入国時には2500石を与えられています。しかし同時に築城技術、とくに石垣作りの名人だったといわれ、長政はかれに様々な指示を残しています。

(福岡市博物館 企画展示No,209、一部固有名詞の振り仮名を省略しています)

(福岡城アカウントより)

こちらの企画展関係は幕末まであるのですが、今回は江戸初期の築城関連にとどめておきます。しかし野口佐(左)助、福岡城に取って、大いなる功労者とも言っていい人物です。

また小倉と違い、福岡の場合は既に博多があって、その中に武士が入ってくるわけです。しかも博多の嶋井家などは、西軍の石田治部少輔三成の定宿でもあり、この人とも懇意ではあったわけですが、黒田氏の築城に協力しています。

ところでこの福博の城下の守りについて、個人の方のですが、このようなブログがありましたので置いておきます。黒田家、福岡藩関連多めです。

福岡城・博多城の防衛 ② 福博防衛ライン!
(香椎うっちゃんのブログ)

こちらの記事で福岡部で敵の勢いを止めるために、道路がカギ型に作られているとありますが、この先、大名の辺りはそういう「直進できない道路」が多いです。これは小倉でも同じでしょう。尚この画像の右手の方、今は某証券会社のビルですが、かつては母里友信公(太兵衛)の屋敷がありました。

飲み物-パブのビール2
[ 2024/02/25 05:00 ] その他 | TB(-) | CM(0)
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『西郷どん』復習の投稿をアップしている一方で、『鎌倉殿の13人』の感想も書いています。そしてパペットホームズの続編ですが、これも『鎌倉殿の13人』終了後に三谷氏にお願いしたいところです。

他にも国内外の文化や歴史、刑事ドラマについても、時々思い出したように書いています。ラグビー関連も週1またはそれ以上でアップしています。2019年、日本でのワールドカップで代表は見事ベスト8に進出し、2022年秋には強豪フランス代表、そしてイングランド代表との試合も予定されています。そして2023年は次のワールドカップ、今後さらに上を目指してほしいものです。

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